85 ホテルのプールサイドでキャンプ

From the North Sea to the Black Sea
Part Four: Danube cycling road
85 Camping at the pool side

朝、Javal のキャンプ場を出発。
ニュージーランド夫妻は、私が起きた時はもういませんでした。日中は暑いので、できるだけ朝早く出発するようにしていると、言っていたのを、思い出しました。スイス人男女三人組は、まだ、出発の準備中。

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車より、馬車のほうが多いのではないか、と思われるような、55a号線を走ります。朝めし前なので、最初に出てきた町に、ビュフェとかいた店があったので、寄ってみました。ショーケースの中に、ハムやソーセージしかありません。サラミとコーラで腹ごしらえです。
写真、前の道が街道55a号線です。

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いろいろ食べたくても、これしかありません。新鮮な果物がありそうなものですが、「よろずやさん」で売っている物(トマト、リンゴなど)は大体腐っています。
ハムなども、切り口が萎びて変色している物が、多いようです。

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次の町で、びっくりするような美人のジプシーのお母さんを見かけました。シャッター・チャンスを逃して、残念ながら、後ろ姿だけ。連れの、小さいほうの子供は、裸足です。

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自然のまま、と言えども、車があって、人間がいて、ゴミを捨てて、掃除をしなければ、ゴミが溜まります。沿道は、ペット・ボトルなど、ゴミが散乱しています。

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コラビア Corabia というところで、ホテルがありました。

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ドナウ川に面した、眺めの良さそうなホテルです。
ところが、なんと、満員とのことです。

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しかし、ホテルの支配人らしき人が出てきて、ホテルの前のプール・サイドにテントを張っていいと言ってくれました。無料です。

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田舎の街道沿いには、レストランを期待できません。やっと、このホテルで、食べ物らしいものにありつけました。

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そうこうしているうちに、例のスイス人男女三人組もやってきました。彼らに事情を説明し、ここに一緒に泊まることになりました。
向こう側にある黄色いテントが私のもの。こちら側にあるのが、スイス人三人組のもの。男女三人、テントの中で、どうやって寝ているのか、ちょっと気になります。
プール客用のトイレやシャワーが付いていました。しかし、ほとんど使い物にならず、ホテルの中のトイレを使わせて貰っていました。

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ホテルの前のドナウ川。
朝、トイレの水が溢れて、使い物にならないので、朝食をホテルのレストランで食べて、トイレも借用しました。

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そしてまた・・・サイクリング・マップ bikelineの言う、単調と言えば、単調な道を、走ります。ただ、ドナウ・デルタを目指して。

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行きあう馬車に、手を振って挨拶するのが、楽しみです。

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村のバーで、飲み物の補給。

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言葉が分かれば、面白いのでしょうが、ニヤニヤするだけ。

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暑いので、村が出てくるたびに、水分の補給のため、何度も「よろずやさん」に立ち寄ります。
ここは、皆さん、自転車を塀の中に入れているので、私も。

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これは、ドナウ川に注ぐ川です。
この写真を見て、暑い暑い夏の日を思い出しました。早朝に出発した、ニュージーランド人夫妻が正解です。

つづく
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86 トゥルヌ・マグレレ 菓子箱で はがきを作る

From the North Sea to the Black Sea
Part Four: Danube cycling road
86 Continuing the trip with the monotone sceneries

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きょうの宿泊地は、トゥルヌ・マグレレ Turnu-Magurele です。ホテルの名前は、Hotel Turris, Turnu-Magrele。
ホテルの受付嬢と一緒に記念撮影させて貰いました。西洋の女性は、オッパイが相手に接触することを余り気にしないのか、私の身体に押しつけてきます。恥ずかしいやら、嬉しいやら・・・身の縮まる思いです。

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ウイーンからドナウ・デルタまでの、ドナウ川。
ここ、トゥルヌ・マグレレ Turnu-Magrele(上図参照)で、
アムステルダムを5月16日出発してから、72日目。
累計走行距離、3,780kmとなりました。

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ホテルの部屋の窓から、教会が見えます。どういう意図か、窓が捻じれている教会です。

