サン・ジョアンを目指して

To Sao Joao da Madeira
05.06.2016

6月5日

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昨夜泊まった宿、アナクレートを出発。
昨日親切にして貰った、ケーキ屋さん、イデアル(写真)に挨拶してゆこうと思いました。ところが、店は閉まっていました。日曜日なので休みかもしれません。
今日の目標は、サン・ジョアンという、10キロ先の町なので、気が楽です。

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お菓子屋さんと同じ通りにある、ローマ時代の里程標。ここを、ローマ街道が通っていたことが分ります。
その右に見える教会は、Matrix de Sao Miguel 教会です。日曜日なので、朝のミサに出席する人たちが、三々五々集まってきました。見学は中止。

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途中、反対方向から来る青年に出会いました。リトアニア人です。ファティマへ行くのです。おそらく、夕べは、これから私の行くサン・ジョアンに泊まったでしょうから、
「サン・ジョアンでは、どこに泊まりましたか?」と質問しました。
「消防署です。消防署に電話をしたら、迎えに来てくれました。」と嬉しそうに話していました。

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サンティアゴ・ダ・リバ・ウルの村。道と両側の壁を、石で綺麗に固めてあります。

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アルベルガリアとサン・ジョアンの間は、鉄道線路とほぼ並行して、サンティアゴの道があります。そのため、何度も、このように踏切を渡って、線路の右側を歩いたり、左側を歩いたりしります。たまに、電車が来るので、電車に気を付けるとともに、サンティアゴの黄色い矢印にも気を付けます。

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Salgueiroの中世の橋です。下を流れる川は、ウル川です。

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中世橋通り。

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橋は、このような姿をしています。

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ガイドブックの地図には、オリベイラからサン・ジョアンまで、カフェのマークがありません。10キロ朝食なしを覚悟していました。嬉しいことに、Vila da Cucujaes という村で、カフェを見つけました。写真は、カフェ・エミグランテ。

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諦めていた朝食。いつものカフェ・グランデと、クロワッサンがないので、エクレア。

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ここは、Vila da Cucujaes。

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この村に不釣り合いに大きな僧院。僧院は、通り道ではないので、近くまで行きませんでした。写真で見る限り、手入れがされているようなので、廃墟ではなさそうです。

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サン・ジョアンのひとつ手前のファリアで、また踏切を渡って・・・

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そうこうしているうちに、サン・ジョアンに着いたようです。急な坂道を登って、サン・ジョアンに入ります。

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予想以上に大きな町で、途中、サンティアゴの道の黄色い矢印を見失ってしまいました。今日泊まるつもりのレジデンシアルは、町の中央広場、ルイス・リベイロ広場にあります。黄色い矢印に頼るのは諦めて、人に聞きながら、中央広場を目指しました。
中央広場のレジデンシアル「ソラル・サン・ジョアン」へ行くと、掃除に15分くらいかかるので、それまで待ってほしいと言われました。広場には、たくさんのカフェ・テラスがありました。そこでビールを飲むことにしました。
この広場にいると、都会に来た感じがしました。
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サン・ジョアン・ダ・マデイラにて

In Sao Joao da Madeira
05.06.2016

6月5日(つづき)

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レジデンシアル(写真)の前のカフェ・テラス。ここで、ビールを飲んで、30分位過ごしました。

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再び、レジデンシアルを訪れると、無事、部屋に案内されました。バス・トイレ付の立派な部屋です。
Residensial Solar Sao Joao 素泊まり一泊で、32ユーロです。今までの、レジデンシアルやペンションは、一泊20ユーロ前後でしたから、多少高めです。

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窓を開けると広場に面していて、さっきビールを飲んだカフェ・テラスも下に見えます。

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夕方、レストランを探しながら、広場の先に出てみました。5分位歩いて、小奇麗なレストランが見つかりました。ここにしました。

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例によって、客は私ひとり。店には、おばあさんがいて、これも例によって、話が通じません。品書きを見て、ああだこおだと分らないことを話し合っているうちに、おばあさんは、私の腕をとって、台所に連れて行きました。これがありますと示されたのが、一昨日だったか、食べたのと同じもの。おいしそうなので、OKとなりました。

