ViaRhona 山中のスイス・フランス国境

6月25日 18日目(1)

さて、ジュネーブのキャンプ場を出発。ヴェズナからジュネーブへの坂道を、調子よく駆け下りてきます。まずは、モンブラン橋に出ます。

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レマン湖から、モンブラン橋の下を通って流れ出た水は、再び、「レマン湖」から「ローヌ川」へと名前を変えて、街の中を、勢いよく流れてゆきます。

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ヴィルヌーブ付近で、レマン湖東端に流れ込んだローヌ川は泥だらけでした。レマン湖の中を、西端まで流れて、ジュネーブでは、こんなにきれいに青く澄んだ水になって、流れ出て行きます。これが、地中海まで、流れて行きます。

それはともかく・・・
ジュネーブを出るサイクリング・ロードを地図を見ながら辿るのですが、大都市の道のことなので、よく分かりません。地図は、インターネットの ViaRhona のホームページの地図を、10万分の一位に拡大して、持ってきました。道がよく分からず、参ったな、と思いながら、また、モンブラン橋の方へ引き返しました。

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すると、車道脇のサイクリング・レーンに、見覚えのある、ローヌ川サイクリング・ロード1号線の、赤い標識があるではありませんか!この時の嬉しかったこと、地獄で仏とは、このことです。パーと目の前が明るくなりました。
「スイス1号線の公式ガイドブック」でも、「bikelineのスイス・ローヌ川サイクリング・ロード・マップ」でも、スイス・ローヌ川サイクリング・ロード1号線の終点は、ジュネーブ駅(コルナヴァン駅)になっています。そのために、ジュネーブ駅から先(フランス方面へ)には、公式のローヌ川サイクリング・ロードはないものと、早合点していました。そのため、1号線の標識は無いものだと思って、全然、探しませんでした。
標識に張り紙がしてあって、消されていますが、張り紙の下には、日本で、インターネットで見ていた、フランスのローヌ川サイクリング・ロード、「ViaRhona ヴィアロナ」のマークまで、あるではありませんか!
いままでのように、再び、この1号線の標識に従って行けばよいのです!

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勇気が出てきたところで、まず、モンブラン橋から、ローヌ右岸を行き、標識に従って、この橋を渡ります。

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1号線の標識に従って、ローヌ左岸をゆくと、トンネルがありました。これを、潜り抜けます。

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初めて、フランスのサイクリング・ロード、ヴィアロナ(ViaRhona 略してVR)の標識も一緒に、ちゃんと出てきました。前途洋々といった気分です。
標識に従ってどんどん行くと・・・

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今度は、登り坂です。標識は、迷路を案内するように出てきます。標識なしに、地図だけで、進むのは、困難でしょう。逆に言えば、よく用意された標識です。

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シャンシーという町が、スイス・フランス国境のスイス側の街です。あと16kmです。
コンフィニヨンという町まで、ジュネーブから、家並みが続いていました。ジュネーブから、約20kmあります。

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コンフィ二ヨンの隣町、ベルネから、郊外といった感じになり、畑が出てきました。

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ここから、ローヌ川の谷(正面突き当り)へ向かって、かけ降りてゆきます。(実際は、ブレーキをかけて、時速30kmほどのスピード)

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ローヌ川にかかる橋が工事中。しかし、歩行者と自転車は渡ることができます。

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橋の下はローヌ川。「釣り禁止」と書いてあります。

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道が、二本に分かれています。行く先は、同じです。シャンシーまで、左へ行けば8km、右へ行けば9km。左への道には、マウンテン・バイクの絵が描いてあります。この絵の道を行って、スイス・アルトシュテッテン付近で酷い目に会いました。鬼門です。急がば回れで行くことにしました。

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スイス国境の町、シャンシーを過ぎると、しばらく家のない山の中へと登って行きます。すると、スイス・フランス国境がありました。

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国境を出れば、フランスのオート・サヴォア県です。
車もほとんど通らない、人里離れた、山中(さんちゅう)の国境です。ここまで来るのに、山道を随分登ってきました。

