ムシーアよさらば

A farewell to Muxia
04.07.2016

7月4日(月)

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昨夜も、カーサ・イゾリーナの女将、ベゴニアさんが、明日の朝食にと、ジュースとケーキを、部屋に持ってきてくれました。これで、三日連続で、同じものを、持ってきてもらいました。

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同じところに、三日連続で泊まるのは、2014年以来の巡礼の旅でも、初めてのことです。ムシーアでは、三度、岬を訪問して、教会や巨岩彫刻「傷跡」を見たり、コルピーニョ山に上ったり、また、ガリシアの祭りを見物したり等々しました。なによりも、カーサ・イゾリーナで、ベゴニアさんに歓待を受けて、いろいろなことを教わったりしたのが、楽しい想い出に残ります。出発の玄関先で、万歳をしました。精一杯の感謝の気持ちです。

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ベゴニアさんが、見送ってくれました。
冷たい風が吹いていました。「7月と言うのに、この寒さ!」とベゴニアさんも、驚くくらいの寒い朝でした。
「北の道(カミーノ・デル・ノルテ)が、素晴らしいですよ。来年、是非、この道を歩いて、またムシーアに来てください。」と言われました。
私の80歳までの旅の計画には、「北の道」は、入っていません。少なくとも、来年は来ないでしょう。
しかし、「オーケー」と言って、分かれました。

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Town of Muxia and Monte Corpino.
振り返って見る、ムシーア。コルピーニョ山を背にしたムシーアの街と港。

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「死の海岸」の看板。

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ムシーアに入るときは、半島の西側から来ましたが、出る時は、半島の東側(港のある側)から出て行きます。

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もう一度振り返って見る、ムシーア。
標識の出方が少なく、何度も道を間違えました。

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Igrexa de St. Xulian de Moraime.
5キロほど行くと、モライメという場所に、St. Xulian de Moraime教会がありました。12世紀のものです。今は、もうありませんが、昔、ここに、僧院もありました。そのため、Muxia、僧侶の土地と呼ばれていました。これが、ムシーアの名前の語源だそうです。

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素朴な彫刻が風化して、増々、素朴になった壁の彫刻。

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ムシーアへの巡礼は少ないと見えて、こんな道もあります。

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路面に描かれた、サンティアゴの道の矢印。
Sがサンティアゴ、Mがムシーア。

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One way marking to Muxia.
ひとつ上の写真のように、両方向、示されてあれば良いのですが、ムシーアからの道では、一方通行の標識のみで、大変苦労させられました。
一方通行の標識とは?
上図のように、標識があります。サンティアゴから、ムシーアへ来る場合は、標識に従って進めますが、ムシーアからサンティアゴ方面へ向かう場合、交差点でどちらの方向へ行くのかが分りません。
ムシーアから、歩いて戻る巡礼の数が少ないということでしょう。少なくとも、ムシーアとフィステーラへの分岐点、オスピタルまでは、一方通行の標識で、標識の数も少なく、何度も間違えたり、逆方向から巡礼が来るのを交差点で待って、方向を確認したり、最悪は、車用標識を見て一般道路で行ったりしました。

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清流を横切って、気持ちのよい道を行くのですが、方向が確認できず、不安な気持ちで歩きました。

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十字路で、方向が分らなくなりました。雑草狩りの人たちがいたので、道を確かめました。あとで、知ったのですが、教えてくれたのは、一般道路のほうで、巡礼道は、別にありました。最終的に同じところに出るので、まあよかったのですが。
道が分らず、何度も、行ったり来たり。すっかり疲れてしまいました。まだ、10キロしか歩いていませんが、ここに宿泊することにしました。San Martino de Ozon という僧院にあるアルベルゲ Aurora de los Caminos です。看板には、僧院は12世紀のもの、オレオ(穀物倉庫)は、16世紀のものと出ています。

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なにか変った雰囲気の僧院アルベルゲです。果たして営業しているのかどうか?心配になってきます。

