遠かったリヨンへの道

6月29日(土) 22日目

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キャンプ場の朝。
さて、きょうは、いよいよリヨンに入ります。快晴!といきたいところですが、小雨模様のパッとしない天気です。

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ジュネーブ~リヨンのヴィアロナ。
ジョン JONS というところから、リヨン LYON まで、濃い緑色の線です。「ヴィアロナ」サイクリング・ロードが完成しているという表示です。ジョン JONS は、夕べ泊まったキャンプ場のすぐ近くです。

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ジョンの「ヴィアロナ」スタート地点の入り口。
ローヌ川岸にサイクリング・ロードがあります。サイクリング・ロードに出るというのに、階段です。自転車を乗せるレール等もありません。自転車から、荷物を降ろして、何回かに分けて、階段を下りました。幸先悪く、悪い予感がします。

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ジョンの「ヴィアロナ」スタート地点のローヌ川。

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リヨンまで、この道で簡単に行けると思っていました。

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ヴィアロナの横を流れるローヌ川。

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ヴィアロナの標識は、出てきたり、こなかったり。こんな立派な標識は、いらないから、しっかり道案内を立ててほしいと、腹がたってきます。

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大きな湖のように広がるローヌ川。どうも、道は川沿いばかりとは、限らない様子。ローヌ川は、姿を見せたり、見せなかったりします。

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こんな太い道が、突然、行き止まりになったりします。

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リヨンまで、11km。
こんな標識が、たまに出てきます。しかし、こっちは、同じ道を、三回、堂々巡り。どこかで、道を間違えたのか、標識が出ていないのか?とうとうギブアップ。通るサイクリストを待つことにしました。

ジュネーブから、235km来ました。
地中海まで、365kmです。

そこへ、大人・子供合わせて、6人のサイクリストがやって来ました。リヨンまでの道を尋ねました。
「われわれも、リヨンの手前まで行くので、ついてきてください。」

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相手は、マウンテンバイクですが、その早いこと、早いこと!こちらは、死に物狂いで、追いかけますが、途中、二回見失いました。しかし、彼らは、待っていてくれました!胸にジーンときます。
途中、子どものマウンテンバイクがパンク。私は、正直、これで、一息つけるとホッとしました。

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パンクの修理中、ホッと一息ついている私。私は、ポンチョを着ています。
この道の先から、道が分からなくなり、標識の通り来れば、この道に出ます。ここを通るのは、これで、三回目です。
(この写真と上の写真は、私が帰国したら、かれらから、e-mailで届いていました。)

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パンク修理が終わったところで、記念撮影。
リヨンの手前までと言っていたのが、リヨンの街中まで、案内してくれました。手を振って、引き揚げてゆきました。どうもありがとう!

リヨンの街には、二本の川が流れています。ローヌ川とソーヌ川です。ローヌ川のほうから行って、ソーヌ川を渡った向こうに、フルヴィエールの丘というのがあります。その上に、ノートルダム寺院が聳えています。リヨンへは、何度か、行ったことがあるので、ユースホステルはすぐ分かるだろうと、たかをくくっていました。そのフルヴィエールの丘の途中にあるのです。

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ところが、ソーヌ川を渡ったところで、どっちへ行ったらよいのか、皆目、分からなくなりました。
そこへ、また、助け舟が現れました。
「どこへ行くのですか?」
英語で尋ねられました。
「ユースホステルです。」
「案内しましょう。ついて来て下さい。」
道中、話しながらゆきます。上手な英語を話します。
英語がうまいわけです。イギリス人でした。リヨンの企業相手に、英語の先生をしているそうです。リヨンに住んで、もう、数年になるとのことでした。
ユースホステルへ行く登り坂の途中まで、案内してくれました。
余りの急な登り坂に、私は、
「もう、ここで、結構ですから」
「この坂を、もう少し登れば、ユースホステルがあります。」
写真を一枚撮らせて貰って、別れました。
写真、左側の歩道を登ってゆけば、ユースホステルがあります。歩道に私の自転車を停めてあります。