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スイス・フランス国境線。舗装状態が違っています。手前がフランスです。

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フランスの標識。
フランスに入って、スイスの、あの赤い標識がなくなりました。
「レマン湖から海へ」と書いてあります。「海」とは、地中海のことです。
残念ながら、フランスのローヌ川サイクリング・ロード「ヴィアロナ」は未完成です。まだ、全体の30%ほどしか、できあがっていません。この国境からのサイクリング・ロードは、出来上がっているはずなのですが、ありませんでした。見落としたのかも、知れません。しかし、他の二人にも聞いてみましたが、無かったと言っていました。おそらく、まだ出来ていないのが実情のようです。
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ヴィアロナ:セセル(セイセル)のキャンプ場

6月25日 18日目(2)

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自転車を押して、こんなに高いところまで、登って来ました。
スイス・フランス国境を過ぎても、引き続き山の中を走ります。フランスに入って、最初に出てくる村が、ヴァルイリ―というところです。フランスに入って、山を二つか三つ、越さなければなりません。

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フランスに入ると、自転車用の標識が、少なくなります。ほとんど、当てにできません。そこで、地図の一般道路番号と照らし合わせながら走ります。この日は、ヴァルイリーから、D23 - D908A - D192 - D992 という具合です。それでも、今日の道は、車が殆ど通らないので、余り怖い思いをしないで、来ることができました。

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フランスの一般道路標識。きょう辿り着きたいキャンプ場のある町、セセル(または、セイセル)の名前が、ようやく出てきました。

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セセルへ、一般道路のD992号線です。下部に、自転車道路のマークも出てきました。

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セセル近くのローヌ川。
道は平たんではありませんが、ようやく自転車に乗って走ることができる状態になりました。
セセルの手前では、自転車専用道路も出てきました。

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セセルのキャンプ場、Camping le Nant Matraz au bord du Rhone。(←詳しくは、ここをクリック)

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ローヌ川とセセルの町を見下ろす、眺めのいいキャンプ場です。横を、サイクリング・ロードが走っているので、たまに自転車が通ります。

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テントを張って、そして、一杯のビール。キャンプ場のスナック・レストランにて。

今日の走行距離:68km。累計走行距離:753km。

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テントは、川の見える一区画を割り当てられました。近くに、車もいないので静かです。
写真で分かる通り、セセルの町は、ローヌ川の両岸、ふたつに分かれています。面白いことに、左岸(泊まったキャンプ場のある側)のセセルは、オート・サヴォア県で、右岸のサヴォアは、アン県と、それぞれ、県が異なります。

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キャンプ場の貸しバンガロー(フランス語で、Chalet シャレと言います)。
上に紹介した、キャンプ場のホームページを覗くと、値段がでています。ハイ・シーズンで、3人用が、一晩50ユーロ(6500円くらい)、1週間300ユーロ(39,000円位)だそうです。こんなところに、1週間のんびり滞在するのもいいですね。二人なら、高くありません。次のように、周りには、なんでも揃っています。

キャンプ場の周りの地図:
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1 キャンプ場
2 キャンプ場のレストラン
3 町
4 スーパー、ガソリン・スタンド
5 セセル駅
I サイクリング・ロード「ヴィアロナ」とサンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼路(赤い線)
J セセルのブドウ畑

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キャンプ場には、こんな大きな貸しテントもあります。
右側の白い建物が、トイレ・シャワー室です。

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キャンプ場のトイレへの標識。切迫感がありますね。

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キャンプ場の和式(?)トイレ。今後ずっと、30%くらい、このトイレでした。但し、洋式トイレも大体併設されていました。
また、フランスのキャンプ場のトイレは、紙がついていないところが多くなります。トイレに行くのに、常にトイレット・ペーパー持参、という難点があります。

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キャンプ場の向かいにある、ガソリン・スタンド。レギュラー、1.527ユーロ(約200円)。高いですね。
大きなスーパーもあって、買い物に便利です。