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出てきた牛肉とポテト。

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食べていると、おばあさんのファミリーでしょう、女性三人が揃いました。
客は私だけなので、こんなのんびりしたことをしていられます。

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レストランの向かいにあった金平糖屋さん CONFEITARIA の看板。
新明解国語辞典によれば、金平糖は、ポルトガル語の confeito ですから、金平糖屋さんと考えて間違いないでしょう。金平糖は、このカラベル船で日本に伝えられたのでしょうか?
PADARIA は、何屋さんか分かりません。

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レストランから戻ったときは、随分陽が落ちているのですが、まだまだ明るい季節です。
真ん中のブラインドの下りていない窓が、私の泊まったレジデンシアルの三階の部屋です。

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階段を上って、二階へ行くと、この写真のレジデンシアルのバー(あるいはロビー?)が開いていました。ちょっと顔を出して、ワインを一杯注文しました。

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ここは、バーというよりも、このレジデンシアルの家族のたまり場でした。客は、また、私ひとりです。あとは、レジデンシアルの主(あるじ)とその子供たちふたり(写真)がいるだけです。
主が英語を話すので、立ち話をしました。男の子は空手をやっているそうです。「帯は**色です(色の名前は忘れました)。来年(2017年)オキナワで空手の大会があります。彼は、それに出場するので、来年、日本へ行きます。」と言っていました。ヨーロッパを旅していると、空手や柔道をやっているという人によく会います。日本に居る時よりも、そういう人に会う機会が多いのではないでしょうか。

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レジデンシアルのバーのバルコンにて。
この広場は、サンティアゴの道の通り道になっています。私は、来る途中で、サンチャゴの道の矢印を見失ってしまいました。出会う人に道を聞きながら、ここまで来たのですが、サンティアゴの道(この建物の左手から来て、右手に出る道)とは、全く別の道で(写真正面の道から)、来てしまいました。

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記憶が定かではありませんが、何かワインの話にでもなったのでしょうか、最後に、ワインを一杯、只でご馳走になりました。

マラポスタのローマの石畳

Camino Santiago: Calzada romana in Malaposta
06.06.2016

6月6日

今日のルートは、ガイドブックの標準ルートでは、サン・ジョアンから、ポルトまでです。35キロあります。私には長すぎます。ふたつに分けて行くことにしました。
今日は、サン・ジョアンからグリージョまでの、19キロ。
次の日に、グリジョからポルトまでの、16キロ。

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昨夜は、早く眠って、ぐっすりとよく休むことができました。朝、早く目覚めました。
レジデンシアルの部屋の窓から外を見ると寒そうです。

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窓から顔を出して、外を覗くと、温度表示計が、15.5℃を示していました。

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早く起きたので、今日の出発は、07:00。
レジデンシアルを出て、すぐ右側の Oliveiro Junior 通り(写真)が、サンティアゴの道です。

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道は、敷石で固められていて、所々に、このような模様が入っています。

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しばらく行くと靴職人の銅像がありました。サン・ジョアンの町は、靴と帽子の製造で有名だそうです。ちなみに、ハリウッド映画に登場した多くの帽子は、ここで作られたものだそうです。
後で、知りましたが、この通りに、Museo da Chapelaria という帽子博物館があります。ここがそうだったかも分りません。

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沿道の水飲み場。左側の輪は、井戸から水をくみ上げる装置です。

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こんなのも、ありました。蛇口と石像がマッチしません。蛇口は後で付けられたものでしょうか。

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サン・ジョアンの郊外に出た頃、パン屋さん兼カフェがありました。ここで、朝食にします。

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いつものカフェ・グランデと、クロワッサンがないので、このパン。

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料金が、いつもの半分くらいなので、びっくり!
コーヒーが、0.6ユーロ
パンが、0.25ユーロ
合計、0.85ユーロです。日本円に換算すると、100円位!
昨夕、PADARIA(パダリ屋)さんが、なんだか分からないと言いましたが、この領収書に、パンのことを、PADARIAと書いてあります。PADARIAとは、パンのことだったのです。昨夜の店は、金平糖屋さん兼パン屋さんでした。

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青いアズレージョで覆われた教会がありました。Matrix 教会です。