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英語の先生は、坂を下って、帰ってゆきました。どうもありがとう!
この写真の坂が、大体坂の一番下にあたります。

リヨンのユースホステルの住所は、41-45 Montte du Chemin Neuf です。「新道の(登り)坂」という意味です。登り坂というからには、登り坂を予想していました。しかし、ユースホステルまで、100m以上もある、並大抵ではない、急な坂道です。途中、何度も休憩を入れて、自転車を押して、よじ登ってゆきました。

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ユースホステルの庭から見下ろしたリヨンの街。川は、ソーヌ川です。
汗を流して、高いところまで登ってきたかいがあって、見晴しは、抜群です。
訳あって、ここに三泊します。

今日の走行距離:54km。累計走行距離:944km。
道に迷って堂々巡りしたので、30kmくらいのところを、54km走ってしまいました。
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リヨンのユースホステル

6月30日(日) 23日目(1)

リヨンのユースホステル(以下YH)に三泊しました。
リヨンのYHについて、詳しくは、ここをクリック

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リヨンのYHの入り口。

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リヨンのYHの通りに面した壁。窓と道路が平行になっていません。坂道です。

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YHの庭。
前回紹介したように、YHは、Montee du Chemin Neuf という坂道の通りの途上にあります。坂道を登ってきた甲斐があって、その庭からの眺めは、素晴らしいものがあります。

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YHの眼下に、リヨンの旧市街があります。
「昔の街並みを残したまま都市建設を継続してきた、人類の建築史において傑出した例」として、世界遺産に登録されています。

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YHから、左側を望めば、クロワ・ルスの丘。

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部屋の窓からの眺め。

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眺めはいいのですが、部屋は、この通り。
6人部屋に、三泊して、常にフルでした。
キャンプでは、静かな屋外で、綺麗な空気を吸って、眺めのいい緑の芝生のシャトーの城主です。こういうところに入ると、収容所にでも入れられた気分になります。ここYHは、部屋の狭さ以外は、特に問題はないのです。眠るとき以外は、入らないようにしていました。

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YHの食堂。

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YHのバー・カウンター兼朝食用の棚。写真は朝食の食べ物・飲み物が置いてあります。

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YHのコーヒー。

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YHの駐輪場は、玄関脇にあります。夜になると、扉を閉めて、鍵がかかります。

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朝に、ちょうど、出発しようとしている女性に会いました。フランス人で、ヴィアロナを、アヴィニヨンまで行くそうです。日本には、この位の年齢の女性サイクリストは、余りみかけませんね。ましてや、一人旅です。

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YHの前の坂道を、颯爽と、下りてゆきました。

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YHの部屋には、できるだけ、居ませんでした。YHに居る時は、庭にいました。夕食は外食にしました。YHのビールは、17:00にならないと、出して貰えないのが、ちょっと寂しい。

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美しい、リヨンの街。YHの下に、サン・ジャンという通りを中心とした旧市街です。建物は、殆どが、16,17世紀のものです。旧市街に限らず、リヨンは、古くて、活気のある町だと感じました。歩いていても、自転車で走っても、面白い街で、見物していると退屈しません。
川は、静かに流れるソーヌ川です。

さて、リヨンに三泊したと言いました。いよいよ、次回より、その本題に入ります。(と言っても、期待しているのは、本人だけかもしれませんが?)

リヨンと荷風1

6月30日(日) 23日目(2)

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リヨンYH の生ビールと岩波文庫「ふらんす物語」。
生ビールは17:00になると、出して貰えます。リヨンYHの庭にて。

永井荷風に「ふらんす物語」という短編集があります。1907年7月から1908年5月までのフランス滞在の経験をもとに書いた短編集です。その間、最後の、1908年4,5月の二か月をパリにいただけで、残り八カ月は、正金銀行リヨン支店の職員として、リヨンに滞在していました。

