サンティアゴを出発

Departing at Santiago
24.06.2016

6月24日(つづき)

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大聖堂の北側入口とホスぺデリア・セミナリオ・マジョ―ルとの間を通り、写真の門から、オブラドイロ広場に出ます。

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Parador
すると、すぐ右側に、国営の豪華ホテル・パラドールがあります。もともとは、1497年、巡礼者用宿坊として建てられたものだそうです。写真は、パラドールの正面入口。
確か、映画「サンジャックへの道」で、三人兄弟の兄の奢りで、七、八名のグループみんなが泊まるホテルです。そして、犬猿の仲の兄と妹が、なんとか、仲直りするホテルです。(おそらく、映画のグループは、ここからバスで、フィステーラに向かいます。実際、歩きの巡礼は、サンティアゴまでで、フィステーラまでは、バスで、という巡礼もたくさんいます。)

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Eve on the left side of entrance of Parador
入口の左右にアダムとイブの彫刻があります。写真は、左側にある、美しいイブの彫刻。

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写真を撮っていたら、従業員の男性二人がで出てきました。ついでに、一枚。(許可を得てから撮影しています。)

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パラドールの前を、そのまま真っ直ぐ歩いて、オブラドイロ広場を出ると、Rua das Hortasという通りに出ます。ここから、フィステーラへの道の出発です。
サンティアゴに到達して、ポルトガルの道が終わりました。そして、これまでの地図の役目も終わりました。サンティアゴからフィステーラ経由、ムシアに寄るルートの、新しい地図(写真)に変えました。表紙の写真は、フィステーラの町から4キロほど離れたところにある、岬の灯台のあたりのものです。ここが、フィステーラ、地の果てです。

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サンティアゴ~フィステーラ~ムシア~サンティアゴまでの地図。
(上の写真のJohn Brierley's Sarria - Santiago - Finisterreより)
左側の海は、大西洋です。
サンティアゴ~フィステーラ岬の灯台まで、90キロあります。(赤い点線)
フィステーラ~ムシア~サンティアゴまで、115キロです。
(青い点線を歩き、Hospital という辺りで、再び、赤い点線に合流します。)
合計205キロになります。
尚、ポルトガルの道がスペインに入ってからずっと、このあたりは、ガリシア地方です。ガリシアではガリシア語が話されていて、スペイン語(カタルーニャ語)とは異なります。聞いた所によると、地名も、次のような違いがあります。

Finisterre (フィ二ステーレ)はスペイン語です。ガリシア語では、Fisterra(フィステーラ)です。フィニステーレとは、地の果てという意味です。
Muxiaは綴りは同じですが、スペイン語では、ムヒア、ガリシア語では、ムシアというそうです。
私は、現地語に敬意を表して、このふたつの地名は、ガリシア語を使うことにします。

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サンティアゴの町はずれになったと思ったら、こんな廃墟の通りとなりました。

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フィステーラまで、88キロ。
ムシアまで、86キロ。

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前を行くのは、オランダ女性の二人連れです。さきほど、公園で出会いました。
地名は、フィステーラとガリシア語で出ています。(ガイドブックは、フィニステーレと、スペイン語です。)

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丘に登ってきて、左を眺めると、大聖堂が見えました。

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フィステーラまで、86キロ。サンティアゴへの道(ポルトガルの道)から、フィステーラへの道に変って、標識がちゃんと出てくるか心配していました。しかし、頻繁に出て来るようで安心しました。

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さきほどのオランダ女性二人連れが、若い男性と話していました。

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どうやら、男性は、写真屋さんのようです。一枚どうですか?と誘われました。賢い巡礼でもないので、辞退しました。

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ムッムッ、これは何?

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相変わらずの、ユーカリ林。リスボンから、ずっと断続的に続いていました。いい匂いがするそうですが、嗅覚が鈍いので・・・

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若い女性の巡礼が、こんなのと遊んでいました(?)
「あなたも遊んでみますか?」と手を差し出されましたが、これも遊ぶのは辞退して、写真だけ。

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気持よい流れの小川の横を歩く道。

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Alto do Vento という場所に、同名のカフェがありました。ここで、昼食。
アルトとは、丘という意味です。

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Cerveza con lemon at the cafe of Alto do Vento
ここは、アルトと言うくらいです。久し振りに、アップダウンの繰り返しで、疲れました。
セルベサ・コン・レモン(ビールのレモン割り)で、一息入れます。
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ネグレイラのアルベルゲ・ルア

Alberugue Lua of Negreira
24.06.2016

6月24日(つづき)