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大丈夫、アルベルゲは営業しているようです。
今日は、道がわからず、体力的によりも、気分的に疲れてしまいました。
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オソンのサン・マルティーニョ僧院のアルベルゲ・アウロラ・デ・ロス・カミノス

Albergue Aurora de los Caminos of Monasterio de San Martino de Ozon like a labyrinth 
04.07.2016

7月4日(月)

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サンティアゴ方面への標識がよく分からないため、気分的に、すっかり疲れました。それでもなんとか、今日のアルベルゲに到着しました。僧院のアルベルゲです。と言っても、僧院の廃墟をそのまま使っているような、不思議な感じの建物です。

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母屋からでて、別棟(写真)にベッドがありました。

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At least 10 Euro for bed only and 3 Euro for dinner .
寝室のひとつ。私は、向こう、右側の赤いシーツのベッドを使いました。
最低、一泊ベッド代、10ユーロ、夕食代、3ユーロを出してほしいとのことです。15ユーロ出しておきました。(翌朝、ライス・ケーキのようなものを朝食に貰いました。また、途中で食べてくださいと、オレンジ一個を貰いました。)

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ここは、ムシーアまで10キロと近いので、巡礼はいないだろうと思っていました。予想に反して、これから、旅発つ巡礼や、他にも十名くらいの人たちがいました。
母屋の前で、出発の準備をする巡礼。

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出発する巡礼。
この人たちが去って、あとに十名ほどの人が残りました。しかし、順礼にしては、なにか様子が変です。質問してみると、ある人は、一年半ここに住んでいるし、他の人は、三年半いるそうです。どういう意図か分りませんが、十名程度の若い人たちが、共同生活をしていました。

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ここで生活している人たち。ここの畑で作ったもので、食事の用意をしています。

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わがねぐらへの入口。夜中トイレに行くのに何回も通りました。真っ暗なので、ヘッドランプ必携です。
なにしろ、12世紀の建物です。

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居間として使っている場所でしょうか?

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作業場?

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音楽室?

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ここも居間?突き当りの、明るい部屋は、食堂です。

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瞑想室?

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オリオ(穀物倉庫)。ガリシアでも一番長いオレオです。22対の石の脚で支えています。ここを、二人が、寝室に使っているそうです。
ガイドブックによれば、この地域で若い人たちが定住して働くよう、村が、この建物を宿舎として提供しているというようなことを書いてあります。なんだか、だんだん様子が分って来ました。

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僧院付属教会。

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風化した石像。

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レフヒオの看板。レフヒオとは、避難所の意味が強い、アルベルゲのことです。

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巡礼中、REIKIという言葉をよく見かけました。霊気のことで、瞑想(室)のことかと思われます。

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12世紀の台所。

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12世紀の炊事場。

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現代のネコ。

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3ユーロの夕食。身体に良さそうです。
下に見える、お米の焦げたのが、翌朝食にも貰ったライスケーキです。
なんとも摩訶不思議な世界に迷い込んだという感じでした。結局、この日、泊まった巡礼は私、ひとり。あと八名いましたが、ここに定住している人たちです。

ドゥンブリアまで、一方通行の標識に悪戦苦闘!

Struggling with the ways because of markings of only one way from Dumbria
05.07.2016

7月5日(火)

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Dining room of Albergue Aurora de los Caminos, Ozon.
アルベルゲ、アウロラ・デ・ロス・カミーニョスの食堂。
ここで、コーヒーとライスケーキを朝食として、供されました。私の他に、八人の定住者と一緒に食べました。

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The monastery and the longest horreo in Galicia.
僧院母屋とオレオ(穀物倉庫)。
そして、オレンジを一個、お土産に貰っいました。それぞれに、別れの挨拶をして、気持ちよく、出発しました。

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Monasterio de San Martino de Ozon and the horreo.
サンティアゴの道から振り返ると、僧院の母屋とガリシアいち長いオレオ(穀物倉庫)が見えました。現在は、二人のねぐらとなっています。
ここに住んでいる八人は、さしずめ、12世紀の僧院に暮らす、現代の僧侶とでも言えるでしょうか。僧院やアルベルゲの管理維持のほかに何をやっているのでしょう?

