ヴェズレイの道 もうすぐ出発

Starting soon! Voie de Vezelay

ヴェズレイの道。出発まで1週間を切りました。
毎年の旅行のフライト・チケットは、インターネットの海外格安航空券「フリーバード」から買っています。
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フリーバード

今日、そこから、e-mail で
「行ってらっしゃい。ご出発ができなくなりました。」
と入りました。一瞬、またか?とドキッと驚きました。
よく読むと、
「ご出発がちかくなりました。」
と書いてあり、忘れ物のないようにとの案内でした。安心しました。
これには、こんないきさつがあるのです。
2年前の2016年、ポルトガルの道を歩きました。帰りは、トルコ航空で、サンティアゴ・デ・コンポステーラからブルゴス、イスタンブール経由帰国する予定でした。ところが、サンティアゴ、ブルゴス間のフライトがキャンセルとなり、サンティアゴからマドリッドまで電車。そして、マドリッドからイスタンブール経由帰国するという羽目におちいりました。
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トルコ航空

昨年の2017年、モン・サン・ミシェルの道を歩きました。行きのフライトは、スカンジナビア航空で、コペンハーゲン経由パリ行きでした。同じ日に、コペンハーゲンで乗り換えて、パリに着くはずでした。ところが、同日のコペンハーゲン発のフライトがキャンセルとなり、翌朝のフライトを待つために、コペンハーゲンで一泊しなければなりませんでした。
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SAS スカンジナビア航空

2年続けて、こんなことがあったので、今年のフライトは大丈夫かと心配していました。疑心暗鬼とはこのことです。

今年のフライトは、LOT。余り聞いた事がありませんが、ポーランド航空です。値段が比較的安いのと、時間が、東京・パリ間ダイレクト便とそれほど変わりがないので、これにしました。
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ポーランド航空 LOT

スケジュールは次の通りです。
10:15 成田発 - 14:25 ワルシャワ着 飛行時間 11時間10分
乗継時間: 2時間
16:25 ワルシャワ発 - 18:50 パリ着 飛行時間: 2時間25分

これから先、フライトのハプニングは御免です。
パリの宿は、ユースホステルJ・パリ Jules Ferry を1泊予約してあります。
翌日、パリのBercy駅から、電車で、ヴェズレイ最寄りのSermiselles駅へ向かいます。4,5,6月は、フランス国鉄のストライキが予定されていますが、この日は、ストライキの対象から外れています。
ここまで、すべて順調ですが、1週間後のパリ周辺の天気が良くないのが気になります。
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フランス国鉄 SNCF

巡礼の装備

Equipment for pilgrim

ヴェズレイの道。出発まで、あと10日位になりました。
念のために、持ってゆく荷物を見直してみました。
青い文字のものは、今年新たに買い揃えた(換えた)もの。

・リュック(容量45リットル)。
多少大きめのものの方が使い勝手がいいようです。いろいろなガイドブックでは、8キ~10キロの荷物に対して、45~55リットルのリュックを勧めています。
靴やトレッキングポールなどを除いて、全部の重量は、大体11キロ位になります。
・テント(MSRハバハバ) 1,700g
・マット(サーマレスト軽量EVAフォーム) 410g

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寝袋(軽量コンパクト・グースダウン) 560g
(昨年(2017年)は、簡易寝袋だったので、寒くて眠られない夜がいく晩かありました。今年は、耐寒温度 6℃~11℃とうたってある寝袋を新調しました。冬に一度家の中で使ってみましたが、6℃では寒くて眠られませんでした。念のため、次のシートとブランケットも持参します。結局重量が合計1キロとなります。重量が重くなっても、もっと低い耐寒温度の寝袋を買った方がよかったか?とも思っています。まあ、ことしは、これでやってみます。)
軽量寝袋シルク・トラベルシート 140g
・フリース・ブランケット 300g
空気入れ枕(100円ショップで見つけました。今までは、服などを折り畳んで、枕の代わりにしていましたが、よさそうなので、買ってしまいました。)

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リュックとトレッキングポールと帽子。
リュックの中味の2/3は、テントとマットで占められています。
背景の川は、栗山川。上総と下総の境です。写真は、2018年5月2日、試しに11キロの荷物をかついで、自宅付近を、7㎞歩いたときのもの。