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珍しく、私より早い先客がいました。普通、私は15:00~16;00には、チェックインするので、私が一番乗りのことが多いのですが。
彼は、ドイツ人で、コブレンツからバルセロナまで行くそうです。

また、ジュネーブで出会ったドイツ人父子二人組サイクリストが、私より遅く到着しました。前日、ベルリンからジュネーブ駅に着き、フランスに向かって走っているところでした。モンブラン橋付近で会いました。
「ジュネーブから出る道が複雑で、二日かかってしまった」と言っていました。
ベルリンから到着したばかりで、1号線の標識に気が付かなければ、ジュネーブ脱出は、難しかったでしょう。

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先客のドイツ人が、道の選び方を、いろいろ教えてくれました。彼が言うのには、曲がっている道はアップダウンが多い、真っ直ぐな道のほうが、アップダウンが少ない。川に近い、そのような道を選んで行くのがよい、とのことです。成程、大体、そうかもしれません。地図は、ミシュランの20万分の一のものがよい、向かいのスーパーで売っているので買うとよい、と勧められました。
ベルリンから来た父子も一緒に、聞いていました。かれらは、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステラのフランスでの起点、ル・ピュイまで行くそうです。翌朝、早速、そのドイツ人父子とともに、向かいのスーパーへ行って、ミシュランの20万分の一の地図を買ってきました。

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ミシュランの地方別地図(20万分の一)。この日、買ったのは「523」です。
ミシュランには、このほかに、県別地図(15万分の一)などがあります。
どちらにも、自転車専用道路が載っているので、非常に役に立つ地図です。

私は、インターネットで、ヴィアロナの地図を10万分の一くらいに拡大したのをコピーして持ってきました。しかし、きょう、走っていて、余り当てにはできないなと疑問を持ち始めていたからです。どのあたりをサイクリング・コースとして想定しているのかを見るのには、参考になるのですが。

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そのドイツ人講師の自転車。スポーク全部に反射板がついています。

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ダイエット食事。今回は、野菜サラダ中心の食事で、かつ、小食にしてみました。4㎏痩せました。帰国直後の健康診断で、血糖値・悪玉コレステロール・高血圧、すべて正常値になっていました(但し、薬を服用して)。再び、もとに戻るのも、時間の問題?

セセルの白鳥号

6月25日 18日目(3)

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セセルのキャンプ場。

「ぼくらはセセルについた。この町は、まん中を川が流れていて、その上に、つり橋がかかっている。ぼくらは川べりにおりていった。なんとおどろいたことに、遠くに、どう見ても白鳥号らしい船があるではないか!」
(偕成社文庫「家なき子」より)

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「白鳥号」(偕成社文庫「家なき子」エミール・アントワーヌ・バイヤールの挿絵)
これを、馬に曳かせて運河や川を航行したのです。ローヌ川のように、流れの早い川では、大変だったでしょう。

セセルは、「家なき子」の舞台でもあります。
家なき子、レミ少年は、ミリガン夫人を追って、ここまで来ます。物語は、もう大詰めです。

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キャンプ場から見た、ローヌ川とセセルの町。

セセルから上流は、ローヌ川の流れが速く、船は航行できません。
家なき子、レミ少年はそれを知りませんでした。ミリガン夫人一行は、白鳥号に乗って、ジュネーブまで行ったのだと、思っていたのです。セセルの港の船の管理人から、ミリガン夫人は、ここに、白鳥号を預けて、ヴヴェイに向けて、「メイドさんと四輪馬車でたって、ほかの召使いは、荷物をもってあとからいったよ」と、教えて貰います。
ミリガン夫人の行く先が確認できました!レミ少年も、「ヴヴェイめざして、さあ出発だ!」
物語に出てくるように、写真の橋も、つり橋です。ただ、これが、レミ少年の見た、つり橋と同じものかどうか、橋の年代を調べていないので分りません。

