国境を越えてスペインへ!

Crossing the border between Portugal and Spain
17.06.2016

6月17日

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「ポルトガルの道」を歩いて、赤い矢印のヴァランサまで来ました。
地図の下,緑枠のリスボンLisboaから、約500キロあります。31日をかけて来ました。一日平均16キロ進んで来たことになります。
地図の上、緑枠のサンティアゴまでは、あと約120キロを残すのみとなりました。これまでのペースで行くと、一週間ほどで、到着することになります。

ヴァランサとその北の隣町トゥイとの間には、ミーニョという川が流れています。その川が、ポルトガルとスペインの国境線です。従って、ヴァランサはポルトガル、トゥイはスペインということになります。
今日は、ヴァランサを発ち、20キロ先のポリーニョ(スペイン)を目指します。

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ヴァランサ城塞のコロアダ門。車の通行用に、信号が立っています。
今日も、空は雨模様です。私がベッドから起きた時には、もう殆どの巡礼が出発したあとでした。
ここから先のメイン・ルートは、城塞の中を通らないで、城砦外側のスペイン通りという街道を行くようになっています。たいした回り道でもないので、私は、もう一度、城砦の中を見物しながら行くことにしました。

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ヴァランサの城塞の起源は、かなり古いようですが、17世紀に、フランスの築城家、ヴォ―バンの設計によって、現在の姿に建造されました。

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城塞内の、Bom Jesus のチャペルと、その前に立つ、サン・テオトニオの像。

サンティアゴ巡礼事務所の統計によれば、2015年に、ポルトガルの道を歩いた巡礼者の数は、43,149人です。そのうち、45%、約半数近くが、ここヴァランサと隣町トゥイから出発しています。これから、途上の巡礼者の数は、今までの倍になると考えてよさそうです。但し、宿泊施設も、それなりに大規模なものがあるようです。

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城砦からスペイン側を望む、朝の景色。

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ヴァランサの街に残る、起源47年、ローマ時代の里程標。ヴァランサが、古くからの街道であったことが分ります。

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ひと休みするのによい、石のベンチ。

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昨日引き返した、城砦の北のはずれから、更に城塞を下って行きます。サンティアゴの道の黄色い矢印が出てきました。

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更に下って行くと、城門がありました。

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城門を出て、更に下ると、ポルトガルの道のメイン・ルートの「スペイン通り」に合流。更に少し下ると、橋のたもとに出ました。橋は、二階建て構造になっています。上階は、鉄道、下は、車と歩行者用になっています。姿が、エッフェル塔に似ています。調べたところ、やはり、エッフェルの設計でした。「国際橋」という名前の橋です。

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ポルトガル側の橋のたもと。

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歩行者用通路。下を、ミーニョ川が流れています。

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自動車用通路。

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スペイン側に入りました。橋の付近だけ見ると、ポルトガルより、薄汚れた感じ。

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これから歩く道は、スペインでも、ガリシア自治州です。バスクと同様、スペイン、カスティーリア地方とは、異質な地方です。言葉も、スペイン語(カスティーリア語)とは異なります。むしろ、ポルトガル語に近いと言います。
雨の多いのでも、有名な地方です。降らないことを希望します。
スピード制限の標識は、次の通りです。
50キロ:市街地
90、100キロ:郊外。日本は、各市街地が密集していて、市街地と郊外との区別が難しいですが、ヨーロッパの場合、比較的、市街地と郊外がはっきりとしています。
90キロと100キロの正確な違いは不明です。自動車専用道路や片側二車線の道路が、100キロとなるようです。(フランスは、110キロだったと記憶しています。)
120キロ:高速道路。(フランスは、130キロ。ドイツは、有名な、無制限。)
ヨーロッパ各国、スピード制限が異なるために、各国境には、このような案内が出てきます。

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トゥイです。さあ、いよいよスペインに入りました!
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トゥイの大聖堂を過ぎて

Passing by the cathedral of Tui
17.06.2016

6月17日(つづき)