・トレッキング・シューズ
・トレッキング・ポール 
・帽子
・サングラス
・サンダル 350g
・水筒 (500mlの ペット・ボトル2本。以後は、これに水道の水を補給します。マックス 1000g の水を持つことになります。)

・トレッキング用長ズボン 1枚 (以下着ているものも枚数に含む)
・短パン 2枚
・パンツ(下着) 2枚
・長袖シャツ 1枚
・半袖シャツ 2枚
・フリースのシャツ 1枚
・ウインドブレーカー 1枚 200g
・トレッキング用厚手のソックス 2足 
・トレッキング用雨具(ポンチョ) 300g
・海パン(昨年は一度も使いませんでしたが・・・)
・洗濯ハサミとロープ 160g
(年を取って、目の前にないものは、すべて忘れてしまいます。翌朝、ベッドの上の空のポーチを見て思い出すように、派手な模様のポーチに入れておきます。それを見て、洗濯物を外に干したままであることを、思い出します。
キャンプをしなければ、ロープは、アルベルゲ(宿)の洗濯物干し場のもので間に合います。)

・軽量リュック(25リットル) 250g (機内持ち込み品を入れたり、日帰り旅行や買い物用に便利)
・財布(ユーロの現金とクレジットカード)
・ユースホステル会員証
パスポート
eチケット(航空券)

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巡礼手帳。Camino Forum Store (私のブログのリンク欄参照)で、2ユーロで買うことが出来ます。

・サンティアゴの帆立貝
・日記用手帳
・筆記具
・セロテープ(カードを手帳に張り付けたり何かと便利)
・ヘッドライト+予備バッテリー
・カメラ・充電器・脚の長さ15センチ位の三脚・取扱説明書・予備バッテリー(キャンプ場では思うように充電ができないので)520g 
・タブレット+充電器 380g 
・マルチコンセント+220ボルト用アダプター
・腕時計
・万歩計
ガイドブック Miam Miam Dodo, Le Guide, Chemin de Compostelle, Voie de Vezelay 2018/19年版 360g
・小型仏和・和仏辞書  50g 
・アイマスク・耳栓(機内や、ドミトリーでの鼾対策に重宝)
・薬類
・プラスチック製スプーン、フォーク、ナイフ、万能ナイフ (これと、次のカップは、100円ショップで買いました。必要かどうか分からないのですが、あんまり良く出来ているので、買ってしまいました。)110g
ステンレスカップ 70g
・ハサミ、爪切り、耳かき
・タオル(マイクロファイバー・スポーツタオル) 50g 1枚 
・洗面道具
・トイレットペーパー1巻

これと、日々食べる三食。キャンプ半分、巡礼宿半分。これで二カ月半の、日常生活とかけ離れた、満ち足りた毎日を送ることができます。人生の何と楽しく、シンプルなことか。望みは、健康だけです。

以上

映画に登場した、サン・ジャン・ピエ・ド・ポール

Saint-Jean-Pied-de-Port in films

下に掲げる地図は、フランスから歩くサンティアゴ巡礼の道のうち、主な四本の道です。
Camino-de-Santiago-Map[1]
北から:
トゥールの道(赤い線)
ヴェズレイの道(黄緑の線)
ル・ピュイの道(オレンジ色の線)
アルルの道(青い線)

赤い〇がサン・ジャン・ピエ・ド・ポール
黄色い〇がサンティアゴ・デ・コンポステーラ
サン・ジャン・ピエ・ド・ポールからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの緑の線がフランス人の道です。
ル・ピュイの道とフランス人の道は、2014年に歩きました。
アルルの道は、2015年に歩きました。

さて、今年歩くのが、ヴェズレイ(緑の〇)の道です。その終点は、サン・ジャン・ピエ・ド・ポール(赤い〇)です。
2014年にル・ピュイからサン・ジャン・ピエ・ド・ポール経由サンティアゴ・デ・コンポステーラまで(計1600キロ)歩きましたから、サン・ジャン・ピエ・ド・ポール訪問は、巡礼の旅としては、今年で二度目になります。

