巡礼宿「カサ・マムレ」の意味が分かった!

今年7月1日、スペインのハッカで、「カサ・マムレ(マムレの家)」という巡礼宿に泊まりました。そこの管理人、ホセさんに、マムレとは、どういう意味か尋ねました。聖書の中の言葉だということはわかりましたが、それ以上のことは分かりませんでした。
(次の記事参照)
いざ、サン・ファン・デ・ラ・ペーニャへ!←ここをクリック。
DSC1502494.jpg
巡礼宿、カサ・マムレ(カサの家)の入り口表札。

昨年から、サンチャゴ巡礼の道を歩くようになって、たくさんの大聖堂や教会、修道院などを訪れるようになりました。その際、そこに飾られた聖書の話などに触れる機会が、当然多くなります。聖書については、子供の頃、「十戒」や「天地創造」などの映画で、少し知っているくらいで、詳しい内容は、殆ど知りません。今年(2015年)、巡礼から帰ってきてから、簡単な、子供向けの聖書物語を読んでみました。この本を読んでいたら、文中に、「マムレの木」という言葉をみつけました。こういう話です。

・・・イスラエルの民の最初の指導者が、アブラハムです。「十戒」のモーゼより、ずっとずっと古い話です。
暑い真昼の時のことでした。アブラハムが、マムレという土地の、自分のテントの外に立っていた時のことです。そばには、樫の木が影を落としていました。そこへ、三人の見知らぬ旅人がやってきました。アブラハムは、妻のサラとともに、その旅人をたいそうもてなしました。すると、その旅人は、アブラハムの妻、サラに子供が授かるだろうと言いました。
当時、アブラハムは、100歳(?)、サラは90歳(?)。それまで、サラには、子どもがありませんでした。サラは、まさかと言いましたが、その後、サラに子供が生まれました。それが、二代目のイスラエルの指導者、イサクです。・・・

巡礼宿の名前「マムレの家」には、こんな話があることがわかりました。インターネットで、「マムレの木」と検索するだけでも、説明が出てきます。有名な話なのでしょう。聖書を知っている人であれば、マムレと聞けば、「もてなし」というニュアンスが思い浮かぶことでしょう。納得がいきました。

DSC1502484.jpg
「カサ・マムレ」の管理人、ホセさん。受付にて。
スポンサーサイト

「愛の嵐」と帝国橋

映画「愛の嵐」と帝国橋:「ウイーン」補遺。

ちょっと、自転車の話から、話題がそれます。

「ウイーン」のところで、映画「愛の嵐」と帝国橋のことを書きました。

ainoarashi_20120419180836.jpg
映画「愛の嵐」のポスター。1973年製作。

ainoarashi3_20120419181047.jpg
映画のストーリーは、第二次大戦後12年経った、1957年のことです。ダーク・ボガードとシャーロット・ランプリングのふたりは、映画のラスト、この格好で、夜の明けやらない帝国橋を歩きます。既に、この時は歩く亡霊です。なぜこのような恰好をしているかは、見てのお楽しみ。

戦後、帝国橋が崩壊したと、ぼんやり記憶にあったものですから、帝国橋のことを、インターネットで調べてみました。すると、面白いことがわかりました。以下、Health Monitoring System of the Bridge(帝国橋保全モニタリング・システムとでも訳しておきます)のホームページより。

橋は。1868年、時のオーストリア皇帝フランツ・ヨゼフ一世の命によって、1872年から76年にかけて建設されました。

history1.jpg
1872年に完成した橋は、フランツ・ヨゼフ一世の息子にちなんで、「ルドルフ皇太子橋」と名付けられました。シェーンブルン宮殿のグロリエッテから、シュテファン大聖堂、プラーターシュテルンを通り、ドナウ河までを線で結ぶような位置にあります。

450px-Stadtplan_Wien.gif
この地図のDがドナウ河、NDが新ドナウ河です。C(聖シュテファン大聖堂)とG(プラーターシュテルン)の延長上のドナウ河に、帝国橋が架かっています。

