いざ、サン・ファン・デ・ラ・ペーニャへ!

7月1日(水)その1

Let's go to San Juan de la Pena!
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ハッカの宿「カサ・マムレ」のダイニング・キッチン。

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ここの食堂の壁や棚の飾り付けも素敵です。

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用意している朝食が、私一人分だったので、昨夜の泊り客は、私ひとりかと思っていたら、女性がひとり出てきました。ベルギーから来た女性巡礼の一人旅です。カサ・マムレのホセさんと。

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そこへ、若い男性二人も出てきました。フランス人です(一番左と一番右)。二、三日後に再会しました。その時、知ったのですが、「100人のサンチャゴ巡礼」というようなタイトルで、インタビュー録画をしながら旅を続けています。私も、そのインタビューを受けました。
結局、昨夜は、個室11室、相部屋24ベッドあるうち、宿泊客は、4名だったことになります。

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ホセさんと。
きょう、サン・ファン・デ・ラ・ペーニャに行きたいのだけれどと、どうやって行けばよいか、ホセさんに相談しました。サン・ファン・デ・ラ・ペーニャへ、徒歩でゆくか、バスでゆくか、まだ決まっていませんでした。サン・ファン・デ・ラ・ペーニャは、アラゴンの道の巡礼路からは、はずれていますが、岩窟の中に立てられた古い僧院です。寄り道してでも、訪れるべしと、ガイドには勧められています。
ホセさんが、言うには、
「バスで行くのが、よいでしょう。山の上まで行って、帰りは、下りなので、歩いてくればいいでしょう。09:20にバスが、バス・ステーションからでています。そこまで、私が案内してあげましょう。」
ということでした。バスでゆくことに決めました。

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ホセさんが、可愛がっているイヌがいます。中庭で、ホセさんと遊んでいるところ。

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名前を呼んでいるのを聞くと、マックス、マックスと聞こえます。何という名前ですか?と確かめると、マルクスだそうです。「共産主義者ですね」というと笑っていました。

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共産主義者マルクス。

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出発前のレセプションに置いた、私のリュックと帽子。杖はバスに乗るので、折り畳んで、リュックに収めてあります。

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レセプション。

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バスの出発まで時間があるので、カサ・マムレの中を見物していました。すると、「マムレ」と書いた敷物がありました。私は、名前を見ると、その由来を知りたくなる癖(?)があります。ここでも、
「マムレ」とは、どういう意味ですか?」とホセさんに聞いてみました。

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ホセさんは、聖書を持ち出してきて、これが、その由来です、と聖書のMorehという単語を示しました。

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また、別の聖書を持ち出してきて、Moreという単語を示しました。

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聖書のGenesis 12.12 というページです。日本に帰ってから意味を調べようと思っていましたが、まだ調べていません。
追記:カサ・マムレの意味は、←ここをクリック
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ホセさんには、いろいろお世話になりました。お礼に鶴を折ってさしあげました。
「これがホンダやソニーのテクノロジーか!?」と感心していました。受付のカウンターに飾ってくれました。

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約束通り、09:00頃、バス・ステーションまで、ホセさんが案内してくれました。待っている間、ひとりの男性乗客を紹介してくれました。
「このひとは、サン・ファン・デ・ラ・ペーニャのことはなんでも知っているので、聞くといい。」
その後、この男性乗客がだれであるか分かりました。
エスタシオン・デ・アウトブセス(バス・ステーション)の前のホセさんとマルクス。

つづく
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サン・ファン・デ・ラ・ペーニャの新しい僧院

7月1日(水)その2

The New Monastery of San Juan de la Pena
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サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ行きのバス。
バスを待つ間、カサ・マムレのホセさんが、同じくバスを待っている40歳くらいの男性を紹介してくれました。仮に、SJさんとしておきます。SJさんが、いろいろと親切に教えてくれました。
「バス代は、15ユーロです。サン・ファン・デ・ラ・ペーニャには、新しい僧院と古い修僧院のふたつがあります。新しい僧院が、バスの終点にあります。そこで降りて、まず新しい僧院を見て、山を下り、古い僧院、更に山を下って、サンタ・クルス・デ・ラ・セロスを見て行くのがよいでしょう。」
バスの乗客は、私とSJさん、それともう二人いました。後で、知ったのですが、私以外の三人は、サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ僧院で働く、案内や売店の係りの人たちでした。

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バスは、ぐんぐんと高い山を登ってゆきます。サン・ファン・デ・ラ・ペーニャの新しい僧院の標高を聞いた所、1000メートルだったと記憶しています(確かではありません)。ハッカから一時間余りで、サン・ファン・デ・ラ・ペーニャの新しい僧院に到着しました。これは、17世紀に建てられたもので、古い僧院より、さらに高い場所に建てられたものだそうです。

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僧院の向かいの売店で、拝観料を払って、中に入ります。拝観料は、新・旧僧院両方で、9ユーロ。新しい僧院の中は博物館になっていて、当時の僧院の生活を再現しています。

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日本のもののような陶器。

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パン工房。

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これは何であったか?歯医者さん?床屋さん?バックは、鍛冶屋さんだったような?