今回の旅で泊まったホテルのうちで、一番立派なホテルです。今まで、満足にできなかった洗濯をおもいきりしました。普通、洗わないタオルやパジャマも洗いました。あとで、あっと、気が付きましたが、夕食のレストランへ着て行くものがありません。洗濯物は、まだ乾いていないし・・・身体にタオルを巻いて行くわけにもゆかないし・・・途中買っておいた、リンゴ・トマト・パンで夕食は、済ませました。
このホテルの電話は、日本にも通じて、久しぶりに、日本に電話をすることができました。

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せめて、こちらの事情を連絡しようと思って、絵はがきを出すようにしています。しかし、ルーマニアに入ってから、絵はがきを売っているのを見たことがありません。熟慮を重ねた上、自分で作ることにしました。「よろずやさん」に行って、身振り手振りで、なんとか用の足りそうな、厚めのお菓子の梱包箱を貰いました。これを、ハガキ大の大きさにハサミで切りました。
上の写真が、日本に送った、手製のハガキです。

その後、ルーマニアでは、ドナウ・デルタのスリナの灯台博物館(ドナウ・デルタの起点トゥルチェアでもなく、ルーマニアに入って、黒海まできて、スリナで、初めて見つけました。)や、コンスタンツァの博物館、ブカレストの博物館・美術館で絵はがきを見つけました。

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ホテルTurris 近くにある郵便局のポスト。ルーマニアのポストの色も、赤です。

つづく

87 こどもの悪戯

From the North Sea to the Black Sea
Part Four: Danube cycling road
87 Mischeif of children

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沿道の店。「ミニ・マーケット」と書いてあります。マガジン・ジェネラル(よろずや)であったり、マガジン・ミクスト(雑貨屋)であったり、名前はいろいろですが、同じものです。

町や村の中を走っていると、道端で遊んでいる数人の子供たちが、私の姿を認めると、沿道に並んで、タッチを求めます。
初めのうちは、タッチに答えていましたが、必要以上に力を入れて叩く者がいたり、後(うしろ)に回って自転車を抑える者がいたり、たちが悪いのになると、バッグを取ろうとする物までいます。
私の進む前に、数人で手をつないで、通せん坊をしたこともありました。
一度は、沿道のベンチに座っている子どもに、ペットボトルを投げつけられました。
また、よろずやさんで買い物をしていたら、店の主人が突然大声で外に向かってどなり始めました。見ると、私の自転車を、十人位の子供が囲んで、なにかを取ろうとしていました。
小さな子供が、嬉しそうに寄ってきて、タッチをもとめたりするときには、可哀そうですが、危険でもあり、後半は、手を振るだけで、タッチはしないことにしました。

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田舎道を行く馬(ロバ)車。ホイールにはタイヤがありません。

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遠ざかる馬(ロバ)車。道が、かなり荒れています。

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空気入りタイヤのついていないホイール。ゴムを貼ってあるだけです。これでも、現役の馬車です。

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水分の補給に立ち寄った、よろずやさんで。

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また、別の店で。

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ある「よろずやさん」の前に、見覚えのある顔がいました。

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例のスイス人男女三人組です。昨夜泊まったホテルを出る時、自転車をしまってあったガレージに自転車が三台置いてありました。おそらく、彼らだろうと思っていましたが、やはり、同じホテルに泊まっていたそうです。

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三人組は、一足先に出発して行きました。
彼らとは、三日、同じところに泊まりました。しかし、これが、彼らとの最後の出会いだったと記憶しています。

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村の女の子。

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そしてまた、村を出ると、大草原を行く。
この遥か彼方を、ドナウ川は流れています。
目指すのは、ドナウ・デルタ。トゥルチェア。そして、スリナ。

普通、最終目的地は、あまり意識しないのですが、今回は、ドナウ・デルタ!トゥルチェア!スリナ!と心に叫んで、山登りで、頂上を極める気分で、走りました。

つづく

88 ジムニチェア ジプシーの洋服屋さん

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Part Four: Danube cycling road
88 Dress shop for Gypsy

きょうの宿泊は、ジムニチェア Zimnicea です。ここは、1977年の地震で、町が全滅したそうです。そのせいか、新しい町の区画は、碁盤の目のようになっています。