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1907年前後(29歳頃)の永井荷風。

「ふらんす物語」は、荷風の日本帰国後、1909年に出版されました。しかし、「風俗を壊乱する」かどで発禁処分となりました。その後、何度も、部分的には出版されましたが、削除や修正のあとが、甚だしかったそうです。初版と同じ「ふらんす物語」として、一般読者の目に触れるようになったのは、1968年のことでした。
この本は、私の若い時分から読みたいと思っていた本ですが、読まないまま、いたずらに時が過ぎ、始めて手にして読んだのは、55歳の頃でした。それ以来、時々、本棚から取り出して読んでいる愛読書になっています。フランスで過ごした、荷風の青春の一冊です。

さて、2005年に驚くべき本が出版されました。荷風の「ふらんす物語」「西遊日誌抄」などをもとに、荷風のリヨンでの下宿その他の荷風関連場所を推理・特定した労作です
タイトルは、「荷風のリヨン」。
著者は、加太宏邦という方で、1941年生まれ。
出版社・出版年は、白水社・2005年です。
この本の圧巻は、荷風の下宿先の推定で、「ふらんす物語」の中の、下宿を出てから、荷風の歩く方向の記述から、場所を推定し、次いで、下宿人の人数などから、役所で当時の住民票のような書類を調べて、そのアパルトマンの裏付けをとるところです。

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「荷風のリヨン」

今回、リヨンを通過するに際して、是非、このアパルトマンだけでも見たいと思い、岩波文庫「ふらんす物語」一冊と「荷風のリヨン」に載っている地図のコピーを持ってきました。そのため、リヨンに三泊することにしたのです。

リヨン二日目、6月30日は、リヨン市内の荷風の下宿先その他足跡を辿ることにしました。そのため、自転車は使わず、徒歩にしました。

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「ふらんす物語」関連リヨン市内地図。(「荷風のリヨン」より)
泊まったYHは赤い△

リヨン三日目、7月1日は、荷風が好んで訪れた、リヨン郊外を訪ねることにしました。一番遠いところは、片道13kmあるというので、自転車で行くことにしました。
次回から、上掲地図を手にして、訪問した先々を紹介します。

リヨンと荷風2

6月30日(日) 23日目(3)

まず荷風の下宿と推定されるところを訪問します。

下宿屋の門口から直ぐ筋向こうに立っているサンポ―タンという寺院前の広場を横切ると、アブニュー・ド・サックスと呼ぶ大通りは、まだ宵ながら、手も凍え、耳も傷む冬の夜の寒さに人通り少なく、・・・」
(「ふらんす物語・除夜」より。多少表記を変えてあります。)
これが、鍵となる記述個所です。

「サンポ―タンという寺院」を目指します。

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ローヌ川にかかる歩道橋。この先に、サンポ―タン寺院が見えます。

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橋の名は、コレージュ歩道橋。

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橋を渡ってから見えるサンポ―タン寺院。そんな経験はありませんが、長い間会っていなかった恋人にでも会うような、興奮を覚えました。

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この通りの名前は、rue Bugeaud。

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そして、記述に出てくる、「サックスと呼ぶ大通り」。現在名、サックス元帥通りです。

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「ふらんす物語」関連リヨン市街図。(これと、下の2枚は、「荷風のリヨン」より)

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青年、壮吉(荷風の本名)の下宿付近の地図。ヴァンドーム通り113番地が本命の下宿です。

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サンポ―タン寺院と広場(エドガール・キネ広場)。広場は、現在では、柵で囲って、子どもの遊び場になっていました。

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サンポ―タン寺院から、広場の向こうに、rue Bugeaud を見る。
通りの向こう正面は、フルヴィエールの丘。

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ヴァンドーム通り。胸がドキドキしてきます。

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ヴァンドーム通り113番地。ここです。「とうとう来ましたヨ。荷風さん。」

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これが、本命のアパルトマンです。この5階です(フランス式で4階)。
「ローン河の低地を蔽(おお)い尽くす冬の霧に包まれて、日頃は眠れる如くに寂としたリヨンの市街(まち)も、今日はさすがに行く年の、夕暮れ近くからは殊更(ことさら)に、さまざまな街(まち)の物音、さながら、夜半(よわ)の嵐夕べの潮(うしお)の吠えるがように、薄暗い五階目の、閉切った吾が室(へや)の窓まで、響いて来るのであった。」(「ふらんす物語・除夜」)