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A Korean couple to Muxia.
途中、韓国人夫婦の巡礼に出会いました。彼らは、これから、ムシーアへ行くところです。

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A couple to Muxia.
むこうから来る巡礼。ムシーアから来る巡礼は殆どいませんが、ムシーアへ向かう巡礼には、結構出会います。

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セナンデ。この辺りから、道の選択が難しくなりました。

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セナンデで、アルベルゲから貰ってきたオレンジを食べて、ひと休み。

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ここは辛うじて、人が来たので、教えに従って、左へ。

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A French pilgrim. She also went to and back from the wrong way.
どちらへ行くか判断のつかない二股の道では、前方から巡礼が来るのを待つというのも、ひとつの手です。
二股で、写真の女性がやってきたので、私は、そちらの道へ向かいました。すると、
「道を間違えたようだわ」
彼女も、サンティアゴ方面へ向かっているのですが、違う道を行ったと気付いて、引き返して来たのです。道を間違えたことは、道が行き止まりになっていたり、あるべきところにサンティアゴの標識がなかったりするので、分ります。
二人で、大笑いしました。

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前を行く、先ほどの女性巡礼。フランス人です。
このあと、先になったり、後になったりして歩きました。分かれ道で、前方から巡礼が来るのを一緒に待ったりもしました。

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オレオから、トウモロコシを取り出す農夫。まだ実際に使われているオレオもあるということです。

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Which way shall I go???
さて、こんな二股に分かれた道が出てきました。サンティアゴ方面(前方)から来る巡礼は、一本道になるので、ムシーア方面へ間違いなく進んで行けるでしょう。一方、サンティアゴ方面へ向かう場合はどうするか?????
1.まず、どちらからか、サンティアゴ方面から巡礼が来るのを待ちました。なかなか来ないので、しびれを切らして、どちらかに進むことにしました。
2.道をよく見ると、右側のほうが、人がよく通っているようです。右側の道を登ってゆきました。ところが、しばらくして、畑があって、行き止まりになってしまいました。
3.また、引き返して、左側の道にゆきました。これが正しい道です。
こんなことを何度も繰り返しました。(但し、これは、ムシーアとオスピタル間で、しかも、ムシアからオスピタルに向かう時だけ起こる問題です。つまり、ムシアからオスピタルへ歩く巡礼はほとんどいないと言うことでしょう。他の場合は、このような問題はないので、ご心配なく。)

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故郷の廃家。
暖炉が、赤々と燃えた時もあったでしょう。

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こんな一本道が続けばいいのですが・・・

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Dumbria, 13km from Ozon.
ようやく、今日の目的地、ドゥンブリア(丼屋)に入りました。アルベルゲ、アウロラ・デ・ロス・カミーニョスのあるオソン(?)Ozon から、13キロです。

ドゥンブリアの公営アルベルゲ De O Conco

Municipal albergue De O Conco in Dumbria
05.07.2016

7月5日(火)つづき

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ドゥンブリアの歩道には、ベゴニアがたくさん植えられていました。ムシーアのベゴニアさんを思い出しました。

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今日の宿泊先、ドゥンブリアの公営アルベルゲは、村を横切って、一番はずれにあると、ガイドブックの地図に載っています。「ウルトラ・モダンな巡礼宿」だと書かれています。

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Albergue De O Conco, Dumbria.
村を出かかったところに、「ウルトラ・モダンな」姿が現われました。夕べ泊まった12世紀の僧院とは、随分違います。

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出来て間もないようです。休憩室もバルコニーも素敵です。
道中、出会ったフランス人女性もいて、道が分らず大変だったと、目を丸くしていました。