1919年に、帝国橋と言う名前に変えられました。
1918年、第一次世界大戦が終了し、オーストリア帝国が消滅したためと考えられます。

history3.jpg
その後、橋に破損が見つかり、1934年から37年にかけて、新しい橋に架けかえられました。鎖による吊り橋です。車片側二車線、路面電車線路、両側に歩行者通路があったそうです。これが、映画の二人が歩く道です。

この橋が、1976年に崩壊してしまいます。

history5.jpg
帝国橋の崩壊。

history7.jpg
当時、一時間に、車が一万八千台通る、交通の激しい橋ですが、幸いその時は、車が少なく、乗用車の運転手一人が亡くなっただけだそうです。

history8.jpg
1977年に、新しい橋が再建されて、現在に至っています。
1982年には、メトロも開通し、橋の中程に、「ドナウ島駅」があるそうです。ドナウ河と新ドナウ河の間がドナウ島です。
帝国橋は、古いウイーンの市街と新しいウイーンを結ぶ重要な橋です。

2008europecycling4 017
帝国橋のサイクリング・ロード。これは、私が2008年に撮影したもの。

映画「愛の嵐」は1973年の製作です。帝国橋崩壊(1976年)の前ですから、ここでロケすることは可能でした。実際にロケしたのか、セットなのか、確認できませんでした。

charlotte20rampling003.jpg
女優シャーロット・ランプリング。
他に、探偵フィリップ・マーロウの映画「さらば愛しき女(ひと)よ」しか見ていませんが、画面に出て来るだけで、妖しい雰囲気が漂う不思議な女優です。

ウイーン(オーストリア)

Europe 2005 IV 056a
ウイーン郊外で会った、ドライジーネの自転車。詳細後述。

ウイーン(ドイツ語 Wien、英語 Vienna)、オーストリア: ヨーロッパの地名の由来 その15

ウイーンには、紀元前にケルト人の集落がありました。紀元後50年頃、ローマが軍の駐屯地をつくりました。これが、ヴィンドボーナ Vindobona と呼ばれていました。bona は、ケルト語で「町」という意味のようです。vindoのほうは、正確な由来が分かりません。ケルト語で、「白い」を意味するようですが、そうすれば、「白い町」という意味になります。9世紀の文献に、ad Weniamという名前が見られ、このように変化してきたものと考えられています。

450px-Stadtplan_Wien_20120419152440.gif
ウイーンの地図。Wikipediaより。
C:  中心街
D: ドナウ河
CD: ドナウ運河
ND: 新ドナウ河
OD: 旧ドナウ河
K: ウイーンの北、K方面へ17キロ行くと、クロスターノイブルクに、立派なキャンプ場があります。そこから、サイクリング・ロードを通って、自転車でウイーンへくることができます。また、キャンプ場の前に鉄道の駅がありますから、それを使ってウイーンへでることもできます。ウイーンでは自転車の盗難に注意!とよく言われるので、美術館見学など自転車から離れるような場合は、鉄道のほうが無難です。

609px-Wien_3_Wappen.png
ウイーン紋章

Europe 2005 IV 055a
クロスターノイブルクのキャンプ場。写真の歩いている隣のテントの女性から、72時間有効のウイーン行きの切符を貰いました。あと一日分使えるけれど、もう使わないからと言うのです。キャンプ場で気を付けて見ていたら、ここに連泊して、(おそらく)ウイーン見物に行くキャンパーが結構いました。

Europe 2005 IV 055j
私は、リング(運河から運河まで、半円を描いて、ウイーン市街を周回する環状線)を自転車で走ってみたかったので、クロスターノイブルクから自転車ででかけました。
写真右側が歩行者通路。
ついで自転車道路。
更に左に、自動車道路、路面電車と続きます。自動車道路には、観光馬車もよく走っています。

Europe 2005 IV 055i
マリア・テレジアの銅像の前を走る馬車。

Europe 2005 IV 055k
ちょうど、ツール・ド・オーストリアの最終戦、ウイーン市内周回コースが始まるところでした。オペラ座の前で、見物することにしました。

Europe 2005 IV 55l
デモ・カーがばら撒いていった帽子を拾って、喜ぶ四人組。

Europe 2005 IV 055ma
シャーーーーーーーと音を立ててやってきました!