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ミーニョ川を渡って、スペインのトゥイに来ました。ポルトガルのヴァランサ方面を振り返ります。ヴァランサ城塞の中の街、ヴァランサとトゥイの間にに架かる国際橋、そして、その下を流れるミーニョ川を見ることが出来ます。

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今度は、トゥイの街中に入って行きます。サンティアゴの道の標識は、トゥイの大聖堂へ登るように出てきます。

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大聖堂前のサン・フェルナンド広場に出ました。

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大聖堂正面入り口の彫刻。

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大聖堂内部のサンティアゴ。これは、レコンキスタ(再征服)の象徴としてのサンティアゴです。

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大聖堂内のドアが開いていたので、覗いてみました。事務所でしょうか?静謐を絵に描いたような静けさでした。

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このような素朴な彫刻が好きです。

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大聖堂の裏庭。
トゥイのアルベルゲ(36ベッド)は、この大聖堂の裏にあります。よっぽど一泊して、トゥイを見物してゆこうかと思いましたが、まだ朝で、時間が早く、先へ進んでしまいました。

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大聖堂から少し坂道を下ったところにあるサンタ・クラリーサ教会の像。

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同じ教会を飾る煉獄の彫刻でしょうか?

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ヴァランサとトゥイという大きな町を去り、ようやく人里離れた、静かな巡礼の道になってきました。
古い橋と休憩用のベンチが出て来ました。橋は、Puente da Veiga です。

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橋のたもとには、石に、くり抜かれたサンティアゴ巡礼の像。

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飲み水場がありました。杖、瓢箪、ホタテ貝。サンティアゴ巡礼の象徴です。
私は、こういう静かな自然の中にいるだけで、人生で一番の楽しさを感じます。
従って、宿泊先も、町の中の宿ではなく、町はずれのキャンプ場が好きです。できれば、そうしたいのですが、最低、テントとマットの合計3キロが、重量増加となってしまいます。来年は、「パリからモン・サン・ミシェルへの道」というのを歩く予定です。できれば、宿主体ではなく、キャンプ場主体に歩きたいと考えています。
これが可能かどうか、今年のこのブログ作成が完了したら、テストしてみるつもりです。従来の10キロのリュックに、プラス3キロを加えて、果たして、歩行可能かどうか???

ポリーニョへ

Albergue of Porrino
17.06.2016

6月17日

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道が、車道に出ました。しかし、車は少なく、かつ、車道と歩道との間に柵があるので安心です。
ガイドブックによれば、きょうの標準ルートは、ヴァランサからレドンデラまでの、33キロです。私には長すぎる距離なので、標準コースを半分に分けて、今日は、途中のポリーニョという町を目標にしました。ヴァランサから16キロです。ポリーニョには、アルベルゲもあります。

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林の中へと入って行きました。

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すると、巡礼向けに食べ物・飲み物を売っている店がありました。売店の母娘(?)。Cruceiro San Telmo という場所です。

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そこで、果物を買って、食べながら、休んでいると、何組かの巡礼が寄って行ったり、素通りしたり・・・

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その店の横に、古い石碑と十字架が立っていました。
ガイドブックによると、サン・テルモという聖人が、サンティアゴ巡礼の帰途、ここで熱病のためになくなったそうです。1251年のことです。

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ここ、Cruceiro San Telmo は、サンティアゴまで、108キロの地点です。

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巡礼路を行く女性巡礼二人。

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女性一人の巡礼もいました。夕べのアルベルゲで、私の隣のベッドにいたので、顔だけは知っています。アメリカから来たサラさんです。この写真を写したときは、名前も知らず挨拶しただけですが、その後、何日か出会いを繰り返しました。

