パリ 雨のリュクサンブール公園

Jardin du Luxembourg in the rain, Paris 2017

DSC0138617.jpg
リュクサンブール公園のメディシスの噴水。

リュクサンブール公園は、リュクサンブール宮殿の前にある庭園です。
ミシュランのグリーンガイドによれば、リュクサンブール宮殿には、次のような歴史があります。
「アンリ4世亡きあと、(その王妃である)メディチ家出身の王妃マリー・ド・メディシス(1575-1642)は、ルーブル宮がさしてお気に召さなかったため、トスカーナの旧居を偲ばせる新たな宮殿を建てることにした。1612年、王妃はフランソワ・ド・リュクサンブール公爵の館と幾つかの庭園を買い取った。・・・
1615年、・・・宮殿の建築に着手した。・・・完成すると、この建物は感嘆の的となった。1621年、歩廊のひとつを飾るため、ルーベンスに発注された大作の絵画24枚は、マリー・ド・メディシスの生涯を驚異的に描くはずであった。それらの作品は、今日ルーブル美術館のメディシス・ギャラリーに飾られている。」

この噴水の名前が、「(マリー・ド・)メディシスの噴水」というのも、このためです。
マリー・ド・メディシス(メディチ家のマリー)は、名前の通り、イタリア出身です。アンリ4世の二番目の妃で、ルイ13世の母です。政治上のいろいろな確執の結果、マリーは、1631年、フランスを追放されています。
アンリ4世の最初の妃が、アレクサンドル・デュマの小説のあの「王妃マルゴ」です。

DSC0136117.jpg
「ボヴァリー夫人」のフローベール Gustave Flaubert の胸像。
メディシスの噴水を見た後も、雨は降り続きました。それでも、リュクサンブール公園を一回りしてみることにしました。
道に沿って、いろいろな像が置かれていました。公園の外側を囲んで、詩人・作家、内側を囲んで、フランス王妃などの像が配されているようでした。

DSC0135817.jpg
ジョルジュ・サンド George Sand の像。

DSC0136317.jpg
Tai-chi-chuan
雨が降っているので、屋根の下で、太極拳 (Tai-chi-chuan) をやっていました。
私も、数年前まで、4年間くらい太極拳を習いました。いちおう、終りまでの99勢(型)まで、できるようになりました。14勢までが基本です。フランス人がやっているのを見て、またやってみたくなりました。今回の旅の途中、思い出しながらやろうとしましたが、14勢までも、出来なくなっていました。大ショックでを受けました。

DSC0138317.jpg
サント・ジュヌヴィエーヴ Sainte Genevieve。フランスの守護聖人。423-512。

DSC0136417.jpg
同上。

DSC0136717.jpg
マリー・スチュアート Marie Stuart。フランス王妃(フランソワ2世の妃)。1542-1587。

DSC0136917.jpg
ジャンヌ・ダルブレ Jeannne d'Albret。ナヴァール王妃(アンリ4世の母)。1528-1572。

DSC0137217.jpg

DSC0137517.jpg
台座には、つぎのように書かれていました。
Laure de Noves 1307-1348

DSC0137317.jpg
Laure (上の2枚の写真)とは知らない名前です。誰だろうと思って、Wikipedia で調べると、ペトラルカの項に、次のように載っていました。
「ペトラルカの作品で、もっとも知られる作品は、ラウラと呼ばれる女性へ捧げられた一連の恋愛抒情詩群である。・・・ 1327年、アヴィニョンのある教会でペトラルカはラウラの顔を初めて見たというが、この女性についてはほとんど知られていない。ラウラが実際に誰かについては諸説あり、ラウラという名前は、ペトラルカがこの女性に与えた変名である可能性もある・・・。謎の恋人とペトラルカは、実際には交際を持たなかった可能性が強い。ペトラルカとラウラはその後、会うこともなく、1348年にラウラは死亡したという。ペトラルカはその後も、ラウラを失った悲嘆を歌う詩など、ラウラへ充てた詩を書き続けた。」
Laure de Noves fut une parente de la célèbre Laure (1308-1348), chantée par le poète Pétrarque des années plus tard. Elle était fille de Pierre Audibert de Noves.