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カフェから出ると、向かいに、ホタテ貝尽くしの民家がありました。鉄の扉もホタテ貝のつもりでしょう。
この辺りから、一般道路の長い下り坂が続きます。

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長い坂を下りきって、一般道路から脇道に入ります。すると、見事に古い橋がありました。
面白いことに、下を川が流れてはいないで、橋の向こう側には道もないことです。

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いつごろ、この橋の上を、どのような道が通っていたのか、想像をかきたてられます。

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坂を下ったと思ったら、今度は、険しい登りです。ただ、道は、見事に舗装されていました。

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急な坂にたまらず、休んでいると、一人旅の女性巡礼がやってきました。

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大変に多い、女性巡礼の一人旅。男性の一人旅に出会うより多いかも?前を歩いているのが、先ほど会った女性。もう一人の女性巡礼が、そのあとから、私を追いぬいてゆきました。
私は、このように、大体、一番歩くのが遅い巡礼です。

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今日の行程のうちで、一番標高の高いところ、トラスモンテを過ぎました。今日のルートは、サンティアゴからネグレイラまで、22キロあります。途中、中程にLombaoという所に、アルベルゲがあります。そこは、ルート沿いにではなく、少し脇道にそれなければなりません。しかも、ベッド数が、6 しかありません。もし、満員だったら大変です。ネグレイラまでは、ちょっと、無理かなとも考えましたが、Lombao には寄らずに、ベグレイラまで、頑張ってみることにしました。
トラスモンテでは、もうヘトヘトでしたが、あとは下り坂と、自分を励まして、ネグレイラに向かいました。

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トラスモンテを過ぎてすぐに、カサ・パンチョというカフェが出てきました。天の助け、早速休憩です。セルベサ・コン・レモンを頼んで、また、一息入れます。

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カサ・パンチョ近くの、チータのようなネコ。

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道を、どんどん下って行くと、川に出ました。古い橋がかかっています。Ponte Meceira (メセイラ橋)です。

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流れの早い川です。川の名は、タンブレ川 rio Tambre。
この建物は、水車小屋でしょうか?

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橋を渡りきったところに、チャペルがありました。Capilla de San Blas です。

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道の脇には古い家が並んでいました。アジサイが真っ盛りです。6月24日です。

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そして、ようやく、ネグレイラに到着しました。

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ここには、数軒のアルベルゲがあります。選ぶ余裕などなく、街の中に入って、最初に出てきたアルベルゲに入りました。
アルベルゲ・ルア Arbergue Lua です。

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親切な女将さんが案内してくれました。

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Alberugue Lua, 10 Euro for bed only.
到着したのが、17:00でした。今までで、一番遅い時間の到着ではないでしょうか?それでも、ベッドは半数以上空いていました。幸い、私の好きな位置、一番入口に近い(トイレに近い)ベッドの下段が空いていました。(写真中央、一番手前の下段のベッド)
一泊素泊まり、10ユーロです。
このアルベルゲは、全般的には居心地が良かったですが、トイレ・シャワーの数が少なかったという記憶があります。

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サンティアゴ巡礼関連の絵などを壁に貼ってあります。

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アルベルゲのロビーで、勝手がわからず、うろうろしていると、親切に教えてくれたイタリア人女性。この人も、一人旅の巡礼です。

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アルベルゲで、シャワーを浴び、洗濯をしました。そのあと、女将さんに、適当な近くのレストランを紹介してもらいました。そこに行くと、日本人とイタリア人の女性巡礼二人連れがいました。(今日、イタリア人と出会うのは、三人目です。)
どこに泊まっているのか尋ねると、少し先のカルメンCarmen だということです。この二人とは、これから、フィステーラまで、何度も顔を合わせることになります。
このレストランの夕食は、20:00からだそうです。まだ、一時間以上もあります。とても、待っていられません。不思議に思って、彼女たちに、
「食事を待っているのですか?」と尋ねると、
「食事ではなく、飲み物を飲んでいるだけ」なのだそうです。
私は、一旦、アルベルゲに戻りました。

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また、アルベルゲに戻って、女将さんから、別のレストランを紹介して貰いました。
「イカのフライがあって、日本人巡礼には、人気のある店ですよ。」
通りを一本超えた場所にあります。オリエルという名前のレストラン(正確には、カフェ・バー)です。

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料理の名前は忘れましたが、イカのフライ、サラダ、ベーコン、卵焼きの料理です。これに、リオハ・ワイン。

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Friday evening at the cafe bar Oriel, Prolg. del Carmen
レストランには、順礼らしき姿はなく、地元の客ばかりのようでした。金曜日の夜ということもあり、たくさんの客が集まり、和やかなムードです。