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なかなか、こんな立派な洗濯場を供えたアルベルゲはありません。台の手前内側は、洗濯板のようになっています。

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6 Euro for bed only.
寝室は、二段ベッドが四つ、八人部屋です。一部屋は、ベッドがふたつで、身体障害者用となっていました。合計26名収容可能。
料金は、素泊まり一泊、6ユーロ。係りの人は常駐せず、17:00頃、料金を徴収しにきました。このような場合、予め、適当に自分の好きなベッドを確保しておきます。

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寝室の外には、綺麗な庭があります。

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アルベルゲの台所。
私は自炊はしませんが、アルベルゲには、自炊用台所・食器が供えられていて、自炊をし、食堂で食べられるようになっています。

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アルベルゲで、シャワーを浴び、洗濯をしました。一段落して、昼食のレストランを探しに出かけました。村の中程に、オ・アルヘンティーノ(?)というレストランが見つかりました。ここは、ペンションもやっているようです。

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定食を頼みました。この前菜を食べてしまうと、メインが食べられなくなるので、ほとんどパス。

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メインのローストビーフ、特にソースが絶品。これは、全部食べました。
ワインとコーヒーがついて、10ユーロ。

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レストランの人たち。どういう関係でしょうか?老夫妻と息子夫婦でしょうか。料理よりも、こっちのほうが、気になりました。

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食べ終わって、村の見物をしました。見物すると言っても、教会くらいしかありません。ドゥンブリアのサンタ(聖女)・バイア教会です。
後ろにあるのは、オレオ(穀物倉庫)です。

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サンタ・バイア教会。

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サンティアゴのようですが、サン・ロッシュです。脚を見せているので分ります。

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中にあったサン・ロッシュの彫刻。外見は、ほとんど、サンティアゴですが、脚の傷を見せているので、サン・ロッシュだと分ります。

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中央祭壇。

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ミレーの晩鐘も、ここにありました。

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教会の外の敷石にナンバーが振ってありました。2014年に歩いた、フランス人の道のどこかの町でも、同じように、壁の石にナンバーを振ってある教会を見たことがあります。そこは、町がダムに沈む前に、教会の石を丘の上に運んで、教会を建て直しました。その時のナンバーです。

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教会の前のオレオ(穀物倉庫)。このあたりは、オレオがたくさん残っているようです。夕べ泊まったオレオにも、ガリシア一のオレオがありました。明日泊まる予定のオルベイロア(来るときに一度泊まりました)には、無数のオレオがあります。

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一旦アルベルゲに戻り、ひと休みしました。
夕食は、アルベルゲに一番近いカフェ・トゥルアネスに行きました。ここは、スーパー・マーケットも併設しています。

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そのスーパーで、トマトと生ハムを買って、ワインのツマミにして、夕食としました。レストランで、二食食べると、どうしても、食べ過ぎになって、お腹が苦しくなります。
店で食べてもよいかと尋ねると、皿とフォーク・ナイフを出してくれ、盛り付けまでしてくれました。
今日の支出は:
昼食     10ユーロ
夕食      5ユーロ
アルベルゲ  6ユーロ
〆て      21ユーロとなりました。

再び、オスピタルへ!オルベイロアへ!

To Hospital, to Olveiroa again!
06.07.2016

7月6日(水)

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昨日、ドゥンブリアのアルベルゲへは、サンティアゴの標識に頼らずに来ています。アルベルゲを出て、左か右か、どちらへ向かうのか分りません。おそらく、右の方向でしょう。アルベルゲの前で、雑草狩りをしている火男性がいたので、「カミーノ・サンティアゴ?」と尋ねてみました。
すると、左を指さしました。とりあえず、そちらの方に歩いて行くと、「ドゥンブリア婦人ウォーキング・クラブ」という感じのご婦人たちが、私を追い越しました。彼女たちにも、「カミーノ・サンティアゴ?」と尋ねました。
「私たちについておいで」と先導してくれました。
舗装道路(写真)に出た所で、「私たちは、こっちへ行きます。サンティアゴの道は、この道を横切って、そのまま真っ直ぐです」と、舗装していない小道を指さしてくれました。分かれ道で、記念の写真を撮らせて貰いました。