DSC0137617.jpg
マリー・ド・メディシス Marie de Medicis。フランス王妃(アンリ4世の妃)。1573-1642。
このリュクサンブール宮・庭園のかつての女主人です。

DSC0137817.jpg
アンヌ・ドートリッシュ Anne d'Autriche。フランス王妃(ルイ13世の妃)。1601-1666。

DSC0138517.jpg
カフェがありました。ひと休みしたいと思いましたが、イスが雨で濡れているので、断念。

DSC0138217.jpg

DSC0135117.jpg
メディシスの噴水の、海の女神ガラテアと愛人のアキスの像。

そして、また、メディシスの噴水に戻ってきました。
巨石に押し潰されそうになった、海の女神ガラテアとその愛人アキスの二人の運命やいかに?
Wikipediaで調べました。
「ガラテアは、シチリア島で川のニュンペーの息子である青年アキスと恋に落ちた。しかし、かねてよりガラテイアを恋慕していたキュクロープスのポリュペーモスがこれに嫉妬し、巨石を投げつけたポリュペーモスによってアーキスは殺される。死んだアーキスの血はエトナ山のそばを流れる川となった。」
ガラテアのほうは、海に逃れて無事だったそうです。
この物語は、ラファエルの「ガラテアの勝利」やギュスタヴ・モローの「ガラテア」など、いろいろ絵の題材になっているようです。調べると面白そうですが、今回はこの辺で。
スポンサーサイト

パリ リュクサンブール公園のメディシスの噴水

Fontaine de Medicis in Jardin du Luxembourg, Paris 2017

永井荷風の「フランス物語」のなかに「巴里のわかれ」という話があります。荷風が、パリを去る前日のことが描かれています。あんなにも、好きだったフランスを、そして、パリを、明日去らなければならない荷風。おそらくはもう戻っては来ないという決心をしていたでしょう。その心境は察するに余りあります。
その中に、次のような文章があります。

「自分は今日の半日、出来る事ならば見ても見飽きぬ巴里の全市街をば、今一度(ひとたび)、一時(いっとき)に歩き廻って見たいとも思ったが、この広い都会のそれも早(は)やかなわぬ望みである。自分は春の午過(ひるすぎ)を毎日のように読書と黙想に耽(ふけ)ったあの(リュクサンブール)公園の木陰メデシの噴井(ふんせい)のほとりに、わが巴里における最後の午後を送るが適当であろうーーーそう思うや否や、自分は日傘の女を囲んで戯れながら行く、かの書生の後を追い、爪先(つまさ)き上がりの大通(サン・ミシェル大通りと推定されます)を斜めに突切り、直ぐと公園の鉄柵を潜った。」

DSC0138817.jpg
私は、パリには、通算5年位住んでいたことがありますが、まだ、リュクサンブール公園に行ったことがありません。永井荷風の「ふらんす物語」を読んで以来、気になっていました。今回のパリ滞在中のある日、出掛けることにしました。生憎の雨ですが、決行しました。
写真は、雨のメディシス通り rue de Medicis。
右側の緑が、リュクサンブール公園。この通りの正面突き当りが、エドモン・.ロスタン広場 Place Edmond Rostand。その広場を南北にサン・ミシェル大通り Boulevard Saint Michel が走り、東に目をやれば、パンテオンが見えます。

DSC0134417.jpg
パンテオン。

DSC0135317.jpg
私は、ムフタール街からパンテオンを過ぎ、サン・ミシェル大通りを横切り、エドモン・ロスタン広場を経由し、リュクサンブール公園の鉄柵を潜りました。メディシスの噴水は、すぐに見つかりました。

DSC0134817.jpg
1620年、マリー・ド・メディシスの噴水。

DSC0135217a.jpg
この彫刻の光景は、ミシュランのグリーン・ガイドによれば、次の通りです。
「プラタナスの木陰にある細長い池の端には、メディシスの噴水が美しい緑の草木を背景に姿を現す。積彫石と鍾乳石様装飾がイタリア様式の特徴をはっきりと示している(1624年制作)。壁龕のひとつには、嫉妬に狂った巨人ポリュフェモスが海の女神ガラテアと愛人のアキスを押し潰そうとする瞬間が刻まれている(1863年、オタン作)。」

