マルセイヤンの花火大会

7月12日(金) 35日目(2)

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セットSeteからマルセイヤン・ビーチ Marseillan-Plageまで。
潟は、トー湖、海は地中海です。
セットの南と、砂州の地中海岸をサイクリング・ロード(緑と白の線)が走っています。
地図はミシュランの20万分の一。

昼食のパエリアを、地図上の青いマル印のところで食べました。セット運河の岸です。
そこから、南へ行けば、地中海岸に出て、サイクリング・ロードに出るはずです。このミシュランの20万分の一地図には、主なサイクリング・ロードが載っているので、非常に便利です。

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地中海岸に向かって、セットの街を抜けます。途中の家の壁に描いてあった絵。
写真で分かる通り、旧市街は狭い通りです。こういう場所は、自転車を押して歩きます。

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さあ、街を抜けて、地中海に出ました!
この辺は、サン・クレール山の麓で、高台になっています。上掲地図で、セットの南、数字の21と書いてある辺りです。そこからしばらく、崖になっているので、上掲地図でも、この辺の海水浴場は、「崖っぷちの海水浴場 Plage de la Corniche」と書いてあります。

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道も、この通り、立派なサイクリング・ロードがあります。

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途中にあった、広告会社の看板です。
左から、フェルナンデル(フランスの喜劇俳優)、エディット・ピアフ、マーロン・ブランド(?)

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左、不明、右、セルジュ・ゲンスブール(フランスの作曲家・歌手)

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セットのビーチ。振り返れば、麓を走って来た、サン・クレール山が見えます。

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同じ南仏でも、コート・ダジュールの海岸に比べると、のんびりしています。

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サン・クレール山の麓。

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色は地中海の青。

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地中海のさざ波。

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上掲地図を見ても想像がつく通り、このようなサイクリング・ロードをひた走ります。
地中海の太陽の下、日蔭が全くありません。

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マルセイヤン・ビーチという所に着きました。
この北に、マルセイヤンという町があって、そこが、ミディ運河の始発点(または終点)のようです。ミディ運河サイクリング・ロードを走るのを、今年の旅の中で、一番楽しみにしていました。ちょうど、うまい具合に、マルセイヤン・ビーチにキャンプ場があったので、ここに泊まることにしました。

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この運河を超えると、キャンプ場がありました。
この運河の名前は、Canal des Allemands です。地中海とトー湖を結ぶ短い運河です。

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今日のキャンプ場は、Camp municipal Le Pisse Saumes。(←詳しくはこちら)
キャンプ場の名前ですが、Saumesが辞書に出ていないので、間違っているかもしれませんが、「しょっぱいおしっこ」という意味かもしれません。

夜、テントで寝ていると、22:00頃から、ドーン、ドーンと花火の音がしだしました。裏のビーチの花火大会でしょう。見に行こうかなと思っているうちに、眠ってしまいました。
今日の走行距離:49km
累計走行距離:1568km
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ミディ運河と「家なき子」

7月13日(土) 36日目(1)

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この地図のセット(セート)の少し先まできました。マルセイヤン・ビーチというところです。
きょうは、いよいよ、ミディ運河に対面します。後述するように、小説「家なき子」の舞台でもあり、また、現在は、世界遺産にもなっています。
そのサイクリング・ロード(地図で緑の線)を走ります。どうせなら、ミディ運河全行程を走りたいので、マルセイヤン・ビーチから少し戻りますが、ミディ運河がトー湖に出る河口まで行くことにしました。

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標識「右:マルセイヤンの町(ビーチに対して)」
河口は、マルセイヤンの町の近くにあります。マルセイヤン・ビーチから、マルセイヤンの町までサイクリング・ロードが通っていました。

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マルセイヤン・ビーチを出るロンポワン(ロータリー)にあった、意味不明の展示物。

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4キロほど走ると、運河の河口に出ました。湖(トー湖)の向こうに、通ってきたセットのサン・クレール山が見えます。

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ここが、ミデイ運河の河口です。灯台は、Les Onglousの灯台です。

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ちょうど、河口の先端に釣り人がいたので、写真をお願いしました。
あとで、分かったことですが、ミディ運河には、各所に、キロメートル表示(PK=ポワン・キロメトリック=キロメートル表示点)がしてあります。一番、西の端トゥールーズが0km地点です。私の立っている場所が、PK240(240キロメートル地点)です。