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夕食を終えて、アルベルゲに戻りました。女将さんとその娘さんが、看板を片づけていました。店じまいです。
辞書を引くと、スペイン語で月のことは、ルナLunaです。ルアLuaとは、月を意味するガリシア語でしょうか。フィステーラとムシアの名前の、スペイン語とガリシア語の違いを教わったのは、この女将さんからです。ルアのことを尋ねるのは、忘れてしまいました。

ネグレイラのアルベルゲを出発

Deaprting at Negreira
25.06.2016

6月25日

リスボンからスタートして、サンティアゴには、予定より、一週間くらい早く到着しました。さて、余った一週間をどうするか??
帰りは、7月12日マドリッド発のフライトを予約してあります。また、7月11日マドリッドの宿を一泊だけ予約してあります。余rふぃ都会には長居したくありませんが、ある程度、サンティアゴとマドリッドの滞在を増やさなければならないでしょう。そのための宿を予約する都合もあります。ある程度、これからの日程を、どこで過ごすか決めなければなりません。
そこで、マドリッド一泊を三泊に増やし、その前のサンチャゴに、二泊することにしました。すると、こうなります。
6月25日~7月6日 ネグレイラ~フィステーラ~ムシア~サンティアゴ(一日17キロ歩いて、約200キロを12日間で歩く予定。)
7月7,8日 サンティアゴ泊
7月9~11日 マドリッド着
7月12日 マドリッド発
この予定で、今晩のアルベルゲに着いたら、そのアルベルゲから、サンティアゴのセミナリオ・マジョ―ルを予約して貰うことにしました。
また、マドリッドの宿は、自分のインターネットで二日分追加することにします。
そして、サンティアゴ往復は、原則徒歩で行くが、間に合わない場合は、帰りの途中から、バスかタクシーを使うことにしました。
これで、よしッ、と。

今朝は、06:30に目覚めました。宿泊者中、私が、一番、最初に起きた者かと思って、周りを見渡すと、ほとんどの巡礼は出発した後でした。どうしてみんな、こんなに早く出発するのか?そんなに早く出発しなくても、明るいうちに到着できるだろうし・・・未だに理解できません。私にとって、朝寝坊は、最高の贅沢です。

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Santiago and albergue Lua on avenue Santiago
サンティアゴの石像。アルベルゲのあるサンティアゴ大通りにあります。石像の後ろに、泊まったアルベルゲ・ルアの垂れ幕が見えます。
インターネットで調べたら、ルアは、やはり、ガリシア語で月という意味でした。後になって、聞いたところによると、ガリシア語は、スペイン語よりも、ポルトガル語に似ているそうです。ポルトガル語でも、月のことは、ルアでした。スペイン語では、ルナなのに。

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同じサンティアゴ大通りにある、女性とウシの石像。

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Cafeteria Galaecia
巡礼の道を歩きはじめました。まず、朝食を取るために、どこか開いているカフェはないか探します。泊まったアルベルゲのあるサンティアゴ大通りが終わる辺りに、開いているカフェテリアがありました。店名は、ガラエシアGalaecia です。

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いつもの通り、カフェ・グランデとクロワッサンを頼みました。そして、いつもの通り、クロワッサンには、フォークが突き刺さってきます。

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French couple
そのうち、他の巡礼も入ってきて、賑やかになりました。この夫婦はフランス人です。フィステーラまで行くそうです。お年は、私と余り変わらなかったはずです。失礼ながら、歩くのが、それほど速そうには見えません。途中、出会いを繰り返すかと思いました。お互い、また会いましょうと言って分かれました。しかし、結局、これが、最初で最後となりました。

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An Italian
こちらは、イタリア人のご婦人。やはり、フィステーラまでの一人旅です。荷物は、タクシー・サービスで、次の宿まで送っているので、軽装です。

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Three Galicians
こちらは、カフェテリアの人と、地元のお客さんです。

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私も一枚撮ってもらいました。

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これは、ネグレイラの紋章です。この付近のあちこちで、目にします。昨日泊まったアルベルゲの女将さんに、
「この絵は、何を表しているのですか?」と尋ねました。
「私は、ガリシアではなく、マドリッドの出身なのでわかりません。」
あっさりかわされてしまいました。
ガイドブックをよく読むと、次のような伝説を紹介してありました。
サンティアゴの弟子が、ローマ軍の兵士に追われました。橋の上まで来たとき、その弟子を守るため、神が、一撃のもとに橋を破壊しました。橋は昨日渡ってきた、タンブレ川にかかるマセイラ橋のようです。