Europe 2005 IV 055mb
シャー――――――!

Europe 2005 IV 055n
シャーーーーーーー!

Europe 2005 IV 055s
プラーター公園。映画「第三の男」に出てくる大観覧車。上掲地図のGのところに観覧車のマークがあります。
ウイーンという町に最初に注目したのは、この映画を見てからでした。

2008europecycling4 029
ウイーンの大観覧車。

第三の男
映画「第三の男」のポスター。

cf_05.gif
「第三の男」の一場面。

Europe 2005 IV 055u
プラーター公園で、夜、野外映画祭が開かれていました。向こうに大観覧車が見えます。パンフレットを貰ったら、「第三の男」の上映は、7月9日。きょうは、7月11日。二日遅すぎました!大観覧車を見ながら、「第三の男」を見たら、よい思い出になったでしょうに!2005年撮影。

Europe 2005 IV 055v
プラーター公園脇の道路を行く観光馬車。この道は、ウイーン市街からドナウ河に抜けるサイクリング・コースです。

Europe 2005 IV 055q
ウイーン中心街、ドナウ運河(上掲地図CD)沿いの自転車道路標識。
右に行けば、オペラ座、左に行けばドナウ運河を渡って、プラーターシュテルン。そこから、プラーター公園を通って、ドナウ河サイクリング・ロードに出られます。

ainoarashi_20120419180836.jpg
ウイーンと言えばもう一本、映画「愛の嵐」。原題は、ナイト・ポーター。「夜勤のホテル受付係」という意味です。

ainoarashi3_20120419181047.jpg
昔に戻った服装をした、ダーク・ボガードとシャーロット・ランプリング。「愛の嵐」より。

2008europecycling4 017
「愛の嵐」ラスト・シーン、昔に戻った服装の二人が歩く、夜明けの帝国橋。戦後、この橋は崩れ落ち、再建されたのだと、ぼんやりと記憶していますが・・・。
帝国橋のサイクリング・ロード。車は上を走っています。

追記:インターネットで調べたら、やはり、1976年に崩壊したそうです。詳しいことは、「愛の嵐」と帝国橋 に書きました。興味のある方は、ここをクリックしてください。

history5.jpg
1976年に崩壊した帝国橋。インターネットより。

ウイーンを舞台にした、名画がもう一本あるのですが、私は見ておらず、残念ながら、名前も思い出せません。

Europe 2005 IV 056b
ドナウ河を南に下ると(上掲地図の B方面)、約60キロで、スロヴァキアの首都ブラチスラバがあります。その道を行くと→印のあたりで、珍しい自転車に出会いました。ドライジーネという自転車です。木製で、ペダルが付いていません。足で地面を蹴って走ります。
写真を写してよいか尋ねました。2ユーロ(約200円)で、絵ハガキを買ってくれと言います。絵ハガキを買うと、本人の写真が載っていて、2004年ドライジーネ世界選手権で2位を取ったそうです。
ドライジーネ発祥の地、カールスルーエから黒海まで行くのだそうです。2005年撮影。

Europe 2005 IV 056c
2005年は、怖い思いをしました。ウイーン郊外で、長雨のために、ドナウ河が氾濫して、サイクリング・ロードに水が流れ込んできていました。ここしか道がないので、渡りましたが、横からの水の流れは相当のものでした。