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マルセイヤン付近の地図とPK240。トゥールーズから240kmという意味です。
日本出発前に、フランスのwww.canaletvoieverte.comから取り寄せて、ミディ運河サイクリング・ロードの地図を持ってゆきました。ミディ運河を走っている途中、どこかのキャンプ場で、「もっと詳しい地図があるよ」と言って、貰ったのが、この地図です。緑の実線・点線がサイクリング・ロードです。

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トー湖の釣り人。

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これから、このミディ運河に沿って、トゥールーズ方面へと旅してゆきます。

「鉄道がしかれて以来、人びとはミディ運河をおとずれなくなり、名前さえ知らなくなったが、しかしこの運河はフランスの名所のひとつなのだ。
ぼくらはヴィルフランシュ・ド・ローラゲからアヴィニョネへ、アヴィニョネからノールーズの岩へと行った。ここは、大西洋にそそぐ河川と地中海へ流れる河川の分水嶺で、ミディ運河の建設者リケをたたえる記念碑がたっている。
つぎにぼくらは水車の町カステルノーダリ、中世都市カルカソンヌをぬけたあと、八つの閘室(水位を調節するために船を堰(せき)でかこむ装置)をつぎつぎに通るとてもめずらしいフィンセラーヌの水門をへて、ベジエまでくだった。
おもしろい地方を行くときは、一日に数里しか進まず、はんたいに景色が単調なときは、どんどん進んだ。」

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ミディ運河詳細地図。
「家なき子」の文・地図ともに、次の本から引用しています。
二宮フサ訳、佐竹美保地図、偕成社文庫 1997年。

これは、マロ原作「家なき子」からの引用です。おそらく、家なき子、レミ少年が、ミリガン夫人と運命的出会いをした場面です。おそらく、彼の人生で一番美しい、幸せな時間だったのではないでしょうか。
これから、ここを、実際に自転車で訪れることができるのだと思うと、期待に胸が膨らんできます。
なお、私の道順は、家なき子、レミ少年の辿った道順とは、逆に進んでゆきます。

ミディ運河について

7月13日(土) 36日目(2)

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ミディ運河の東端、トー湖への出口。トゥールーズから、240キロメートル離れた地点です。写真は、そこのレ・ゾングルー灯台。その向こうに見えるのは、セットのサン・クレール山。

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ミディ運河は、フランスのトゥールーズから地中海のセットまで、長さ約240kmの運河です。トゥールーズから逆に、大西洋までは、ボルドー経由、ガロンヌ運河で抜けられます。トゥールーズ・ボルドー間は、約260キロあります。この二つの運河のおかげで、地中海と大西洋の間を、船で航行が可能となりました。そのため、この運河を合わせて、「二つの海の運河」とも呼ばれています。

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大西洋のボルドーから、地中海のマルセーユまでの航路。
青い線が、ガロンヌ運河とミディ運河を使った場合の航路。
赤い線は、両運河が出来る前、フランスの大西洋側から、わざわざ、ジブラルタル海峡を通って、地中海に出る場合の航路です。約3,000キロの距離の短縮になりました。

フランスにとって、この運河の構想は、古代からありました。ボルドーから、トゥールーズまでは、ガロンヌ川を使って航行できました。しかし、トゥールーズから、トー湖まで、運河を掘ったとしても、その水をどこから引いて来るかが、問題でした。この難問が解決されずに、構想のみに終わっていました。
ルイ14世の時代、この難問を解決する天才が現れます。その名前を、ピエール・ポール・リケと言います。
どのように解決したか、続きは、次回のブログにて。

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ミディ運河のプラタナス並木。
サイクリング・ロードは写真左側、プラタナス並木と運河の間の細道です。とても、サイクリング・ロードとは呼べない、でこぼこの細道です。実際、サイクリング・ロードではないので、運河に落ちないように気を付けて、走る必要があります。

尚、ミディ運河については、次の資料を参考にしています。
・carotteさんの「海のむこうはどんなところ?-運河を巡る旅」(←詳しくはこちら。ミディ運河のガイドブックとして、この記事をコピーして、今回の旅に持参しました。)
・Wikipedia他インターネットの関連サイト
・Canal du Midi and Garonne Canal, Apa-Poux Editions - Albi 2002
・Le Canal du Midi, Le Transporteur (←詳しくはこちら。ミディ運河の、澄み渡るような美しいイメージ写真です。ミディ運河のプラタナス救済運動をしています。)
Beziers mediterranee mer ville vigne (←詳しくはこちら)等、現地で入手したパンフレット。