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Pazo do Coton
さて、朝食を済ませて出発です。今日の、標準ルートは、オルベイロアまでの34キロです。私にはとても無理です。途中、何か所か宿があるので、二回に分けて歩こうと思います。
街を出る頃、道にまたがる立派な建物が現れました。コトンという貴族の家だそうです。

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Emigrant statue
それを過ぎると、右側に、変った像がありました。ドラマ仕立てになっています。
父親が働きに出て行く。

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子どもが、行かないでと止めている。

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その母親は、家の中で、諦めて耐えている。
これだけは、誰でも見ただけで分ります。
これには、ガリシアは、移民の多い地方だという背景があります。、外国(アメリカ大陸でしょう)への移住労働者、特に男性、が多いそうです。
ガリシア人の祖先はケルト人です。同じケルト人を祖先に持つアイルランド人のアメリカ移住労働者も有名です。ケルト民族を祖先に持つこれらの人たちになにか共通のものがあるのでしょうか?
また、これから先のムシアで、ガリシアのお祭りを見ました。音楽に、バグパイプが使われています。これも、アイルランドと同じです。また、フランスのブルターニュ地方もケルト人の子孫だと言います。その共通性に興味を持ちました。調べようと思っていますが、このブログには間に合いませんでした。
これと同じような像(移民の像)は、フィステーラにもありました。

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月と十字架。

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ネグレイラ郊外のSan Xulian (サン・スリアンと読むのか?)教会。16世紀のものです。

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古いチャペル。

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いい日和です。ネコも気持ちよさそうです。
「雨のガリシア」という位なのに、好天が続き、ワタシモ、ウレシイヨー。ニャーン。

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追い抜いて行く巡礼。

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気持のよい林の中の道。

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フィステーラの道。

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今朝のカフェテリアで会ったイタリア婦人。地元の人と何か話していました。

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End of the World
This Way
フィステーラは、end of the world (世界の果て)という意味です。
フランスのブルターニュ半島突端にも、フィニステール(地の果て)という名前の県があります。

ビラセリオのアルベルゲ O RUEIRO

Alberugue O RUEIRO of Vilaserio
25.06.2016

6月25日

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ビラセリオ付近のガリシアの風景。

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ガリシアです。ガリシア語の特別な字体があるようです。バスク地方でも、このように変った字体を使っていました。

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フィステーラまで、62キロ。

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ラポーテの泉。飲料水です。
水は、出発前に、水道の水を、500mlのペットボトル、2本に入れて、持ち歩いています。20キロ歩くには、大体これで足りています。

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グループ全員の名前が収まりました!

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Two German pilgrims
ドイツ人女性二人連れの巡礼。

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Piaxe という辺りです。

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風力発電の風車が、フィステーラまで、断続的に並んでいました。

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農作業をしているおじさんに、写真をとてもいいですか?と尋ねるとポーズを取ってくれました。

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音を立てて流れる小川。

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ビラセリオというところまで来ました。

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Restaurant A Nosa Casa
レストラン(A Nosa Casa)があったので、ここで昼食にしました。

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Albergue O RUEIRO. 12 Euro for bed only.
このレストランの裏にアルベルゲ O RUEIRO がありました。
フィステーラへの道は、アップダウンが激しく、疲れます。今日、出発したネグレイラから13キロです。もうこの辺でいいだろうと、ここに泊まることにしました。食後、そのアルベルゲへ行きました。鍵がかかっています。どうしようかと思っているところに、土地のおじいさんが通りかかって、鍵は、あのレストランが開けてくれるよ、と教えてくれました。
レストランとアルベルゲは同一経営者でした。早くそう言ってくれ!聞かない方が悪いか?また、レストランに戻って、鍵を開けてもらいました。早い時間だったので、私が一番乗りです。
素泊まり一泊、12ユーロ。

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アルベルゲのベッド。ガイドブックによれば、32ベッドあるそうです。

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ビラセリオは小さな集落で、見物するところもありません。荷物を、ベッドに置いて、再び、レストランに飲み直しにでかけました。
すると、昨夕、ネグレイラで出会った、日本人とイタリア人の二人組に出会いました。オルガさん(左)とチアキさんです。
彼女たちは、ここには泊まらず、先に進んで行きました。このグループとは、フィステーラまで、何度も出会いました。

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レストラン A Nosa Casa のウェートレスさん。いろいろ親切にして貰いました。
ここでは、ただ飲むだけではありません。新しい予定に従って、宿の手配があります。それを頼まなければなりません。こちらの女性に、サンティアゴのセミナリオ・マジョ―ル 7月7,8日の予約をお願いしました。幸い、予約できました。但し、7日の朝にもう一度、予約の再確認をして下さいと言われたそうです。これも、また、誰かに頼みましょう。
それから、7月9,10日、マドリッドのThe Hat というホステルに、自分のタブレットを使って、追加予約を入れました。これも、OKとなりました。(このホステルは、7月11日分を、日本出発前に予約してあります。)