セセルの町は、山の中に忽然(こつぜん)と現れた感じです。なぜ、ここに、こんな大きな町があるかというと・・・
ローヌ川は、ローマ時代の昔から、マルセイユやリヨンと、ジュネーブを結ぶ、交通の大動脈でした。ところが、先に説明した通り、セセルから先へは、船では航行できません。セセルから先へ貨物を運ぶためには、ここで、馬車に荷物を積み替えなければなりません。また、逆に、ジュネーブ方面から来た馬車の荷物は、セセルで船に積み替えました。このように、貨物の積み替え場所として、セセルの町は、発展したということです。

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現在は、セセルのすぐ上流に、水力発電所があり、船の航行は、全く不可能です。
(これは、たまたま、道を間違えて、川岸へ向かったら、ここにぶつかりました。行き止まりで、また、引き返しました。)

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現在のセセルの港。
遠くまで、くまなく辺りを見回して、白鳥号を探しました。しかし、とうとう、その姿はありませんでした。
向こう岸は、アン県のセセル。

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こちら側は、オート・サヴォア県のセセル。標高255m。

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セセルのサンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼路(ホタテ貝のマーク)。
レミ少年も、リヨンから、この道を辿って来たのでしょう。

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ジュネーブからリヨンまでのヴィアロナ概略地図。
私の宿泊先は、次のとおりです(地図上の赤い△)。
・6月23,24日 ジュネーブ Geneve
・6月25日 セセル Seyssel
・6月26日 ミュール・エ・ジェリニュー Murs-et-Gelignieux(地図のM)
・6月27日 ラ・バルム・レ・グロット La Balme-les-Grottes
・6月28日 ヴィレット・ダンタン Villette-d'Anthon(地図のV)
・6月29,30日、7月1日 リヨン Lyon

レミ少年の場合は、逆に、リヨンからジュネーブ、そして、ヴヴェイまで、このコースを辿ったでしょう。
・太い緑の線が、サイクリング・ロード完成済み(または、車道脇にサイクリング・レーンのあるもの)
・薄い緑の線が、未完成。
(注)ジュネーブからセセルまで、「完成」になっています。しかし、前にも触れた通り、フランスに入ってからは、一部、サイクリング・レーン(車道脇に設けられた、自転車用道路)はありましたが、サイクリング・ロードは、見つけることが出来ませんでした。

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ヴィアロナの概略地図の表紙。内容は、ひとつ上の写真の地図です。キャンプ場や観光案内所で貰うことができます。(自転車旅行をしていると、大体、キャンプ場のレセプションで、「これを持っていますか?」と言って、出してくれます。)

美しいシャナの村

6月26日(水)19日目

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セセルを出て、ローヌ川も大河の風格を出してきました。
きょうは、セセルから、ミュール・エ・ジェリニュ― Murs-et-Geligneux という(覚えずらい名前の)ところまで行く予定です。

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ジュネーブからリヨンまでの、ヴィアロナ。
ミュールは、△M の印のところです。

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一般道路D991号線では、こんなに細いサイクリング・レーンがありました。これで、地図上では、「ヴィアロナ完成」個所にされているのですから、フランスらしいですね。

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同じく、D991号線を走っているとき、対向車線からきたサイクリストが、私のところに来て、いろいろと話しかけてきました。
彼も、長距離サイクリングをやるので、興味があるのです。(自転車の荷台等その仕様になっています)いろいろと教えたり、教えられたり。スイスのメーレルのキャンプ場で出会った人にも言われたように、かれもまた、ミディ運河について、
「道が細かったり、木の根ででこぼこだったり、工事中だったりで、よくないので、やめた方がよい」
と言われました。
「特に、ベジエからカステルノーダリが駄目だ」
とも言っていました。
悪くともなんでも、私の目標の道なので、参考意見として聞いていました。後日、実際に走って見て、その意味が、よくわかりました。
こうして、初対面の人と、道で出会って、旧知のような話ができるのですから、自転車旅行というのは、面白いですね。

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ここは、車道です。この先、ヴィアロナが出てくるという案内です。
「P」のマークは、ヴィアロナの入り口に、駐車場があるので、自転車を積んでいる車は、そこに駐車して、ヴィアロナをサイクリングできるという意味です。