DSC0134617.jpg
海の女神とその愛人が、「押し潰されそう」になって、その先どうなったのか?まだ調べていないので分かりません。
それはともかく、こんな官能的な彫刻を見たことがありません。

DSC0135517ab.jpg
池の反対側からも、一枚。

DSC0135617.jpg
三人ずれのアメリカのご婦人がいたので、恥ずかしながら、お願いして写真を写してもらいました。
雨の中、ウォーキング用のポンチョを着て・・・。
このため、この日は、パリの景観を乱すのではないかと、気にしながら歩いていました。

サン・ミシェル広場のランデブー

Rendez-vous at Place Saint-Michel, Paris 2017

ランデヴーという言葉があります。死語にならずに、今でも使われているのかどうかわかりません。
日本語の意味は、「デート」や「あいびきと」いう意味です。一方、本家のフランス語では、そのような意味もありますが、「会う約束」や「予約」という一般的な意味で、英語の「アポイント(メント)」と同じです。フランスにいると、仕事上の「会う約束」や、病院の「予約」など、よく使われる単語です。

さて、私のブログのリンク欄に載っている方で、パルファン光さんという女性がいます。主に、ヨーロッパの旅行や水彩画の記事を掲載している方です。
今年(2017年)のはじめ、彼女のブログを見て、彼女も、ご主人とバスク旅行に出掛けることを知りました。行き帰りのフライトは、パリ発着で、帰りの日程が、私のパリ出発と同じころです。連絡すると、同じ日にパリに滞在することがわかりました。ブログで、何度かコメントを交換した程度しか存じ上げませんが、会ってみませんんかと誘ってみました。会いましょうと快諾を頂きました。

DSC0899817a.jpg
会う日時と場所は、お互い出発前に、次の通り決めておきました。
日時: 7月1日 16:00
場所: サン・ミシェル広場のカフェ。パリの中心のひとつで、ノートルダム大聖堂の近くです。カフェの名前は、"Le depart saint michel" です。どういう意味か、わかりませんが、単語を直訳すると、「出発サン・ミシェル」となります。
パルファン光さんは、このカフェをご存じで、ここを指定してくれました。私は知りません。5月にパリに着いたとき、粗相のないよう、早速、下見をしておきました。
(写真は、サン・ミシェル広場にある、サン・ミシェルの泉です。)

DSC0900217a.jpgカフェの、すぐ横は、サン・ミシェル河岸です。河岸に出れば、セーヌ川の流れの向こうに、ノートルダム大聖堂が見える、観光名所です。

いよいよ、7月1日、私は、早めに、宿のあるムフタール街を出て、ぶらぶら歩きながら、カフェに向かいました。
そして、16:00前に、Le Depart Saint Michel のカフェ・テラスに腰かけ、待っていました。

DSC0143917.jpg
カフェの名前が「出発サン・ミシェル」なので、モン・サン・ミシェルへの出発点かなと思い、その店の人なら関心があるだろうと、マスターと思(おぼ)しき人と、
「ここから、モン・サン・ミシェルまで、歩いて行ってきました。昨日帰って来たところです。」
「ホ―、凄いですね。何日位かかりましたか?」
「40日くらいです。帰りは、TGVで、3時間で帰って来ました。」
「ワッハッハ」
などと話していました。
16:00ちょっと過ぎた頃でしたでしょうか、パルファン光さんと思われる方が、
「huckさんですか?」
と現れました。ご主人と一緒かと思っていましたが、どこかで待っているということで、現れたのは、お一人です。30分くらいも話したでしょうか、パルファン光さんは、ご主人が待っているからと帰られる様子です。
このことを、ブログに載せたいのでと、写真撮影をお願いしました。
「後ろ姿なら・・・」ということで、了解を貰いました。正面のものも撮らせてもらいました。正面の方が、ずっと良いのにと思うような美人でいらっしゃいます。

DSC0144017.jpg
パルファン光さんが、先に帰り、私は、ひとりで少し残りました。記念に、カフェ、「出発サン・ミシェル Le Depart Saint Michel」 の写真を取ろうと思って、カフェの外で、カメラを構えて、愕然としました。店の名前が違うのです。「サン・セヴラン Saint Severin 」となっています。

DSC0144117.jpg
隣りにも、同じ赤い日除けを出した、カフェがあります。そちらを見ると、ここが、「出発サン・ミシェル Le Deaprt Saint Michel」 とでした!!!
一体全体どうしたことでしょう???下見までしておいたのに!!!