サンティアゴ巡礼を描いた映画が二本あります。「サン・ジャックへの道」と「星の旅人たち」です。
それぞれ、街の中の門の前で撮影がされています。サン・ジャン・ピエ・ド・ポールは、城壁に囲まれた城塞町なので、門がいくつかあります。どの門だったか、確かではないので、今回、映画を見直してみました。

まず、映画「サン・ジャックへの道」
2007年のフランス映画です。仲の悪い三兄弟がいます。会社社長の長男と飲んだくれの次男、それに学校教師の長女です。母親が死んで遺産がころげこみます。しかし、みんな一緒にツアーに参加して、サンティアゴ巡礼の道を歩かなければならないという条件つきです。映画は、この訃報が、それぞれに届けられるところから始まります。
ツアー・ガイド、訳あり女性、女子高校生ふたり、アラブ人少年ふたりというメンバーと一緒に、サンティアゴ・デ・コンポステーラまで、いやいやながらの旅が始まります。

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サン・ジャン・ピエ・ド・ポールに到着した一行。
川にかかった橋を渡っています。おそらく、川は二―ヴ川。橋は、サン・ジャン橋でしょう。

やっと、サン・ジャン・ピエ・ド・ポールに到着します。門の前で、ガイドから、サンティアゴ・デ・コンポステーラまで歩く必要はない、ここ、サン・ジャン・ピエ・ド・ポールまでで遺産を貰えると知らされます。しかし、なんと、一番嫌がっていた長男が、サンティアゴまで歩くと言い出します。結局、次男、長女も、みんな一緒にサンティアゴまで完歩するという話です。

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兄がサンティアゴまで行くと言い出したのに、反対する妹。早速また喧嘩が始まります。(左から、長女、次男、長男)
「大聖堂ならフランスに山ほどある」と妹が言うのが面白い。
このあとすぐに山を登りながら、大企業の社長である兄が、サン・ジャン・ピエ・ド・ポールで止めておけば、今頃、ファースト・クラスの電車でパリへ帰れたのに・・・と言うのも笑わせます。

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背景の「ブチック・モニク」が現存すれば、場所を更に確認するのは簡単ですが・・・

続いて、映画「星の旅人たち」。
2010年のアメリカ・スペイン合作映画です。
始まりはアメリカです。大学を中退してまで世界中を旅したい息子。安定した生活の眼科医である父親。当然、確執があります。サンティアゴ巡礼の旅に出た息子が死んだという連絡が入ります。父親は、遺体を引き取りるために、サン・ジャン・ピエ・ド・ポールへ向かいます。

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父親は遺体をそのまま引き取ってアメリカに帰るつもりでしたが、考えが変ります。息子と同じ道を自分も歩いてみようと決心します。遺体を、散骨しながら歩くつもりです。焼いてもらうように、先程話し合った警察官のところへ頼みに再度訪問します。
写真は警察官の家を訪ねる父親。サン・ジャックの門の前という想定になっています。

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上と同じサン・ジャックの門。2014年撮影。

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息子の遺骸を焼いてもらい、その灰を箱に入れて、翌朝、サンティアゴの道を、サン・ジャン・ピエ・ド・ポールから出発する父親。
警察官が車に乗って、見送りに来てくれます。
ここは、「サン・ジャックの道」に使われたのと同じ門です。但し、反対側から撮影されています。

その後、父親は、他の男性二人、女性一人と知り合いになり、四人で、サンティアゴ・デ・コンポステーラまで歩きます。父親は、そこから先、更にムシアまで行って、海に散骨したいという願いがあります。他の三人は、サンティアゴで終わりだったはずなのに、ムシアまで父親につきあってくれます。
これが済んでから、父親は、息子と同じように、世界中を歩き回ることが暗示されています。

以上で、ロケーションは間違いないはずですが、今回訪問したときに再確認します。

成田山御本尊上陸の地

1080th anniversary of landing of the statue of saint of Narita temple on the beach
新聞のチラシに、「成田山開基1080年記念 成田山御本尊不動明王上陸聖地報恩大法会 開催のお知らせ」というのが入っていました。上陸地点、九十九里海岸尾垂ヶ浜は、拙宅から 1km ほどのところにあります。行って見ることにしました。