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教会の前を通って行く婦人が、立ち止まって、十字をきって行きました。日本と同じですね。

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同教会のアズレージョ。

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サンティアゴの矢印と巡礼。

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沿道の洗濯場。ここは、なお現役のようです。

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沿道の小口に腰かけるおばあさん。
人を撮影するときは、原則として、"Photo OK?"と聞いてから、撮影します。一割くらい、断られます。その時は諦めます。
普通、ブログ掲載許可は取っていませんが、たまに、その旨伝えることもあります。

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寂れはてた集合住宅のある、長い急坂を登って行きました。

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そして、車でうるさい国道脇をしばらく歩いて、マラポスタという町に入ります。

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ローマ街道通りという道に入りました。

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沿道の家並みはともかく、道は、ローマ時代のオリジナルです。
ポルトガルの道では、車とその騒音に悩まされます。さすがに、ここまでは、車は入ってきません。

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一昨日泊まったオリベイラには、ローマ時代の道は残っていませんでしたが、里程標だけがありました。ここもポルト方面へゆく街道です。

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おそらく、軍道としてつくられたものでしょうが、兵隊以外に、どんな服装を人たちが、どのくらいの数の人たちが、通ったのでしょうか?2000年近くも昔の話です。今は、サンティアゴの巡礼しか通らないような道です。

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今日の目標、グリージョのアルベルゲの看板が出てきました。あと、11200メートルです。ということは、11.2キロか。

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ローマ街道の脇に、古くて、壊れたベンチがありました。まさか、ローマ時代のものではありますまいが、半分は使えます。ローマの石畳を見ながら、休んでゆきました。

グリージョのアルベルゲまで

To Albergue of Grijo
06.06.2016

6月6日(つづき)

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マラポスタのローマ街道の石畳を見ながら休憩した後、再び出発しました。

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しばらく、石畳が続きます。

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こんな農家の廃墟もありました。

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ポルトガルのサンティアゴの道は、町の中、工業地帯の中、国道・県道脇などを歩くことが多いので、車の往来が激しく、騒音のために、思考能力が無くなってしまいそうです。ポルトガルの道は、問題ありだな。そんなことを思っていたら、フランス人グループ五人に出会いました(写真)。男性二人、女性三人です。右側の男性が、英語を話しましたが、同じようなことを言っていました。

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これは、スペイン語で、オリオと言って、トウモロコシなどを入れておく高床式の倉です。スペインへ行くと、これのたくさん集まった村や、特別大きなものなどを見ることができます。

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途中に、ミニ・マーケットがありました。アルベルゲのあるグリージョには、レストランはなさそうです。ここで、昼食用の食べ物を買いました。

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先程出会ったフランス人グループ。お互い、何回も休むので、その度に、先になったり、後になったり。

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男性一人の巡礼。途中、二、三度出会っているのですが、どんな人であったか、全く思い出せません。

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サンティアゴの黄色い矢印。

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グリージョに入りました。芸術の家、というのでしょうか、この辺にある家のようです。

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グリージョのアルベルゲの案内板。「受付(?)まで、あと2メートル」と書いてあります。

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アルベルゲに着くと、さっきのフランス人グループは、もう昼食を食べていました。さすが、フランス人。ちゃんとサラダを手作りで用意して、昼食を食べていました。
それにしても、さっき、私は、休んでいる彼らを追い抜いてきたはずです。
「どうして、こんな速く着いたのですか?」
と尋ねました。
「タクシーで来ました。」
歩くのに疲れたのか、車の多いのに閉口したのか。写真、真ん中に立っている男性がタクシーの運転手さんです。アルベルゲ受付の係りの人がいません。この運転手さんが、ここに詳しく、いろいろ案内してくれました。

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このアルベルゲは、アルベルゲ・サン・サルバドール・デ・グリージョと言います。宿泊料金は、寄付ベース(ドナティボと言います)です。こういう場合、私は、宿泊のみの場合、5~10ユーロを、二食付の場合は、10ユーロ足して、15~20ユーロを置いてゆきます。