DSCF236117.jpg
これは、パルファン光さんが、会ったカフェを写した写真です。
違ったカフェで、何故出会えたのか???
答えはこうです。
同じような赤い日よけを掛けたカフェが二軒並んでいます。写真奥が、「出発サン・ミシェルLe Depart Saint Michel」 です。手前が、「サン・セヴランSaint Severin」 です。私は、手前の通り、rue de la Huchette から来て、手前のカフェを、Le Depart Saint Michel だと思って入りました。そして、写真右のテーブル(私の立っているのが写っています)に座りました。
あとで、パルファン光さんに尋ねると、彼女もまた同じように、写真手前からカフェに向ってきて、私らしき人が見えたので、このカフェに入り、二人がそこで出会ったと言う訳です。
もしも、パルファン光さんが、カフェ正面にあるメトロ出口(写真左)や、セーヌの側(写真の奥がサン・ミシェル橋です))からきて、Le Depart Saint Michel にそのまま入ったら、まず会うことはできなかったでしょう。知らぬが仏でした。そう思うと冷や汗が出ます。本当にラッキーでした。いい思い出ができました。
今後、ここで、待ち合わせをする(ランデヴー)方がいましたら、くれぐれもご注意を。

カルチエ・ラタンの甘い葡萄 その2

Au doux raisin of Quartier Latin, part 2, Paris 2017

DSC0139817.jpg
ワイン・バー「甘い葡萄」で、また、客は私一人になりました。

DSC0141917.jpg
歓迎会のグループの一行が帰った後、場所がふさがっていたところが空いたので、その壁の写真を撮りにゆきました。

DSC0141717.jpg
私の他に、誰も客がいないので、ワイン・バーの主(あるじ)が私のところに時々来て来ては、いろいろ説明してくれます。しかし、残念ながら、フランス語をよく理解できません。
本人の肖像画の横で。

DSC0139717.jpg
この肖像画は、私の知らない人です。誰ですか?と、主に尋ねると、私の手帖に、AUDIARD と書いてくれました。この絵を手に入れたいきさつを、楽しそうに説明してくれたのですが、よく分かりませんでした。
今、Wikipedia で調べると、ミシェル・オディアール Michel Audiard(1920-1985) は、フランスの脚本家です。「冬の猿」や、下の写真の「Les Tontons Flingueeurs」の脚本を書いています。

DSC0140317.jpg
映画「Les Tontons Flingueurs」(1963)。
私は、この映画も見ていません。インターネットで、日本語の題名を探しましたが、見つかりません。日本未公開でしょうか?
写真左から、
リノ・ヴァンチュラ(1919-1982)
フランシス・ブランシュ(1921-1974)
ロベール・ダルバン(1903-1987)
ベルナール・ブリエ(1916-1989)
ジャン・ルフェ―ブル(1919-2004)

DSC0141817.jpg
ジャン・ギャバン。

DSC0139617.jpg
今このブログを作りながら、店のサイトを見ると、次のような、案内がありました。今更ながら、良い店を見つけたと思います。
「ワイン・バー。
パリ5区の中心、あの有名なムフタール街から、何歩か歩くだけのところにある、甘い葡萄が本物の雰囲気を醸すワイン・バー。
ジャン・ギャバンのポスターやオーディアールの映画のシーンが、フランス文化を伝える。
オーディアールの愛好家よ、そのバーがここにある。」
BAR À VIN - Au cœur du 5ème, à deux pas de la célèbre rue Mouffetard, Aux Doux Raisins vous réserve une ambiance authentique de bar à vins. La culture française est à l’honneur avec des affiches où apparaissent Gabin, Brassens ou des scènes de films du scénariste Audiard.
Les amateurs d’Audiard, ONT TROUVÉ LEUR BAR (From the site of the wine bar)

DSC0141617.jpg
アンドレ・ブールヴィル(1917-1970)とジャン・ギャバン。

DSC0140617.jpg
ルイ・ド・フュネス(1914-1983)。
映画「大追跡」や「大進撃」、「ファントマ」シリーズなどで、楽しませてもらいました。

DSC0140717a.jpg
ルイ・ド・フュネスの「大進撃」(1966)