ピエール・ポール・リケとミディ運河

7月13日(土) 36日目(3)

ミディ運河を実現するために、どこから水を引いて来るかが問題でした。

ここに、ピエール・ポール・リケという人物が現れます。現在、ミディ運河の港のひとつである、ベジエという町(下地図参照)の出身です。子供のころから、ミディ運河建設の夢を持っていました。長じて、塩の徴税使となりましたが、土木技師でもあったようです。また、かなりの資産家でもありました。

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ベジエにあるピエール・ポール・リケ(1609-1680)の銅像。写真はwww.beziers-mediterranee.comより。

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トゥールーズからセットまでのミディ運河。その各主要地点の標高差。

仕事柄(塩の徴税使だというので、おそらく、岩塩がどこで採掘できるかという調査をしたのだと想像します)、この土地の地形には詳しく、ノールーズという地点が、トゥールーズ(大西洋方面)とセット(地中海方面)への分水嶺であることを発見します。また、その付近の「黒い山」と呼ばれる地帯の川から、一旦、サン・フェレオール湖に水を集め、ノールーズまで水を運ぶことを考えつきます。上図参照。

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ノールーズの分水嶺。
写真左下から流れてきた水が、左上方(セット・地中海方面)と右側(トゥールーズ・大西洋方面)へと、ふたつに分かれて流れて行く、不思議な光景です。

当時、蒸気機関などエンジンのなかった時代です。馬や人間が、船を引っ張りました。運河に勾配があって、水が流れていては具合が悪いのです。運河は、水が流れないように、水平でなければなりません。
上図の、ノルーズ分水嶺の標高190m、トゥ―ルーズの標高127m、セットの標高0m、これらの標高差をどのように解決するかという問題があります。

まず、この標高差を、それぞれ、トゥールーズやセットに下ってゆくには、下図のように、水門という装置を使って下ります(または、上ります。)。イメージとしては、階段を下りて行くようなものです。

注:下図の、英語で「ロック」とある、水門と水門との間の部分を、「閘室(こうしつ)」と呼ぶことにします。閘室の両側の門を「水門」と呼ぶことにします。今後、このブログで、閘室と水門を区別しなければならないときは、このように区別して呼びます。その必要がない時は、閘室・水門を合わせた装置全体のことを「水門」と呼ぶことにします。

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これは、水門を、船が下るときの図です。
1.船が上流から、水門Aに近付きます。
2.上流の水を、水門Aにあるバルブから、閘室に流しこみます。閘室の水がいっぱいになったら、水門Aが開きます。船が閘室に入ります。船が閘室に入ったら、水門Aを閉じます。
3.続いて、水門Bのバルブが開いて、閘室の水を下流に落とします。閘室の水面が下流の水面が同じレベルになったら、水門Bが開きます。そして、船が下流に出て行きます。

下流から上流に上(のぼ)る場合は、これの逆の操作をします。

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船が閘室に入って、水の溜まるのを待っているところです。
左側の男性(乗組員)が、水の流れで船が動かないように、ロープを持って固定しています。
後ろ向きの女性は、ここの水門番です。肩から水門操作の器械を下げていて、ボタンひとつで、水門開閉の操作をします。昔は、手でハンドルを回して、開け閉めをしたでしょう。

こうして、ミディ運河に、100以上の水門を築きます。
また、途中には川があったり、谷があったり、丘があったり、山があったりして、運河が水平に進む障害となります。川や谷には、運河橋という橋をかけて、船はその運河橋を渡ります。丘があれば、削ります。山があれば、トンネルを築きます。これを、240km、ツルハシとシャベルだけで、成し遂げたというのに一驚します。その建築物が、また、見た目に美しいというのが、二度目の驚きです。これが、この運河が、世界遺産となった理由でしょう。

