フランス編

ドイツ編からつづく

ヌフ・ブリザック(フランス)という町から、ライン河を離れて、フランスを、南西へと、入って行きます。ミュールーズ、ベルフォール、ブザンソン、ドール、べズと通ってゆきます。

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ベルフォール 4キロ

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7月14日、ベルフォールに着きました。いわゆるパリ祭の日です。軍隊、警察、消防の行進がありました。

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ブザンソンのカフェ。

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ブザンソンのもうひとつのカフェ。

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ブザンソンとドールの間、ランショットのホテル。

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ホテルのレセプション脇に自転車を置かせてくれました。

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ランショットのホテルの夕食。

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ドール。スタンダールの小説「赤と黒」の舞台、ヴェリエールのモデルの町です。

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ベズの宿。近くに湧く、ベズの泉からの流れです。

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聖セーヌ大修道院

とうとう、セーヌ源流近くの村、サン・セーヌ・ラべイ(「聖セーヌ大修道院」という意味)まで来ました。日本から来て、フランクフルトに、7月1日に到着しました。それから、20日間かかって、991キロを走って来ました。

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フランスのブルゴーニュ地方のコト・ドール県に入ります。コト・ドールとは、黄金丘陵という意味です。看板には、「聖セーヌの国 聖セーヌ大修道院 セーヌ河源流」と書いてあります。

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セーヌ源流まで、もう間近です。

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セーヌ源流の泉。この祠(ほこら)は、19世紀、ナポレオン三世の時代に、パリ市が作ったものです。昔、セーヌの泉は、女神セクアナとして、神聖視されていました。セーヌの語源は、このセクアナに由来します。ここの標高は、471メートル。ドーバー海峡にそそぐ河口まで、780キロをかけて、流れてゆきます。流れの途中の地形にもよりますが、セーヌ河と、日本で一番長い、信濃川と、二番目の利根川と比べてみれば、どんなに緩やかな流れかが、分かるでしょう。
河名    源流の標高   河の長さ
セーヌ河    471m  780km 
信濃川   2,475m  367km
利根川   1,834m  322km

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訪問した日、祠の源泉から湧き出る水は少なく、流れているか、いないか、分からないくらいでした。

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セーヌ河にかかる、源泉から最初の橋。自転車が、ようやく一台乗るほどの長さです。「ポール・ラマルシュ橋 1902-2003」と銘がありました。

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私が、この源流にきて、家族連れがいたので、写真を写して貰いました。しばらくして、また会ったときに、その家族ずれが、「一緒にごはんを食べませんか?」と食事に誘ってくれました。

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家族ずれは、二組で、三人一組が、この近くのディジョンから、あとの四人一組は、その親戚で、ノルマンディーから、遊びにきているそうです。「ノルマンディーに来たときは、寄って行きませんか?」というので、お言葉に甘えて、寄ることにしました。イブトーという町だそうです。

セーヌ河紀行 つづく
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「ガリア戦記」 アレシアの決戦

セーヌ河紀行(3) Along the Seine 2004

セーヌ源泉から、20キロあまりのところに、アリーズ・サント・レーヌという場所があります。ここが、カエサルの「ガリア戦記」にアレシアと出てくる場所です。ここで、紀元前52年、ガリア族とローマ軍ので戦いがありました。ローマのカエサルが、ガリア征服を完了させた戦いです。

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アレシアの決戦の際の、ガリア族側の指導者、ヴィルサンジェトリクスの大きな像が、丘の上にあります。三十代半ばの若者でした。戦いに敗れ、ほかのガリア人たちの、助命を願い、ただひとり、カエサルの前に投降しました。その後、ローマに連行され、数年後に刑死しました。19世紀中頃、フランス皇帝ナポレオン三世が、アレシアの遺跡の発掘をすすめると共に、この丘に、ヴィルサンジェトリクスの像を建てました。

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カエサルに降伏するヴィルサンジェトリクス
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ヴィルサンジェトリクスの像のクローズアップ(アレシアのパンフレットより)
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アレシアの地形。丘の上に、アレシアがあります。手前の丘には、カエサルの陣地があります。その間には、カエサル側の防衛柵があります。(アレシアのパンフレットより)

丘の上の、遺跡を見てまわっていたら、さきほど、昼食をご馳走になった、家族連れに、また、会いました。

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丘を下った、中腹に、アリーズ・サント・レーヌの村があります。この写真の通りに、ホテル・アレシアがありました。この村の名前の意味は、「聖女レーヌのアリーズ」という意味です。アリーズは、アレシアのことです。昔、この土地で、レーヌという女性が、異教徒に結婚を申し込まれました。それを拒絶して、殉教したからだそうです。

