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114.オラドゥールの大虐殺

114. Massacre in Oradour-sur-Glane
18.06.2018, the 35th day
6月18日 35日目

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「レジスタンス通り」という名前の通りがありました。

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Bataillonとは、大隊のことです。「ヴィオレット大隊ルート」ということです。フランスのレジスタンスに関係あるようですが、詳細は不明です。

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レ・ピルという集落に入ると・・・

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「1944年6月12日ドイツ軍によって銃殺された人質たち」という記念碑がありました。

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さらに「フランス人は決して忘れない」の記念碑。

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更に、ヴァレンチーヌ・ビュシエール通りがあって・・・

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この方がヴァレンチーヌさんです。1944年6月12日の戦いで死亡。

前にも一度述べたかも知れませんが、この地方に、オラドゥール・シュル・グラヌという村があります。そこで次のような事件が起こっています。これが、第二次大戦末期のできごとなので、ひょっとしたら、これと関係があるのかと思って調べてみました。
以下、小学館文庫「オラドゥール 大虐殺の謎」(Oradour: Massacre & aftermath) から引用します。
「英米連合軍のノルマンディー上陸4日後の1944年6月10日、フランス中南部の静かな小村オラドゥールで、(ノルマンディーの前線に向かう)ナチの武装親衛隊(=第2SS装甲師団)による住民642人の虐殺事件が起きた。当時ドイツは一切の情報を握り潰した。その動機は一切不明。報復か?示威行為か?」
日付が、それぞれ、6月12日と6月10日です。更に調べると、
第2SS装甲師団の別動隊が、ペリグー~チビエ~リモージュ(Perigueux ~Thiviers ~Limoges) と、今、私が歩いてきた道の経路を逆に辿って北上している地図がありました。まず、これらの事件は、関連あるものと考えて間違いないでしょう。
なお、オラドゥール・シュル・グラヌは、現在、村が放火された当時の姿のまま、保存されています。

次の2枚の写真は、1990年頃に、私がオラドゥールを訪問した際、買ったパンフレットに載っていたものです。
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"Oradour-sur-Glane is the symbol 0f Native Land misfortune. It is advisable to preserve its remembrance, because such a misfortune must never recur."
Charles de Gaule
焼かれたオラドゥール・シュル・グラヌの村。
写真の下に、「このような不幸が二度と怒らないように、この記憶を保存しておくべきだ」というシャルル・ド・ゴールの言葉が載せられています。

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親衛隊の虐殺の狂気の犠牲となった子どもたち。合計642人の犠牲者の内、子どもが、207人だそうです。

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県道D8号線は、ランマリー森林の中を通って・・・
しかし、ずっと、猛スピードの車の恐怖は続いています。

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サイクリングの男性も行きましたが、車道を走って、車と同じ側を走る分、歩きよりも、恐ろしいでしょう。

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ここで、11キロ、3時間半歩きました。今日の行程の半分です。本来なら、ここにあるジットに泊まる予定でした。しかし、休みのために、ペリグーまで、更に10キロほど歩きます。

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もう、車のスピードと騒音が我慢できなくなりました。また、県道D8号線とヴェズレイの道が近寄ってきたので、ここから、ヴェズレイの道にすぐ出られそうです。
写真の標識を、Trelissac方向に行けば、500メートルほどで、ヴェズレイの道に合流するはずです。

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ここで、D8を左折です。

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そして、ついに、ヴェズレイの道を再発見!

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早速、道は、森の中の静かな道。気の抜けるような静けさです。

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一日25キロの距離であるなら、5キロ短縮して(車の多い)18キロの近道よりも、25キロを時間をかけてゆっくり歩いた方がよいな。こんなことを考えながら歩きました。
今回の全行程で、この日と、あともう一日、車道を歩いて、本当に参ってしまった行程があります。もう車の多い車道は御免だと思っていましたが、後者は、ヴェズレイの道なので、歩かざるを得ませんでした。

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静かな道をのんびり歩きました。しかし、1時間ほどして、また難関。森を出て、La Chaumardie というところから、登り坂になり、標識も分かりずらくなりって、再び、県道D8に出ます。
今度は、県道D8号線と言っても、ここは、ヴェズレイの道です。歩道がしっかり出来ていました。ペリグーが近くなって、交通量は増々激しくなりましたが、車の騒音はあるものの、スピードによる恐怖はありません。

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D8沿いに、スナックがあったので、そこに入って、昼食にしました。もう都会に入った気分です。

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スナックを出て、すぐに、ペリグーに入りました。ペリグーはイール川畔にある町です。川に向かって、急な坂を下ってゆきます。

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通常ならば、町の中心、教会/大聖堂を目指すのですが、ペリグーのジット(Refuge associatif) は、大聖堂から離れた駅前にあります。ガンベッタ通りです。駅を目指して、その通りを探しました。

つづく
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コメント

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Oradour

森の木さん、
ドイツに居た時で、ドイツ・ナンバーの
車で訪問したため、肩身の狭いような
思いをしたので、年度まで覚えています。

huckさん、
オラドゥール村を訪ねたことがあるのですね。
関連写真を拝見しました。
ありがとうございます。

Re: オラドゥール

森の木さん、
コメント、ありがとうございます。
オラドゥールの資料が見つかりましたので、
関連写真を追加しておきました。

オラドゥール

毎日連続ドラマをみているように楽しみにブログを読ませていただいています。
今日のオラドゥールの大虐殺について、私も以前本で知りたいへん衝撃を受けました。
かけがえのない命の大切さ、いつもの普段通りの生活の大切さ、平和な日々の重さをかみしめました。