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途中にあった騙し絵。

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バルセロナから来たスペイン人。五人組のうちの四人。
今日は、この五人のスペイン人や、アメリカ人のサラさんと、抜いたり、抜かれたりしながら歩きました。
この辺りで、道が二本に分かれます。旧道は直進です。しかし、工業地帯を通るので、新道ができました。少し遠回りになりますが、森の中の静かな道です。夕べ泊まったヴァランサのアルベルゲのレセプションでも、新道を勧められました。また、ガイドブックCamino Portugues でも、新道が標準ルートになっています。
しかし、紛らわしいことに、分岐点で、新道への標識が、真っ黒に塗りつぶされています。ガイドブックには、こう書いてあります。「きっと旧道にあるカフェが、新道に行かれると困るので、塗りつぶしたのだろう。」

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バルセロナの5人組が、どちらに行くか迷っているようなので、上述のようなことを説明して、左側の新道を行くことにしました。
すると、まもなく、サンティアゴの黄色い矢印がでてきました。これで、ここが新道だという確認が取れました。

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バルセロナの五人組。

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バルセロナ五人組のうち、三人。

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アメリカ人のサラさん。シアトル出身だそうです。ヘトヘトになって、歩くのが辛そうです。非常にたくさんの荷物を背負っているからです。
「どうして、そんなにたくさんの荷物を担いでいるのですか?」と、不思議に思って、尋ねました。
「半年(?)スペイン語の勉強のために、スペインに滞在しました。卒業したので、アメリカに帰る前に、サンティアゴの道を歩いています。そのあと、真っ直ぐにアメリカに帰ります。そのため、スペイン滞在中の荷物を全部持ってきました。」とのことです。

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そうしているうちに、ポリーニョのアルベルゲ・ペレグリーノスに到着しました。

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アルベルゲ前に建つ、サンティアゴの道の記念碑。サンティアゴ巡礼のシンボル、杖と帆立貝と瓢箪。

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アルベルゲの廊下に飾られた巡礼者の人形。

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このアルベルゲは、二部屋、計50ベッドある大きなアルベルゲです。一泊素泊まり、6ユーロ。
そのうち、アメリカ人のサラさんも到着して、また、私のベッド(右側一番手前)の隣に落ち着きました。(私は、受付で貰った白いシーツをベッドに敷いています。左側下段には、私より先に着いた数名の団体がいました。シーツを敷いていない所は、まだ空きベッドということです。)

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ポリーニョの街は、川の反対側にあります。夕食は、街のほうへ出かけました。線路の手前に、カフェテリア(Paso a Nivel)があったので、そこに入りました。これは、巡礼定食だったでしょうか?夕食11ユーロと、私のメモにあります。

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テーブルの隣に、こんな大きなパンが置いてありました。

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食事の後、街へ行ってみました。なにかお祭りがあるのか、大勢の人が、あちこちにたむろしていました。凍りそうな冷たい風が吹き出したので、急いで引き上げてきました。

モスのキオスカ・フローラの巡礼杖

Pilgrim's stick sold at Kiosko Flora in Mos
18.06.2016

6月18日

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例によって、私の起床したときには、同室の他の皆さんは出発した後でした。
出発の準備をしていると、黒猫が入ってきました。そして、私の向かいの二段ベッドの上段に、トントンと上って、落ち着いてしまいました。毎朝の日課のように、なんの迷いもない動作でした。

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ポリーニョのアルベルゲを出発。朝食をどうしようかなと考えながら歩いていたら、昨日、夕食を食べたカフェテリアが開いていました。そこで、朝食を食べていると、ご婦人三人組も隣のテーブルにやって来ました。昨日、途中で出会った巡礼です。

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ご婦人三人組に「また会いましょう。ブエン・カミーノ!」と言って、カフェテリアを去りました。しかし、それ以来、このご婦人たちとは会いませんでした。
カフェテリアを出るとすぐ、踏切を渡ります。ポリ―ニャの駅が左手に見えます。

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ポリーニョ郊外にも、大きな中国系の雑貨屋さんがありました。中華料理店をよく見かけるように、このような雑貨屋さんもよく見かけます。
ガードレールにサンティアゴの黄色い矢印がついています。

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前方には、ブドウ畑と古い農家と山。

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フォンテ・ド・シャンという水飲み場。ポリーニョから、1.5キロ。
今日の目標は、レドンデラ。ポリーニョから、15キロです。