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113番地の玄関。
「・・・旅人と独身者ばかり寄合う下宿屋では、別に変った事もない・・・いやいつもよりは、かえって寂しいような気がするのである。日頃、議論でテーブルを賑(にぎ)わす大学の書生連は、いずれも聖誕祭(ノエル)の休暇(やすみ)で、親元へ帰ってしまったので、残るは自分を入れて、僅か六人。」(「ふらんす物語・除夜」)

「荷風のリヨン」の著者は、この記述と役所の住民票を照合して、確かめます。

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113番地玄関の呼び鈴。「永井壮吉」の名前があるはずがないけれど、探してみます。

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アパルトマンの候補のひとつ。ヴァンドーム通り110番地。ホテルとレストランになっています。
ホテルは、AU LOGIS DE VENDOME(二つ星)、レストランは、LE VENDOME。

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しかし、この建物は、4階までしかなく、除外されました。

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ユースホステル(YH)には、あと2泊します。こちらのホテルに変ろうかと思いましたが、YHの前払いした宿泊代は返してくれないと言うし、荷物をまとめて引っ越すのも面倒だと思ってやめにしました。
リヨンを訪れる荷風ファンの方は、このホテルがあることを、記憶に留めておいたらいいでしょう。

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もうひとつの候補アパルトマン。ヴァンドーム通り116番地。

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エドガール・キネ広場で、青年、壮吉を偲びます。
立ち去り難し・・・

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エドガール・キネ広場。
青年、壮吉は、毎日、この広場を横切ったのでしょう。

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モラン広場(現リヨテ元帥広場)の噴水。

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モラン噴水の銘。
荷風がリヨンに滞在したのは、1907年です。

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ローヌ川にかかるモラン橋。
青年、壮吉の下宿からは、勤務先の銀行あるいは市街の中心へゆくのに、このモラン橋か、先述のコレージュ歩道橋を渡るのが、一番近いので、このどちらかを渡っていったと考えられます。
黒い屋根の建物は、オペラ座です。その向こうの屋根は、市庁舎です。
リヨン市街は、サイクリング・ロードが発達しています。

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モラン橋から見たクロワ・ルッスの丘。
「ふと、目についたのは、停まっている電車の横側には、いずれも、「今年のお名残、クロワルッスの大縁日ボーグ」と書いた広告の木札の下がっている事であった。
ボーグ。自分は夏中夕暮に散歩したソーン河畔の美しい光景を思い浮かべた。冬の来るのが、如何にも辛く悲しく感じられる。年中、同じ狭い室の中に閉じ込められ、同じ銀行の帳簿を、同じように繰りひろげている身の上がつくづく厭(いや)になった。・・・無宿浮浪の見世物師の境遇を、更に詩趣付(つ)けて思返した。彼らは燕とおなじよう、冬の来ない中に、暖かい、明るい南の国へ行くのだ。・・・」
(「ふらんす物語・蛇つかい」より)

以上、ローヌ川の左岸(東)を中心に紹介しました。次回は、ローヌ川とソーヌ川の間の、市街中心部を紹介します。

リヨンと荷風3

6月30日(日) 23日目(4)

今回は、ローヌ川とソーヌ川との間、市街中心部を訪ねます。北から南へ、テロ―広場⇒レピュブリック通り⇒ベルクール広場 周辺に主な舞台が集まっています。この順序で探してゆきましょう。

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ローヌ川とソーヌ川との間の、「ふらんす物語」関連地図。(「荷風のリヨン」より)

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上図の説明。(「荷風のリヨン」より)

1907年7月、荷風は、鉄道でパリからリヨンに到着します。夜の三時半でした。少しコースから外れますが、まず、荷風が、最初に投宿したホテルから探します。

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グラン・トテル・デ・テロ―。ランテルヌ通り16番地。荷風がリヨンの第一夜を過ごしたホテル。
「馬車で寝静まった街(まち)を過ぎ、河岸(かわぎし)のとあるホテルの一室に入ったが、自分は寝る前に、しばし、このあけやすいヨーロッパの暁(あかつき)の空を見ようと、バルコンの窓を明けると、遠く、小鳥の囀(さえず)る声・・・」