2008europecycling4 042
上の写真と同じ道を、2008年に撮影したもの。

2008年は、ウイーンのキャンプ場に泊まりました。上掲地図の▲印。その近くで、面白いものに出会いました。

2008europecycling4 033
たくさんの人が日光浴していますが、皆さん全裸です。これが、ウイーンのヌーディスト村です。

2008europecycling4 041

ブラチスラバへ向かうサイクリング・ロードのすぐ脇にあるので、嫌でも目に入ります。
参考までに、(余り参考にならないでしょうが)上掲地図の N のあたりです。写真がボケているのは、興奮のあまりではなく、バレないように、急いで撮影したためです。

2008europecycling4 030
新ドナウ河。ドナウ河は泥色ですが、新ドナウ河は青く澄んでいます。正面の山はウイーンの森です。白状すると、運河の右側、木立の途切れているところが、ヌーディスト村です。

2008europecycling4 027
新ドナウ河の左岸には新しい高層ビルが建っています。国際機関が多く、国際原子力機関IAEAなどがあります。
ドナウ河と新ドナウ河との間にもサイクリング・ロードがあります。ウイーン市民の憩いの場となっているようです。ただ、ここにも、全裸の太った中年女性が、ゴロンとマグロのように道路上に横たわっていたりします。

Europe 2005 IV 057b
カルヌンツムの^にあるローマ時代の「巨大な門」
スロヴァキア方面に向かって、国境の手前にカルヌンツムという町があります。東西に走るドナウ河街道と南北に走る(バルト海とイタリアを結ぶ)「琥珀の道」との交わるところにあります。ローマ軍団の駐屯していた町で、4,5世紀のゲルマン民族の移動によって衰退するまで、ウイーンより大きな町だったそうです。円形闘技場、凱旋門、街の遺跡など、たくさん残っていて今でも発掘が続けられています。
キャンプ場もあり、サイクリング・ロードから、ちょっと寄り道をするのに適当な場所です。

20104 095
2010年ドナウの旅では、ウイーンがゴールでした。妻と一緒だったので、ホステルというのに、四日間泊まってみました。個人所有のアパートを貸しているものです。台所もついているので、ちょっとしたウイーン在住の気分でした。
盗難予防のために、自転車はバルコニーに置いておきます。地下鉄と路面電車の駅が真向かいにあり、中心街ではありませんでいたが、中心まで地下鉄で10分、便利な場所でした。

パッサウ(ドイツ) 

パッサウ Passau(ドイツ):ヨーロッパの地名の由来 その14

2008europecycling3 130
パッサウのキャンプ場で出会った人たち。




パッサウは、ドイツ南部バヴァリア地方にあります。ドナウが、ドイツからオーストリアに入る手前にあります。ここで、イン川とイルツ川が、ドナウ河に合流しています。街はドナウ河とイン川の間にあります。

Europe 2005 III 046d
パッサウ。「三本の川の町」と言われています。左から、イン川 Inn 、ドナウ河 Donau 、細いイルツ 川 Ilz。川の合流点にある説明版より。

ローマ時代、ローマ軍の城塞があり、カストラ・バタヴァ Castra Batava と呼ばれていました。「バタヴィアの城塞」という意味です。バタヴァがなまって、パッサウになりました。バタヴァ(=バタヴィア)とは、かつて、ライン河口(現在のオランダ)に住んでいたゲルマンの一種族の名前です。

Europe 2005 III 046aa
ドナウ河を、パッサウに向かって、サイクリング・ロードを下って来ると、パッサウの手前に、発電所と大きな水門(船が川を上り下りする場所)があります。発電所と水門には、歩行者と自転車用の通路があって、ドナウ河を渡れるようになっています。2005年撮影。

2008europecycling3 112
コンテナを積んだ船が水門に入っています。後の水門が閉じ、手前の水門が開き始め、水を流し落とし始めたところです。2008年撮影。

Europe 2005 III 046b
パッサウのキャンプ場。川はイルツ川です。キャンプ場は、ドナウ河とイルツ川の間にあります。2005年撮影。

Europe 2005 III 046c
テントへの訪問客。2005年撮影。

Europe 2005 III 046ca
イルツ川の向こうは、サイクリング・ロードになっているのか、サイクリストがよく通ります。2005年撮影。

2008europecycling3 129
イルツ川岸のキャンプ場にて。2008年。このイルツ川の谷からボヘミア(現在のチェコ)への道は、かつて「黄金の道」と呼ばれ、交易が盛んだったそうです。