DSC0141417.jpg

DSC0141517.jpg

DSC0142017.jpg
ジャン・ギャバンや、リノ・ヴァンチュラと一緒に、ワインを飲んでいるような気になりました。この世を忘れて、別世界に引き込まれた時間を過ごしました。
最後は、コーヒーでしめて、リキュールを、サービスで、ご馳走になりました。
「冬の猿」の映画を見てから、また訪問したいと思っています。

カルチエ・ラタンの甘い葡萄 その1

Au doux raisin in Quartier Latin, part 1, Paris 2017

DSC0146417.jpg
私の泊まっているムフタール街の北側の続きに、デカルト街 rue DeDescartes があります。その29番地に、「甘い葡萄」Au doux raisin, 29 rue Descartes と言う名前のバーというか、レストランというか、そんな感じの店がありました。とりあえず、ワイン・バーとしておきます。
内側から、ジャン・ギャバンなどの写真が表を覗いていて、なにか気になります。(左側の窓ガラスをよく見ると、男三人が内側に座って、こちらを見ています。)
ある昼過ぎ、入ってみました。

DSC0139217.jpg
予想していた通り、中の壁は、フランス映画関連の写真とアルコールのポスターで、びっしり埋められていました。

DSC0140017.jpg
圧倒的に、ジャン・ギャバンが多い。

DSC0140217.jpg
「冬の猿」(1962年)のギャバン(1904-1976)とジャン・ポール・ベルモンド(1933-)。監督は、「ヘッドライト」、「地下室のメロディー」のアンリ・ヴェルヌイユ。

このワイン・バーの名前は、「甘い葡萄」です。バーのサイトに、「甘い葡萄は、冬の猿と呼ぶことが出来る。」(詳細下記)と書いてあります。この映画とバーの名前は、なにか関係がありそうです。
「冬の猿」は、日本では、ギャバン没後20年を記念して、1996年に劇場公開された映画だそうです。私は、この映画「冬の猿」を見ていません。そのため、インターネットで、いろいろ調べてみましたが、それ以上のことは分かりませんでした。
Venez dîner en compagnie de Gabin de Lino et sa bande de Tontons Flingueurs. Le Doux raisin aurait pu s’appeler "un singe en hiver". Il est un lieu plein de poésie qui a su éviter de tomber dans les clichés de ce quartier du 5ème.

DSC0139917.jpg
「シシリアン」(1969年)のアラン・ドロン(1935-)、ギャバン、リノ・ヴァンチュラ(1919-1987)。
この写真は、酒を手にしていない?!

DSC0142317.jpg
リキュールとディジェスティフの価格表。黒板に書いてあるのが、いい。

DSC0140417.jpg
客は、私ひとりです。
店内の飾り付けが面白くて、キョロキョロ見回していたら、店の主(あるじ)が、注文を取りにきました。お腹は空いていないので、種類は忘れましたが、赤ワイン、グラス一杯と・・・

DSC0141117.jpg

DSC0140917.jpg
つまみに、13ユーロのアントレの中から、ハム Jambon を頼みました。

DSC0141217.jpg
こんなところなら、ひとりで、いつまでも飲んでいられます。(最近は、節酒を心がけ、量は飲まなくなりました。)

DSC0139517.jpg
と、そこへ、男女7名のグループが、ガヤガヤと、店に入って来ました。
どういう関係の人たちか、観察していました。
写真、真ん中の一番背の高い男性と皆さん、抱き合ったり、頬にキスをしたりしています。お互い、懐かしがっているのが、普通ではありません。真ん中の男性が、遠いところに赴任して、それが長い期間を経て、帰って来たのだろうという結論に達しました。年齢・服装などから、判断して、同じ職場の仲間であろうと思います。
日本人と身体の接し方の密着度が違います。

DSC0141317.jpg
そのうち、みんな立ち去り、最後に残ったふたりが、また抱き合っていました。恋人と言う感じではありません。

DSC0140817.jpg
そして、今までいたグループ全員が引き上げ、また、私一人になりました。
写真は、私が座ったテーブルのある片隅。

DSC0140517.jpg
そこに置かれたブタの置物。

つづく