成田山のサイトによると、不動明王上陸の経緯は次の通りです。
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Landing of the statue of a kind of saint of Mont Narita at the beach of Odare where is only 1 km from my house. It was carried here by boat from Kyoto in order to suppress the revolt in these regions.
「939年、関東の武将・平将門が新皇と名乗り朝廷と敵対、平将門の乱が勃発します。乱世の中で人びとは、不安と混乱の中で生活していました。
寛朝大僧正は、弘法大師空海みずからが敬刻開眼した不動明王を捧持して京の都を出発。大坂から船に乗り、房総半島の尾垂ヶ浜(おだれがはま)に上陸します。
寛朝大僧正は、成田の地に御尊像を奉安し、御護摩を焚いて乱の21日間戦乱が鎮まるようにと祈願します。祈願最後の日、平将門が敗北して関東の地に再び平和が訪れます。
寛朝大僧正が都へ帰ろうとしたところ、御尊像が磐石のごとく動かず、この地に留まるよう告げます。ここに成田山新勝寺が開山されたのです。」

大法会の日時は、2018年4月22日日曜日午前11時からでした。
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出発を待つ女性陣。
何が始まるのか?チラシによると、「大本山成田山新勝寺より貫主猊下をはじめ40名余名の出仕を頂き、大法会や稚児御練りが厳かに行われ」るそうです。

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出発を待つ稚児たち。稚児よりも親の方がはしゃいでいるようでした。

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11時ちょうど、御練りの始まりです。

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先ずは女性の踊りから。

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続いて稚児。後日の新聞によると、68名の稚児が参加した由。付添いの数が多くて、子どもたちの写真をなかなかうまく撮るのが難しい。

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それから、鳴り物入りで(?)お坊さんたちの登場。

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笛。

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ほら貝。

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最後に、赤い傘を捧げられたお坊さんが・・・貫主かと思いましたが、貫主は相当のご老齢で、車に乗せた車イスに乗って、後ほど会場近くまでやってきました。

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いよいよ不動明王のレプリカのある上陸地点へ。

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鳥居をくぐって。

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貫主到着。

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不動明王のレプリカのある地点へ上って行きます。
赤い傘の下が貫主です。

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背景に不動明王のレプリカ。左下隅に貫主。

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貫主より文書を授かる稚児。

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同上。

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そろそろ飽きてきて、むずかる稚児。

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ヤレヤレ。
これで催し物が終わったと思って帰ってきました。
あとで、チラシを読むと、奉納踊りやさくら太鼓の披露があった由。こちらも見たかった!これが本当の後の祭り。

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自宅と上陸の地の間の道。奥の三階建ての建物は老人ホームで、我が家は、その裏です。こんなことでもない限り、ほとんど人気の無いところです。
潮騒道路という名前のついている、この道の左側がすぐ九十九里浜です。左は、桜の並木道です。例年は、パラパラとまばらにしか咲かない桜が、今年はどういう訳か、一般の桜のように房をなして咲きました。

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家の前の今年の桜。3月31日撮影。

鴨川にて その1 鴨川グランドホテル

In Kamogawa (1)

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私の快気祝いと旅の壮行会を兼ねて、4月11日、12日の二泊、千葉の鴨川に遊びました。
家からは、100㎞ほど。車で、ゆっくり走って、約3時間のところです。

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どうせなら、海の良く見える所ということで、鴨川グランドホテルという海辺のホテルを予約しました。
最初の日の11日は、日本全国春の嵐が吹き荒れた日です。荒波が押し寄せていました。

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ホテルの建物や部屋は古さが多少気になったものの、たいしたことではありません。なかなか格式を感じさせる良いホテルです。

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部屋から眺める太平洋。

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風呂も、海の回廊と称して、室内、露天とも、大きなのがいくつかあって快適です。
一階のレストランからの眺めは、太平洋とプールとヤシの木があって南国情緒たっぷりです。

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初日の夕食は和食、二日目は洋食を頼みました。まずまずです。写真は二日目の洋食。下の写真も。

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従業員の応対もよく、なによりも、喫茶室でも、レストランでも、部屋でも、風呂でも、どこにいても、海を見晴らせるというのが魅力的でした。

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夕食が住んで、部屋に戻り、ホテルの案内書を見ていたら、「俳人 鈴木真砂女 記念館」が、このホテルの地下にあると載っていました。その写真を見て、アレっと思いました。翌日、行ってみることにしました。

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