2008europecycling3 131
テントが隣同志になった、双子のサイクリスト(右側の二人)。2008年撮影。

2008europecycling3 117
パッサウのキャンプ場。
このキャンプ場には、車が入れないので、静かです。眺めもよく、気に入っているキャンプ場のひとつです。イルツ川の近くにテントを張ると、水流が岩に当たって、音をたてているのが聞こえます。2008年撮影。

100px-Wappen_Passau_svg.png
パッサウの紋章。

Europe 2005 III 046da
オーバーハウスという城塞のある丘に登ってみました。丘は、ドナウ河とイルツ川の間にあります。ここから、ドナウ河(黒い)とイン川(薄い色のほう)の合流がよくわかります。サイクリング・ロードで下ると分かりますが、何キロも色が交わらないで流れて行きます。
ドナウの川岸に観光船が停泊しています。

Europe 2005 III 046dc
パッサウ市街。タマネギ型の屋根は、聖シュテファン大聖堂です。ここにあるパイプオルガンは世界最大と言われているそうです。

20102 204
聖シュテファン大聖堂のパイプオルガン。

Europe 2005 III 046db
尖った屋根は、ニーダーブルク僧院です。

Europe 2005 III 046e
ドナウ(左側から)とイン(右側から)の合流点です。大きな石の右側に見える看板が、このページの一番上に掲げた案内板です。2005年撮影。

2008europecycling3 121
ギリシアの島などでも、よくこういう一人の女性が、長い時間、行く先を見つめています。君何思う?余計なお世話?上の写真と同じ場所で、2008年撮影。

Europe 2005 III 046g
ドナウとインの合流点から、インの川岸に入った所。素敵なカップルが来たので、写真を一枚。2005年撮影。
2010年は、イン川の水があふれて、通行不能でした。

2008europecycling3 116
パッサウのドナウ河。赤い屋根が、旧市庁舎。後方に、聖シュテファン大聖堂。

20102 192
パッサウ旧市庁舎の壁画。

Europe 2005 III 046j
パッサウの中心街、ルートヴィッヒ通り。パッサウの紋章が、花で作られています。

Europe 2005 III 046k
ルートヴィッヒ通りの果物屋さん。イチゴやサクランボは、500グラムが大体500円くらいです。

20102 203
街は、坂道の多い島の中にいるようで、このように入り組んでいます。

20102 182
2010年、三度目の訪問の時は、妻が一緒でした。天気が悪く、かつ、妻がキャンプ生活を好まなかったので、ホテルに泊まりました。Roessner というホテルで、住所は、Braeug. 19 です。ドナウとインの合流点近くのドナウ川岸にあります。値段も手ごろでお勧めのホテルです。朝食のみ。

20102 191
泊まったホテル。ペンションと書いてあります。記憶がはっきりしませんが、おおよそ、普通の部屋が60€、この写真の出窓のある部屋が、90€くらいだったと思います。朝食込。
最近の大雨で、ドナウ氾濫のときは、一階(ガレージになっている)まで水が来たそうです。われわれが泊まったときは、水が引いた後でした。

20103 033
中央白い建物の隣の、薄緑の建物が、泊まったホテルです。

20102 185
ドナウとインの合流点では、水が引いた後、泥がたまり、整地の最中でした。2010年撮影。

レーゲンスブルク(ドイツ)

レーゲンスブルク Regensburug(ドイツ): ヨーロッパの地名の由来 その13




2008europecycling3 093
レーゲンスブルクとドナウ河。

レーゲンスブルクは、ドイツ南部、ドナウ河のほとりにあります。近くで、レーゲン川とナープ川がドナウに注いでいます。
8世紀に、司教区がおかれたり、また、ドナウ河を航行する船便が発達したことなどにより、この町は発展を遂げました。更に、17世紀からナポレオンが神聖ローマ帝国を解体するまで、ここに帝国議会がおかれていたことにより、その繁栄を偲ばせる跡が多く残っています。