リケは、ルイ14世(1638-1715)の財務大臣コルベールを説得して、終に、ルイ14世の国家プロジェクトとしての勅令を得ることができました。前回の記事で述べた通り、ボルドーからセットまで、3000キロの距離の短縮だけではありません。当時、敵対関係にあったスペインへ、ジブラルタル海峡の通行税を払う必要もなくなりました。また、海賊に襲われる心配もなくなりました。

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マルパの運河トンネル。
右側を人が通れるようになっています。但し、トンネルを出ると行き止まりです。
自転車は、山越えをしてください。

この工事は、1666年に開始されます。完成したのは、15年後の1681年です。難工事続きで、国家予算だけでは足りなくなります。リケは私財をつぎ込み、家財を売り払い、娘の持参金までつぎ込んだと言います。しかし、リケは完成の7か月前に、この世を去ってしまいます。二人の息子が、引き継ぎました。リケ自身、運河を船で渡るのは勿論、運河に水が流れるのも見ることができませんでした。

ミディ運河は、セットからトゥールーズまでです。現在では、トゥールーズからボルドーまでは、ガロンヌ運河があります。しかし、この運河の完成は、1856年になってからです。資金難のためと、この時代、鉄道の出現により、その実現が危ぶまれた運河です。

ミディ運河の完成により、トゥールーズからセットまでの240kmを、4日間で行けるようになったそうです。しかし、ガロンヌ運河が出来る前、トゥールーズからボルドーまで、ガロンヌ川を使用しました。ほとんど同じ距離を、川を遡る場合、20日間かかったそうです。

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ミディ運河を通る船。
右側に船曳道があります。非公式サイクリング・ロードです。非公式というのは、別途説明します。

エンジンのない時代、この運河を渡る船を、馬や人間が引っ張っていました。その道が、船曳道として残っています。現在、その道がサイクリング・ロードとなっています。このような背景があるので、私は、この運河を走るのを楽しみにしていました。長くなってしまいましたが、説明しておきます。
さて、そんなミディ運河とガロンヌ運河を、これから、のんびり見て行きます。

ミディ運河サイクリング・ロードと地図

7月13日(土) 36日目(4)

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いよいよ、レ・ゾングルー Les Onglous 灯台に別れを告げて、ミディ運河の旅に出発します。

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ミディ運河の始まり(終わり)の個所と船曳道。この船曳道が、サイクリング・ロードです。
この記事の下に、このサイクリング・ロードの地図を紹介しておきました。その地図で、ガロンヌ運河の地図の名前は「緑の道」ですが、ミディ運河の地図の名前は、「緑の道と小道(chemin)」となっています。この「小道」の意味は、「舗装されていない野道、荒れた小道」と解釈すればよいと思います。
この道は、昔、船を馬や人間が引っ張るときに使った「船曳道」です。東京の「曳舟」という駅名も、その名残りです。
この写真では、ヨットがたくさん写っていますが、ミディ運河には、低い橋がたくさん架かっていて、マストを立てたままでは、運河を通ることができません。このヨットは、このミディ運河をでたところから、トー湖という大きな湖があるので、そこで遊ぶためのものでしょう。

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「曳舟」の浮世絵。
ひとりの人間が、一艘の舟を曳いています。

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初めて見る、ミディ運河を通るボート。これがミディ運河を航行している一般的なボートです。レンタルです。あとで聞いて知りましたが、1週間、大体2,000ユーロ(約26万円)だそうです。

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ミディ運河の船のスピード制限は、時速8キロ。
大体、皆さん、10キロ位で走っているようでした。
15キロ位出して、他のボートを追い抜いているボートがいました。ゆったりした時の流れの中で、醜いものを見てしまったとういう感じがしました。

尚、ミディ運河サイクリング・ロードについては、次の地図を、現地のi(インフォメーション)やキャンプ場などで、無料で、入手できます。
Carte Touristique, Voie Verte & Chemins, Touloiuse - Sete a Velo, Edition 2013

また、これに接続する、トゥールーズからボルドーまでのガロンヌ運河サイクリング・ロードについては、次の地図が、同様に、あります。
Carte Touristique, Voie Verte, Bordeaux - Toulouse a Velo, Edition 2013

これら二つの地図は、日本からでも、次のホームページから注文して、自宅に送付して貰えます。郵送料10€を、クレジット・カードで払う必要があります。
ミディ運河・ガロンヌ運河サイクリング・ロード・マップの入手方法←詳しくは、こちら。