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アス・カリザスという集落に入りました。

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一軒の家の井戸に、サンティアゴの道の標識がありました。しかし、方向が分りません。

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しかし、真っ直ぐに行けば、農家の庭先のようだし、あと一本の道があるだけです。その坂道を登ってゆきました。

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峠をひとつ越えると・・・

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車も走る一般道路に出ました。ムシーアへ向かう巡礼(写真)に、何組にも出会うようになりました。もうこれで、一方通行の標識に悩まされることもなく、大丈夫だろうと安心しました。

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そして、ついに!オスピタル手前の、分岐点にやってきました。左へ行けば、フィステーラ。右へ行けば、ムシーアです。私は、今、ムシーア方面からやって来ました。
ここから先は、一度歩いてきた道です。

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分岐点に、二人の婦人の巡礼がいました。
左がベルギー人、右が、オランダ人です。オランダ婦人のほうは、日本語を少し話します。新宿で、英語の教師をしていたと言っていました。

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ベルギー婦人から、ガンジーの言葉を印刷した紙きれを貰いました。
彼女たちとは、二、三日後に、サンティアゴで偶然再会しました。

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A Frenchman from La Rochelle at bar O Castelino. He wants to walk 88 temple in Shikoku, Japan 2018.
フィステーラとムシーアへの分岐点から少し下ったところに、カフェ・バーがあります。オ・カステリーニョです。まだ、朝食を食べていないので、ここで、朝食を食べました。
朝食後、出発しようとしたとき、ひとりの男性巡礼がやって来ました。フランスのラ・ロシェルからやって来たそうです。再来年、四国八十八カ所を巡りたいと言っていました。彼とも、サンティアゴで再会します。

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Information at Hospital.
そして、オスピタルまで下りてきました。サンティアゴの道沿いに、観光案内所があります。来るときには、閉館でした。今回は、中に入ってみます。愛想のよい女性がひとりいました。中の展示を見させて貰いました。

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The Vakner in Galicia like la bete du Gevaudan in France.
2014年、サンティアゴの道のうち、ルピュイの道を歩いたときに、「ジェヴォ―ダンの獣」というのを紹介しました。18世紀、フランスのジェヴォ―ダン地方に出現したと言う獣です。
面白いことに、同じような話が、このガリシア地方にもありました。15世紀の巡礼僧が、サンティアゴの道を歩いているときに、この怪獣に出会ったそうです。名前を、The Vakner と言います。この絵につけられた説明は、次のように述べています。
「The Vakner は、ガリシア地方で、恐れられている怪獣、オオカミ人間に似ている。この想像上の生き物は、オオカミに対する昔の農夫の恐怖からきている。」

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Albergue O Logoso.
オスピタル観光案内所の受付嬢に別れを告げました。フィステーラ・ムシア分岐点からは、一度歩いた道なので、過去の記憶が戻って来ます。
途中にあるアルベルゲ、オ・ロゴーソ。

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オ・ロゴーソの壁に描かれた絵。奥の細道を思わせます。
カフェやアルベルゲ、巡礼の数も目立って多くなりました。ムシーア付近と比べると、賑やかになってきたとさえ言えるような雰囲気です。

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View of Olveiroa from the pass.
峠の上から、今日の宿泊地、オルベイロアが見えてきました。今回の私の歩きの巡礼は、そこでお終いです。

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The way to the municipal albergue Olveiroa. I will stay here tonight.
Here is the end of my walking pilgrim.
坂道を下って、オルベイロアに着きました。今日は、このアルベルゲに泊まります。