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「この家は、あなたのためのものです。大事に使ってください」と書いてあります。それと、サンティアゴ巡礼のシンボル、杖と帆立貝と瓢箪。
そういえば、ここで、ここの家主に会っただろうか?記憶がありません。巡礼手帳を見ると、この日だけ、スタンプがありません。おそらく、家主には会わなかったのでしょう。ドナティボは珍しくありませんが、家主(または受付の人)が一度も出てこないというのは、過去三年間の経験で、ここだけです。

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壁に、こんな旗が掲げてありました。アルベルゲの向かいには、サン・サルバドル・デ・グリージョという大きな僧院があります。あるいは、このアルベルゲは、その僧院の施設なのかもしれません。

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まず、ベッドを確保しました。ガイドブックによれば、このアルベルゲのベッド数は、14です。
今回の旅では、ラッキーだったのか、空いていたのか、一晩を除いて、すべて二段ベッドの下段を使うことができました。また、上段に人がいたのも、ごくたまにしかなかったと記憶しています。

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ベッドを確保して、私もアルベルゲの庭で、さっきミニ・マーケットで買った昼食を食べました。パンとハムとビールです。

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このアルベルゲで、日本人夫妻に会いました。大坂から来た、中川さんです。(写真右の二人。左にいる男性はポルトガルの巡礼。)
夕食を一緒に食べることにしました。レストランを探しましたが、ありません。近くのカフェで(写真)、サンドイッチなどあるものを食べました。ご夫婦の年齢は、私より少し下です。お互い、旅がすきで、旅の話に花が咲きました。明るい夫婦で、ずっと大笑いした楽しい場でした。私は、久し振りの日本語なので、喋りすぎたかなと思うほど喋りました。ただ、出会いは、この時だけになりました。

ペロシーニョ:ローマ街道の石畳

Perosinho: calzada romano again
07.06.2016

6月7日

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私が、グリージョのアルベルゲを出発したときは、もう全員出発したあとでした。上の階に、昨日のフランス人グループだけが、まだ残っていました。
アルベルゲを出ると、すぐ目の前に、サン・サルバドール僧院(写真)があります。これを背にして進んでゆきます。広大な庭があるのでしょう。長い石壁が続きました。
今日は、ポルトまで歩きます。あと12キロほどです。交通量の多い道を覚悟しなければなりません。

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坂道を上ってゆくと、向こうに立っていたおばあさんが、手を振って、あわてたように、私の方へ走って来ました。
「こっちじゃない!あそこを曲がるのよっ!」と言っているようです。
言われた通り、戻ってみると、細い道があって、そこへ曲がる矢印が、地面にありました。この左折の矢印を見落としていたのです。
「おばあさん、ありがとう」

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ペロシーニョという町に入りました。板の空間は、サンティアゴの道を表しているのでしょうか。

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ペロシーニョのカフェの前にて。

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サンティアゴの道しるべが出てくるたびに安心します。この道しるべを見失わないように歩いているつもりでも、先ほどのように見落とすことがあります。真っ直ぐの道ならいいのですが、先ほどのように、左折したり、右折したりする標識を見落としたら大変です。

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「子供の庭」?「幼稚園」ですね。

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古さが、なんともいえぬ色を出している家の壁。

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地面に、これだけ大きい標識であれば、見落とさないのですが。

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「せっかく日向ぼっこをしているのに、煩(うるさ)いのがきたな」
「すみません」

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ペロシーニョを出ると、静かな道に入りました。ガイドブックを見ると、calzada romano と書いてあります。ローマ街道の石畳です。昨日見た、マラポスタの石畳より、大きな石を使っています。

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しばらく、この石畳を楽しみながら歩きます。

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こんな山奥に、どこから、この大きな石を運んできたものか?

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道の両側も、同じような石で固めてあります。
両側に壁を造るというのは、どんな意味があるのでしょうか?小さい石の場合、ころがっていた石を整理するために壁に使ったというのは、納得がゆきます。それとも、この大きな石も、もともと、ここに転がっていたのでしょうか?

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この街道を通って、240メートルの高さまで登ります。

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今日の、騒々しいポルトガルの道の中で、唯一、静寂に浸れる道です。

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静かなローマ街道を出たところで、父子連れ(あるいは孫?)に出会いました。ガイドブックを見ると、もう、ポルトの郊外に入りました。あとポルトの中心まで、4キロです。