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「都の夜明けに鳥の歌う声を聞くとは、ニューヨークから来たものの耳には、実に何たる不思議であろう。」
(「ふらんす物語・船と車」より)

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赴任した時は、銀行の駐在員らしく、四つ星(現在)のホテルです。

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テロ―広場の噴水。
「・・・市中の処々(しょしょ)に設けてある広い四辻・・・噴水や銅像や、樹木のある広い四辻に佇めば、家路を急ぐ人の影のみ、際立(きわだ)って黒く、木の間に動き、空は一刻一刻に暗くなりながら、まだ消え去らぬ悲しい黄昏の光に、星は見えず、しかし地上の燈火(ともしび)は、早や初夜らしい光を放って、樹(き)の影をば黄(きば)みかけた芝生(しばふ)の上に投げかけている。・・・」

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海に向かう大河を象徴しているそうです。

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もうひとつの噴水とカフェ。

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テロ―広場のメゾン・ド・ラ・プレス(新聞雑誌ほかの売店)。ここで、下の写真のガイドブックを買いました。(これは7月30日の写真)

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フランスのキャンピング・キャラバニング公式ガイド 2013年版。フランスの殆どすべてのキャンプ場が載っているので、一冊持っていると便利です。今回53日の宿泊のうち、到着のチューリッヒ空港、ここリヨン、そして、最後のパリ空港以外、すべてキャンプ場でした。

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リヨン市庁舎。

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黒い屋根が、オペラ座。その向こうの屋根は、市庁舎。
荷風の下宿を出て、モラン橋を渡れば、このオペラ座があります。
「われは君を愛す。ローザが腕よ。ローザが胸よ。ローザが腿よ。ローザが肩よ。おお、ローザ。トリアニ。リヨンのオペラ座、第一の舞姫。ローザ・トリアニ。」
(「ふらんす物語・橡(とち)の落ち葉・舞姫」より)

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横浜正金銀行リヨン支店。植木の後ろ、紫色っぽいバルコンのある建物。
「1907年夏、横浜正金銀行雇人として、米国を去って仏蘭西(フランス)に赴き、ここに留まる事僅かに十一カ月半なり。」(「ふらんす物語・序」より)

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銀行正面入り口。
「本書収るところの小編は、当時の印象を失わざらんがため、銀行帳簿の陰、公園路傍の樹下、笑声弦歌のカッフェー、また帰航の船中に記録したるを、帰国の後修正したるもの多しとす。前著米国小話集の名題にならいて、ふらんす物語と称す。」(同上)

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この界隈は、銀行がかたまっています。この建物は、現在、リヨン市役所の一部になっていました。

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銀行の所在地は、アルブル・セック通り19番地です。

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テロ―広場を出て、レピュブリック通りを下ってゆくと、リヨン株式取引所がありました。
その入口前の彫刻。
「リヨン市を過ぎた人は、街の中央に立つ株式取引所の入り口なる、左右から昇る大階段の正面に、裸体の男女の身をからませて泳ぎ行く大理石の彫刻を見たであろう。」

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「あの、筋骨逞(たくま)しく、恐ろしい顔した男は、ローンの急流を示し、・・・」

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「後向きに髪もしどろ、溺(おぼ)るる如きさまを見せた女の姿は、ソーンの流の心を示したものである。ソーン河は女性である。」

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「その流れは巴里なるセーヌの如くに穏やかで、岸辺の景色もそれに劣らず美しい、愛らしい。」
(「ふらんす物語・蛇つかい」より)

実際の川の姿も、荷風の言う通り、ローヌは男性的であり、ソーヌは女性的です。文法上も、ローヌは男性名詞で、ル・ローヌ、ソーヌは女性名詞で、ラ・ソーヌと言います。上掲の彫刻全体を写した写真の下に、そのようにタイトルがついています。
ちなみに、セーヌ川は女性で、よく御存じの、ラ・セーヌです。

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株式取引所入口の一部。

つづく