ホテルは、フランスの古い安宿という感じのものです。部屋は二階にあります。部屋には、洗面台がついているだけで、トイレとシャワーは、共同で、一階にあります。ホテルのレストラン兼バーは、路地をはさんで、ホテルの向かいにあります。古い建物の床は、大きな石が敷かれ、すり減ってくぼんでいます。マダムが、年をとってからの、シモーヌ・シニョレに似ています。レストランの中は、フランス映画の舞台みたいな感じです。
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「悪魔のような女」のシモーヌ・シニョレ

このホテルのレストランで食べた夕食、14ユーロ(1ユーロ120円として、1,700円)の「本日の定食」を紹介します。フランスの田舎で食べる、フルコースの定食の典型的なものです。

・前菜:サラダ・ド・ペイ(田舎風サラダ)。大きな生ハム、サラミ、ハムが、三枚ずつ、野菜の上に山盛りになっています。
・メイン:ビフテキ。ビフテキは、肉料理のなかで、一番安い食べ物です。
・チーズ:フロマージュ・ブラン。白い、柔らかいチーズ。普通、砂糖をかけて、食べます。
・デザート:クレーム・カラメル(プリン)
・ワイン:ここは、ブルゴーニュ地方です。もちろん、ブルゴーニュ・ワインを頼みます。但し、残念ながら、予算の都合上、フルボトルは頼みません。レストランのオープン・ワインで我慢します。
・最後に、コーヒーで締め。
ワイン、コーヒー、水は別料金となります。

セーヌ河紀行 つづく

アリーズ・サント・レーヌ ブルゴーニュからシャンパーニュへ。

(4) セーヌ河紀行 Along the Seine 2004
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セーヌ河

アリーズ・サント・レーヌから、県道954を通り、コスヌというところで、再び、セーヌ河に出ます。セーヌに沿って、サン・マルクという町から、国道71に出ます。このあたりの国道は車の数が少ないとは言え、かなりのスピードで飛ばしてゆきます。十万分の一の地図を買って、できるだけ、国道から外れた、脇道を走るようにしました。

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アリーズ・サント・レーヌから、県道954を少し走ってあった、民宿。

ライン河サイクリング・ロードからそれて、フランスに入ってからは、サイクリング・ロードというものが、ありません。見つけられなかっただけかも知れませんが、フランスでは、サイクリング・ロードに、ほとんど、お目にかかりませんでした。ヨーロッパ・サイクリングの初体験の年です。道がよく分からない先の不安と、車と一緒の一般道路を走る恐怖。それと、身体のあちこちの痛みのために、何度か、途中棄権しようかと悩みました。その後、何回か、自転車旅行を経験して、思うことは、決して先を急いではいけないということです。特に、気持ちの上で、急がないということです。これによって、どのような長い距離でも、乗り越えられるという気がしてきました。慣れもあるでしょうが、気持ちにゆとりを持つことによって、身体の調子も、良いようです。

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県道954が出会うセーヌ河。まだ、小川という感じです。

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国道71 から見えるセーヌ河。

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シャチヨンを流れるセーヌ河。町の中を二本に分かれて流れています。こちらのほうは、殆ど流れていません。
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シャチヨンにて。
かつて、シャチヨンは、イギリス・イタリア間の通商路に当たっていたので、栄えたということですが、今は、しっそりとした静かな町です。この町を過ぎると、ミュシーという町があります。ここで、ブルゴーニュ地方から、シャンパーニュ地方に入ります。国道71の両側はブドウ畑です。国道71から、裏道に入って、小さな村を通るたびに、小さなシャンペン工場が、二軒、三軒と出てきます。土が石灰質で、畑の土が、白くなってきました。農耕機が、出入りするので、道までが、白くなっています。
シャチヨンのホテルでは、シャンパーニュ地方に入った記念に、グラス一杯のシャンペンを飲みました。

トロワ Troyes (上掲地図参照)という町まで、国道71伝いに来ました。トロワからは、国道19と県道78が、セーヌを挟んで、走っています。私は、当然、県道を選んで走ります。この二本の道の間を、セーヌは、二、三本に枝分かれして、流れています。運河も、一緒に、走っています。

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ドルー・サント・マリーのレストラン。

ドルー・サント・マリーというところで、ロード・タイプの自転車に乗ったおやじさんに、握手を求められました。「頑張れ」と言いたかったようです。「自分も、若いときは、長距離サイクリングをした。アルジェリア戦争にも、参加した。」と言っていました。体格のがっしりした、64歳です。その人が、近くの、レストランを紹介してくれました。

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午後二時ころだったので、私が、最後の客です。昼食の客が帰った後なので、店のお爺さん、夫婦、小さな娘と息子の、五人家族と一緒の食事です。品書きなどありません。テーブルの上の、皿に盛った料理を取り放題です。ワインも、ジュースも、飲み放題です。もっと食べなさい、もっと飲みなさい、と勧められました。昼間なので、ワインを飲みませんでした。極安のワインですが、悔しい思いをしました。

サン・マメース  六月の朝

(5) セーヌ河紀行 Along the Seine 2004
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ノジャンの水車。写真、奥に見えます。