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ジムニチェアのホテル・ジムニチェアのレストランにて。
昨日は、立派なホテルで、バス・タブがありましたが、洗濯に忙しくて、バス・タブの風呂には入りませんでした。ここジムニチェアのホテルにも、バス・タブがついていました。この日は、ゆっくり、バス・タブの風呂に入りました。

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この日、7月26日、レストランのテレビで、日本対スペインのフットボールの試合をやっていました。1対0で、日本の勝ち。
夕食後、レストランの外にあるテラスで、生ビールを飲みました。18:00頃ですが、うだるような暑さです。写真の、0.4lの生ビールが、約50円です。

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自転車の荷台の留め具が壊れたため、紐で縛って、使っていましたが、前後にぐらついて、後輪ブレーキの具合も悪くなります。なんとか、だましだましやってきましたが、とうとう自転車屋さんに相談してみることにしました。
翌朝ホテルの受付嬢に尋ねると、自転車屋さんは、ホテルを出て、右に数百メートルにあるとのことです。言われた通り、行ってみると、自転車屋さん(写真)があって、おじいさんが一人いました。言葉が、通じないので、壊れた金具の実物を見せて、身振り手振りで直して貰いたいと頼みました。
「よーし、わかった」
と言うように承諾してくれたようです。電話を掛けて何か話した後、30分待っていろ、と言っているようです。そして、おじいさんは、何か用事でもあるのか、店に鍵をかけて、居なくなってしまいました。

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自転車屋さんは、新品自転車は置いておらず、部品と修理をやっているようです。おじいさんが、居ない間、店の外で待っていました。すると、自転車の修理に来る人がたくさん来て、私に何か尋ねます。おそらく、どうして店が閉まっているのだ、と聞いているのでしょう。返事ができないし、うるさいので、店の反対側に出て待っていました。
自転車屋さんの隣は、ジプシー風の洋服を売っている店(写真)があって、ジプシーの女性が集まってきます。それを見ていました。

そのうち、自転車屋さんのおじいさんが戻ってきました。「ちょっと、待て」というような仕草をしています。待っていると、今度は、若い男性が、電気ドリルを持ってやってきました。私は、ネジ穴の開いた、新しい金具が来るものとばかり思っていました。なあるほど、こういう手があったか!と感心しました。
そして、おじいさんと若い男性とふたりがかりで、金具に穴をあけ、荷台を自転車に、しっかり固定してくれました。

更に、日本から持って行った空気入れが、ゲージのところから、空気漏れするようになったので、新しいのを買いました。ところが、その新しいのが、フランス式バルブに使えるかどうかわからない、と言って、古いフランス式用の空気入れを、タダでくれました。料金は、前部で50レイ(約1,250円)です。随分手間をかけさせたので、100レイ払おうとしましたが、受け取ってもらえませんでした。

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荷台もすっかり直り、また、旅を続けます。

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荒涼とした景色になってきました。

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村のよろずやさんで、私も一休み。

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ルーマニアの典型的な農村風景。
このような古い自転車を長く使っているので、自転車屋さんに、たくさんの人が修理にくるのが分かります。

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ふたりの女性が、リヤカーを引いて行きます。
この道が、サイクリング・ルートでもある、街道5c号線です。

つづく

89 ルーマニアのジプシー

From the North Sea to the Black Sea
Part Four: Danube cycling road
89 Gypsy in Romania

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ブカレストの国立美術館にある絵「ジプシー女」

このブログでも、二、三、紹介しましたが、ルーマニアを旅していると、よく、ジプシーに出会います。インターネットの「Romania Japan」というサイトで、ルーマニアのジプシーのことを調べたら、次のようなことが、載っていました。

「ジプシーはヨーロッパ全体で、880万人います。その過半数の、600万人以上が、東欧諸国に住んでいます。そのうち、ルーマニアが一番多く、40万人います。しかし、実際には、最大250万人と言われ、ルーマニア総人口の約11%になります。
ルーマニアでは、古くから、ジプシー(ロマ民族)への差別が厳しかったと言われています。」

今回の旅の間、ジプシーに出会って、時々、お金をくれと、せびられたことはありますが、1980年代のパリでのように、大勢で、人を取り巻いて、財布やバッグをひったくるというような目には、会いませんでした。

つづく