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Albergue O Rueiro。
これで、すべて、よしッ、となり、アルベルゲに戻って、昼寝をしました。泊まった部屋は、二階の右の窓です。

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夕食は同じレストランで。

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Cake of Santiago
「デザートに、サンティアゴのケーキをどうですか?」とウェートレスさんに言われました。

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カステラのようなものです。カステラは好物なので、一切れ貰いました。
カステラという言葉は、ポルトガル語らしいですが、カステラは、スペインのカステラ(カステーリア)地方のことらしいですから、こちらの方が本場といえば本場です。それにサンティアゴという名前までついているので、有難く頂きました。
ケーキのサンティアゴという名前が、この店のオリジナルなのか、スペイン一般に使われている名前なのかは、聞き忘れました。

ビラセリオのアルベルゲを出発

Departing at Vilaserio
26.06.2016

6月26日(日)

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Breakfast at A Nosa Casa. 4 Euro.
翌朝の朝食も、レストラン A Nosa Casa で食べました。いつもの、カフェ・グランデ。クロワッサンがなかったので、夕べのデザートと同じ、サンティアゴのケーキを食べました。なにか御利益があればと願いをこめて・・・
4ユーロの朝食です。

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フィステーラ岬まで、54キロ。
08:00出発。今日は、オリベイロアを目指します。21キロ先です。

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まだネグレイラの行政範囲なのでしょう、ネグレイラの紋章が飾ってあります。

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アルベルゲを出ると、しばらく一般道が続きます。
強く、冷たい風が吹いていました。ちょっと歩いてから、寒さに耐えきれず、リュックから、ダウンを取り出して着ました。

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サンティアゴの道を歩く、わが凛々しい姿!
子どもの頃、ヨーロッパで、こういうことをするのが夢でした。しかし、その時、72歳になって、こういうことをするとは、夢にも思いませんでした!ましてや、80歳まで続けたいなどとは! 気持ちは、今が一番若いでしょう。

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コルナドの泉。飲料水。このような泉は、ガイドブックには、「f 」(fuente de aqua potable 飲料用泉)と記載されています。

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古い標識。実際のホタテ貝を使っているのが、古めかしい。

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Forest of eucalyptus
静かなユーカリの林の道に入りました。

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A German retired navy officer
私を追いぬいて行ったドイツ人。70歳の海軍退役軍人。ハンブルク出身だそうです。
話しているうち、考え方が私と似ているので、気が合うということが分りました。向こうも、それを感じたらしく、「サンティアゴの道は面白い。あなたのような人に出会ったり、美しい自然に出会ったり・・・」などと嬉しいことを言ってくれます。「自分の足で歩いた所でなければ、その土地を訪れたことにはならないとゲーテが言っていた」というような意味のことも言っていました。ゲーテの「イタリア紀行」にでも書かれているのでしょうか。
彼とは、フィステーラで再会しました。

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丘の上の木。松だったでしょうか?

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澄んだ小川。子どもの頃、こんな小川で遊んだことがあるような、ないような・・・?

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マロニャス(と読むのでしょうか?)という、この道沿いでは大きな村に入りました。

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オレオという穀物倉庫。
階段から戸口まで(ネズミ返しの高さの部分)は、梯子をかける?盗難防止のためでしょうか。皆、そういう造りになっています。

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こちらは、半分崩れたオレオ。民家も家も、石垣が見事です。

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マロニャス・サンタ・マリーニャのアルベルゲの看板。
もう、ここに泊まってゆこうか、と弱気が誘います。しかし、まだ、9キロきたばかりです。あと、10キロ!

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A Korean pilgrim who came back from Muxia.
400号線という一般道路に出ました。むこうから、青年の巡礼がやってきました。日本人のようなので、
「日本人ですか?」と声をかけました。
「韓国人です。」
礼儀正しい、好青年です。ムシアからサンティアゴに帰る途中だそうです。
「ムシアでは、どこに泊まりましたか?」
「Delphin というアルベルゲです。海岸沿いの良いアルベルゲです。なんとかさんという親切な女性がいます。」
と、教えてくれました。ムシアでは、そこに泊まろうと思いました。

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丘の上の白樺の木。ここは、420メートルの高所です。
この辺りに、555メートルのMonte Aro という山があるはずです。オルベイロアまで、あと6キロ余りになってきました。そろそろ下りだけです。