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道を塞ぐように、大きな岩が現れました。

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エベレスト 8848 と表示した青銅版が嵌めてありました。エベレストの高山に比肩する大きさだ、と言っているのか、よくわかりません。

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「ローマ街道 14」とあります。ローマ街道の14号線ということか、ローマ街道に、番号があったのか、これも分かりません。
表示の上に、サンティアゴの黄色い矢印があります。

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線路を渡って・・・標識の裏にも、黄色い矢印。柵の上には、ケルン。

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路傍の石像。説明がありますが、意味が分かりません。

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アルベルゲの標識です。この辺り、モスに、カーサ・ブランカというアルベルゲがあります。

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モスという場所に来ました。道は、急な登り坂になっています。これから、235メートルのモンテ・コルネードまで登りです。
途中に売店(キオスカ・フローラ)がありました。この向かいに、先ほど案内が出てきたアルベルゲがあります。この売店がその鍵を預かっているそうです。
私は、レドンデラまで行くので、ここは素通りです。

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その店で、杖を売っていました。素敵な杖なので、お土産に一本欲しいなと思いましたが、邪魔になります。
二年前、「フランス人の道」の出発点、サン・ジャン・ピエ・ド・ポールで、この杖を買った日本人青年に出会いました。彼は、巡礼の歩行用には、別に二本のステッキを持っているので、買った杖を使う訳ではありません。お土産に買ったのです。邪魔になるので、終点のサンティアゴで買えば良かったと言いつつも、リュックにつけて運んでいました。果たして、最後のサンティアゴまで、持って行ったのでしょうか?気になります。

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杖は、一本、8~10ユーロで売られています。つい、買ってしまいそうです。

レドンデラ:ウルトレイア!より前に!

Parque of Monte Cornedo
18.06.2016

6月18日(つづき)

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Concello de Mos から更に、Monte Cornedo(235メートル)を目指して登ってゆきます。

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サンティアゴ・デ・コンポステーラまで、92.936キロの地点です。

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サンティアゴの道

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途中で、ローラー・スケート(というのか?)に乗った男性に追い越されました。声をかけて、どこから来たのか尋ねました。シンガポールだそうです。徒歩、自転車、ウマ、ロバの巡礼を見ましたが、ローラー・スケートを見るのは初めてです。
ところで、ウマの巡礼というのがあります。めったに見かけませんが・・・ウマを野原に繋いでいるのを、一度見たことがあります。ウマが多かった昔ならいざ知らず、巡礼の長い道中、町の中など、ウマをどのように宿泊させるのか、不思議に思いました。車なら駐車場がありますが・・・
モンテーニュが、十名くらいでフランスからローマまで旅をします。そのうち、数名がウマに乗っています。当時の宿屋は、現代の駐車場の代わりに、厩舎をそなえるとなれば、相当大きな宿屋であることが必要だったろうと想像されます。

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ようやく頂上にたどりつきました。まさに、峠という感じのところです。いろいろな記念碑が建っている公園Parqueになっていました。

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左は、「サンティアゴの道」の石碑。右の月の意味は不明。

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この女性の石像の意味も不明。

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サンティアゴの石像。

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公園で、写真を撮っていたら、アメリカ人のサラさんがやってきました。Fine ですか?と声をかけると、fine だそうです。

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同じ公園の広場に、露天商が店を広げているところがありました。そこに、屋台のバーがあったので、ビールを飲みました。

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周りに人家のない広場に、数店の露天商が店を広げています。客は誰もいません。

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露天商の人たちも、暇そうに雑談中。なんとも、のんびりした風景です。

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そして、再スタート。公園を出るとすぐに、ローマ時代の里程標がありました。ローマ街道XIVの里程標です。この道こそ、オリジナルのサンティアゴの道です。
ここから、今日の目標、レドンデラまでは、下りとなります。

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しばらく行くと、林の中で、休んでいる、サラさんに、また会いました。

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塀に描かれた「ウルトレイア!!!」 より前へ!!!