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これは、ヴィアロナに入ってからの標識です。完成している道は、道も標識も素晴らしいのですが・・・なにしろ、まだ30%しか、完成していません。それでも、この日は、この標識に出ているシャナで、橋の工事で迂回させられた以外、スムーズに来ることができました。

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このフランスのサイクリング・ロードのゆったり感。

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突然、美しい川沿いの家並みが現れました。シャナです。(上掲地図 Chanaz 参照)


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ホテルやレストランが並んでいます。

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あとで、この川は運河だと、知りました。ローヌ川と、近くにある大きなブールジェ湖を結ぶ、サヴィエール運河です。
この季節、キャンプは、勿論ですが、ホテルでも、レストランでも、朝食、昼食、夕食、みな、外で食べたり、飲んだりするのがいいですね。

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貸しバンガローもあります。

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運河沿いに、ズラリ並んだテーブル。
この村は何だったのだろう?今、このシャナをインターネット(注)などで、調べてみました。正確なことは分かりませんが、紀元前1世紀の頃から、イタリアとリヨンを結ぶ街道に位置した街道町てあったようです。また、近くに、ブールジェという大きな湖があって、そことローヌ川とを結ぶサヴィエール運河沿いにあることも、現在の観光レジャー基地の一因になっているようです。
ヴィアロナのマップには、「サヴォアの小ヴェネチア」と謳ってあります。
この日、見た限りでは、船に乗った観光客が、ブールジェ湖からきて、ここの景色を楽しみながら、食事をしているといった感じでした。

(注)流浪(さすらい)の旅で、インターネットで、日本と交信しようとは思いませんが、インターネットのWikipediaや地図を調べるのに、あれば便利だろうなと痛感しています。しかし、なにしろ、新しいものが苦手なので、なかなか、手が出ません。今年、タブレットを持って行こうか、さんざん迷いましたが、使いこなせないだろうと、結局、持っていきませんでした。来年に備えて、そろそろ、準備しなければとは思っています。

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シャナの家並み。ワインやビールの産地でもあるようです。

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ここを通り過ぎると橋に出ます。その橋が工事中です。通行禁止の看板がでています。回り道の案内がありません。
夫婦連れのサイクリストも立ち止まっています。近くをサイクリングしているので、通行止めを、余り気にしていない様子です。奥さんのほうが、私に向かって、
「通してくれるかもしれないから、工事現場を通って行って、聞いてごらんなさい」
と気軽に言います。極めて、楽天的です。私も、楽天的に、それに乗っかりました。自転車を押して、工事中の現場に入って行きました。工事の親方みたいのが出てきて、怖い顔で、あっさり追い払われてしまいました。

さて、迂回路は?
地図を見ると、一般道路のD921 しかありません。一旦、シャナに戻って、D921を探します。D921は、この写真、中央上部,山の中腹にある家並みの道です。また、登りとなりました。現実は厳しいことを知りました。

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しばらく、一般道を走っていると、また、ヴィアロナの案内が出てきて、一安心。
いよいよ、リヨンの名前も出てきました。

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再び、ローヌ川の流れに出会います。

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ヴィアロナを挟んで、ローヌ川と反対側にあった池(?)

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ローヌ川の行く手に、巨大な岩山が立ちはだかっています。

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ローヌ川は、これを突破できず、上掲の地図をみても分かる通り、鋭角に曲がって、南西から北西へ進路を変えています。

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今日のキャンプ場。ile de la comtesse (伯爵夫人のキャンプ場です。(←詳しくは、ここをクリック)何故、伯爵夫人のキャンプ場というのか、いわれを、聞き損いました。
キャンプのメリットのひとつは、大体このように、サイクリング・ロードとキャンプ場が、一緒になっていることです。

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駆けつけ一杯。きょうのは、フランスの正統派、クローネンブール。
フランスの生ビールの注(つ)ぎ方の素早いこと!ドイツの1/5の時間でやっちゃうのではないでしょうか。