ドルー・サント・マリー、ロミーを通って、ノジャンという町まで来ました。
セーヌに架かる、「ノジャンの水車」というのが、観光地図に載っています。小さな水車を想像していましたが、五階建ての大きなビルが、セーヌを跨いでいました。なにか、水力を利用した工場のようです。ノジャンの町はずれ、セーヌ河に、川中島がありました。オリーブ島という名前です。大きな公園になっています。近くに、フランス国王アンリ四世が、愛妾ガブリエル・デストレと逢ったという、古めかしい、木骨組の別荘があります。

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みにくいあひるの子

河には、白鳥の親子がいます。えさをねだって、寄ってきます。親にビスケットを与えると、子どもたちも寄ってきます。次には、カモも寄ってきます。すると、白鳥は、姿に似つかわしくない、だみ声を出して、カモを威嚇して、追い払います。
このノジャンまで、船が、セーヌを遡(さかのぼ)って、航行できるそうです。

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モントローは、正式には、モントロー・フォー・ヨンヌといいます。「ヨンヌ河の果てるところのモントロー」という意味です。写真右手から、セーヌ河が流れてきて、正面に流れてゆきます。ヨンヌ河は、左手からセーヌ河に流れ込み、ここで果てています。

ちょうど、ツール・ド・フランスをやっている時期でした。その区間賞が、マイヨ―・ジョンヌ(黄色いジャージー)です。私は、黄色いジャージーを着ています。私が、モントローのカフェに入ると、「着いたぞ!」とか言って、いろいろな声が飛んできます。走っていると、私に向かって、車の窓から、声援を送って寄こす人もいます。車のクラクションを、ブー、ブーと二回鳴らす人もいます。始めのころは、いやがらせかなと、思いましたが、「頑張れ!」という合図でした。手を振って、皆さんに、答えてやりたいところです。しかし、こちらは、ちょうど、このころ、疲れ果てて、これで、自転車旅行をきりあげようかと悩んでいた時期なので、それどころでは、ありませんでした。先に通ってきた、ストラスブールとブザンソンのホテルでも、同じように歓迎を受けましたが、その時は、なんのことか、分かりませんでした。

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サン・マメース。
ここで、セーヌ河は、ロワン河と合流します。きのうときょうだけで、セーヌは、オーブ河、ヨンヌ河、ロワン河と合流しています。それぞれ、セーヌと同じくらいの大河です。セーヌは、ますます、幅を広げて、ますます、静かに流れてゆきます。右端の木の陰にある、「白馬亭」というホテルに泊まりました。

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シスレーの「サン・マメース、6月の朝」(1884年)ブリヂストン美術館蔵。
フランス印象派の画家、シスレーが、晩年に、サン・マメースから、一、二キロばかり、ロワン河を遡った、モレ・スル・ロワンという町に住みました。この辺りを好んで、ロワン河や、サン・マメースをよく描いているそうです。帰国してから、知ったのですが、「サン・マメース、六月の朝」という絵があります。泊まったホテルの庭から見た景色と同じような、構図の絵です。川岸に並木があるので、上の写真から、もう少し、先の方でしょうか。

フォンテーヌブロー から ムラン へ

(6) セーヌ河紀行 Along the Seine 2004
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セーヌ河地図

サン・マメースを出発して、アボン、フォンテーヌブローを、うまく抜けたかなと思いましたが、フォンテーヌブローで、河への方角が、全然分からなくなりました。気がつくと、大幹線、国道6号に出てしまいました。信号のところで、きょろきょろしていたら、車の若い女性が、車を停めて、セーヌ河に出る道を教えてくれました。ドイツでも、フランスでも、自転車を停めて、地図をみていたりすると、大体、誰かが寄ってきて、「お手伝いできますか?」と、助け舟を出してくれます。
バルバン橋という高度が高くて、セーヌを見下ろす橋を渡って、右岸のサモローというところに出ました。セーヌ河に沿った、静かな道、県道39を走ります。

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サモローの小公園。
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サモローに、小さな公園があったので、一休みしました。大きな別荘風の邸宅が並んでいます。向かいの左岸は、フォンテーヌブローです。そちらにも、豪華な邸宅が、建ち並んでいます。白鳥が、一羽、寄ってきて、エサをねだります。ビスケットをやると、よく食べます。

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暑い日でした。ムラン Melun (上掲地図参照)の町中にくると、河畔の並木がきれいな場所がありました。一般道から下りて、ベンチで一休み。ベンチの横に、自転車を立てかけておいたら、上半身、裸のおやじさん(写真)が寄ってきて、「自転車を日陰におかないと、パンクするぞ」と言われました。言葉に従って、木陰に移しました。
パリまでは、あと数十キロです。大都会がちかくなって、建てこんだ街並みと騒々しい車の中をはしるようになりました。ムランを出て、コルベイユ・エッソンヌを過ぎ、エブリーという町で、ようやく、ホテルを見つけました。