Europe 2005 III 042c
自転車用の標識。「ドナウ河サイクリング・ロード レーゲンスブルクまで 13キロ」。2005年撮影。

レーゲンスブルクは、ドナウ河が最も北を流れる地点です。ローマ軍は、ここに駐屯地を築き、流れる川にちなんで、カストラ・レギーナ Castra Regina(「レギーナ河畔の城塞」という意味)と名付けました。レギーナ川は現在のレーゲン川です。それを、8世紀頃、ドイツ語風に、レーゲンスブルク(「レーゲン河畔の城塞」という意味)に変えたものです。
ドイツ語で、レーゲンは「雨」という意味です。現在のドイツ語から推測すれば、「雨の城塞」と考えたくなりますが、語源学的には、そうではありません。

100px-Wappen_Regensburg_svg.png
レーゲンスブルクの紋章

20102 129
カストラ・レギーナ(レギーナ河畔の城塞)の門の跡の説明版。紀元後170年に建てられたと彫られてあります。2010年撮影。

20102 122
上の説明版のある建物。古代と近世と現代が同居しています。
尚、2010年は雨天続きで、ドナウ河の氾濫にあちこちで、出会いました。2010年撮影。

Europe 2005 III 043k
レーゲンスブルクの聖ペテロ大聖堂。2005年撮影。

Europe 2005 III 043c
レーゲンスブルクの「石の橋」。2005年撮影。

Europe 2005 III 043d
「橋の上」で、はしゃぐ高校生?今思うと6月末だったので、卒業式だったのでしょう。2005年撮影。

2008europecycling3 108
2008年に、レーゲンスブルクの近く、シュトラウビングで出会った女子高生。何事かと尋ねた所、卒業式だと言っていたので、上の写真もそうだと思う訳です。2008年撮影。

Europe 2005 III 043b
白い壁の建物の左側に、「世界一古いソーセージ屋さん」があります。小さくて分かりづらいですが、たくさんのお客さんが座っています。2005年撮影。

2008europecycling3 088
世界一古いソーセージ屋さん。2008年撮影。

Europe 2005 III 043l
50周年記念で、ドナウ源流からルーマニアまで行くカヌー一行。この人たちと、ドナウ源流から、オーストリア・スロヴァキア国境まで、何度も、キャンプ場で一緒になりました。2005年撮影。

Europe 2005 III 043r
レーゲンスブルクは、池田理代子さんの長編漫画「オルフェウスの窓」の舞台でもあります。

top_oru.jpg
長編漫画「オルフェウスの窓」

Europe 2005 III 043p
レーゲンスブルクの「窓」にこだわって、写真を写してみました。

Europe 2005 III 043q
レーゲンスブルクの「窓」

Europe 2005 III 043g
レーゲンスブルクのレストラン。ミュンヘンにある有名なビヤホール「ホーフブロイハウス」の支店です。
手前の料理は、ハンガリー伝来のグーラッシュ。2005年撮影。

Europe 2005 III 043e
レーゲンスブルクのキャンプ場。2005年撮影。

Europe 2005 III 043f
キャンプ場に出てきた野ウサギ。

2008europecycling3 099
レーゲンスブルクの名前の由来、レーゲン川。聖ペテロ大聖堂の尖塔がのぞいています。2008年撮影。

Europe 2005 III 043i
ドナウ河に架かる鉄道の橋を渡って、ナープ川へも足をのばしてみました。ドナウ河とナープ川との合流点にある石碑。まるで道祖神です。2008年撮影。

Europe 2005 III 043h
石碑の裏面。横に、黒海まで、2385キロと彫ってあります。2008年撮影。

Europe 2005 III 043j
ドナウ河(右から)とナープ川(左から)の合流。2008年撮影。