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きょうの敷地。向こうに、ローヌ川が見えます。

きょうの走行距離:62km。累計走行距離:815km。

リヨンの虐殺者クラウス・バルビーと「イジューの家」

6月27日(木)20日目(1)

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舌を咬みそうな、ミュール・エ・ジェリニューのキャンプ場を出発です。

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ヴィアロナのロゴマーク。
「ヴィアロナ
 レマン湖から地中海へ」
ヴィアロナがキャンプ場の前を走っています。

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リヨンまで、130km。あと、2,3日の距離です。

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少し走っていると、突然、急激に冷えてきました。持っている全衣装を着こみます。

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ブレ二エ・コルドンのパン屋さん。
最初に、ブレ二エ・コルドンという町に入りました。そこに、パン屋さんがあったので、バゲットを一本買いました。スイス・フランス語圏に入って、バゲットを食べて、おいしいと思いました。一昨日、フランスに入って、セセルのスーパーで買ったバゲットは、もっとおいしいと思いました。やっぱり、フランスのバゲットはおいしいと。きょう、このパン屋さんで買ったバゲットは、それよりも、もっとおいしいバゲットでした。どうして、こんなにおいしいものが作れるのかと、不思議に思う程です。

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パン屋さんを出て、道の反対側を見ると、なにか記念碑がありました。
そこに、クラウス・バルビー(1913―1991)という名前を見つけました。第二次大戦中、ドイツ・ゲシュタポのリヨン地区責任者で、「リヨンの虐殺者」と言われています。フランス・レジスタンス運動の指導者、ジャン・ムーラン(1899-1943)を死に至らしめた人物として、知っていました。

Wikipediaには、次のような説明があります。

「・・・1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、1942年にはドイツ占領下のオランダに赴任した。
その後、・・・ディジョン、リヨンにゲシュタポの治安責任者として赴任する。1945年5月の終戦までの間に、ヴィシー政権下のリヨンで反独レジスタンスを鎮圧する任務に就いており、8,000人以上を強制移送により死に追いやり、4,000人以上の殺害に関与し、15,000人以上のレジスタンスに拷間を加えた責任者とされている。しかし実際には、この数字をはるかに上回る数のレジスタンスのメンバーやユダヤ人を虐殺した責任者と考えられている。また、孤児院に収容されていた44人の子供の虐殺に対する責任者ともされたほか、レジスタンス指導者だったジャン・ムーランを逮捕し死に追いやったとのちに供述している。」

上掲の記念碑に、「イジュー Izieu の家」の、44名のこども、所長ひとり、先生5名を、1944年4月6日、強制収容所へ送り、殺害した」とありますから、上記のWikipediaにある、「44人の子供」の説明と同じものでしょう。私の生まれる、ちょうど1か月前のことです
記念碑に書いてある、「イジューの家」maison d'Izieu の詳細については、ここをクリック。
英文でも見られます。当時のユダヤ人の子供の運命について、詳細に書かれています。
44名の子供は、ユダヤ人で、最終的に、大部分はアウシュビッツへ送られたということです。

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同じところにあった記念碑。
イジューは、パン屋さんのあるブレ二エ・コルドンから、北へ3キロほどのところにあります。
いよいよ、リヨンが近づいてきたなと実感しました。

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Izieu は、地図の△Mの△の上に出ています。

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「イジューの家」のポスター。「抹殺されたユダヤ人の子供の記念」(Wikipediaより)

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「アン県とオー・サボア県のレジスタンスと強制収容の歴史」の県立博物館のポスター(Wikipediaより)

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クラウス・バルビーについては、「敵こそ、わが友」という映画があるようです。私は、まだ見ていませんが、2007年のフランス映画で、「その生涯を追ったサスペンス・タッチのドキュメンタリー映画」だそうです。
10年ほど前に、テレビで、ジャンヌ・モローがナレーションをした、同じ種類の映画を見た記憶があるのですが、インターネットでも見つけることができません。5,6時間におよぶ長い映画だったと思います。確かに見た覚えがあるのですが、なにかの誤解かもしれません。