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新しい僧院の見物を終えて、今度は、いよいよ本命の古い僧院へ向かいます。ここにもサンチャゴの道の黄色い矢印があります。これに従って、山を下って行きましょう。

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ドンドン下って行きます。

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下界が見えます。

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岩山が見えてきました。

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すると、それらしきものが見えてきました。あれが、サン・ファン・デ・ラ・ペーニャの古い僧院でしょう。

つづく

圧巻!サン・ファン・デ・ラ・ペーニャの古い僧院

7月1日(水)その3

The Old Monastery of San Juan de la Pena
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サン・ファン・デ・ラ・ペーニャの新しい僧院を見物のあと、山を下って行きました。30分ほど歩くと、古い僧院の姿が、大きな岩の下に見えてきました。

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新しい僧院にあった、往年の僧院の想像図。
この僧院は、スペインが、イスラム教徒に占領されていた時代、キリスト教を守ることの象徴だったということです。だから、こんな高い山の上の、しかも、岩の下に建てられたのです。最初に建てられたのが、9世紀。その後、11世紀に改築されたそうです。
アラゴン・ナバーラ王家の霊廟であったということですから、上の絵は、その王様の訪問でも描いたものでしょうか?

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これも、新しい修道院に展示されていた絵。

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巨岩もさることながら、その下に、ひっそりと、厳かに、建っている僧院の姿は、感動的です。

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岩と建物の石がとけあって、美しい調和を見せています。

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ここまで、自転車で登ってきたサイクリストがいます!このあと、私は、ここから、山を下るだけで大変でした!

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ここで、ハッカのバス・ステーションで紹介された、SJさんに出会いました。親切に、いろいろと教えてくれると思っていたら、「古い僧院」の案内人だったことがわかりました。リュックが重いので、見学の間、預かってもらえるところがないか、尋ねました。小さな売店(写真左)を指さして、あの中に置いておこうと言って、リュックを持って行ってくれました。

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SJさんが、「中は二層になっています。初め、一階の部分を見るのがよいでしょう。」と教えてくれました。
ここは、その一階部分です。

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それから、二階部分に昇ります。荘厳さに打たれてか、みなさん、声がありません。シーンとしています。

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岩と建物の融合。

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壁の彫刻。

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同上。

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教会の三つの礼拝堂。

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小さな石で埋められた天井。

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内庭回廊がありました。

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回廊の柱。

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柱頭の彫刻。

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同上。

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同上。

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内庭回廊の柱頭の彫刻だけ見ていても、飽きません。
暑い日でしたが、中はひんやりとしています。

つづく

サン・ファン・デ・ラ・ペーニャの古い僧院 つづき

7月1日(水)その4

The Old Monastery of San Juan de la Pena
サン・ファン・デ・ラ・ペーニャの古い僧院の見物のつづきです。
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アラゴン地方の王侯貴族の霊廟に刻まれた紋章。11~14世紀のものだそうです。

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僧院の落書き?

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岩の下の僧院。

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見学を終えて、僧院の外で休む人たち。
背景は、回廊です。

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見物を終えて、外に出ると、ハッカから一緒のバスに乗ってきた、案内人のSJさんがいました。預かっていたリュックを貰いたいと言うと、わざわざ売店からもって来てくれました。

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SJさんには、ハッカでも写真を写させてほしいと頼みましたが、写真は嫌いだと言って、写させてくれません。ハッカ以来ずっと親切にして貰ってきています。最後に「背中だけでもいいから写させてほしい」と言って、カメラを構えました。すると、逃げて行って、顔を隠してしまいました。

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さて、案内人のSJさんに、お礼を言って、下山することにします。
何と書いてあるのか分かりませんが、一番下に、サンチャゴ・デ・コンポステラまで、810kmと書いてあるようです。

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アラゴンの道、GR653の標識。
山を下ったところには、サンタ・クルス・デ・ラ・セロスという村があります。そこには、10世紀末に建てられた女子修道院跡があります。

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サン・ファン・デ・ラ・ペーニャの古い僧院の前には、一般車道とサンチャゴの道の歩道があります。サンチャゴの道しるべ、黄色い矢印に従って、急な坂道を下ってゆきます。

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この地方の、サンチャゴの道沿道の地図です。
北に聳えるピレネー山脈にある、ソンポール峠から、南へ下り、ハッカで、東西に走る赤い線が、サンチャゴの道です。
ソンポール峠、
カンフラン・エスタシオン(大きな駅の絵)、
カスティエージョ・デ・ハッカ、
ハッカ(大聖堂の絵)、
そして、ハッカからバスで、サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ(古い僧院の絵)と来ました。
ここからは、徒歩で、山を下って、サンタ・クルス・デ・ラ・セロス(教会の絵)に向かいます。
今日は、ビナクアを経由して、最終的に、サンタ・シリア(教会の絵)まで行くつもりです。

つづく

サンタ・クルス・デ・ラ・セロス女子修道院

7月1日(水)その5

Santa Cruz de la Seros
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←ハッカ        古い僧院→
←新しい僧院     サンタ・クルス・デ・ラ・セロス→
古し僧院を去って、サンタ・クルス方面に下ってきました。

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北方にピレネー山脈が連なっています。

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巨岩の谷間を、どんどん下ります。

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GR653の白と赤のマーク。サンタ・クルス・デ・ラ・セロスへ。

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石ころだらけの山道から、転げ落ちないようにして、更に下って行きます。

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谷間に、サンタ・クルス・デ・ラ・セロスの村が見えてきました。

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途中で、休んでいる、若い女性に出会いました。これから、サン・ファン・デ・ラ・ペーニャまで登ってゆくそうです。今、下ってきただけでも、大変だったのに、私には、登りは不可能だったでしょう。サン・ファン・デ・ラ・ペーニャへの地図もなしに、ハッカから歩いてきていたら、大変なことになっていたろうと、ゾッとしました。彼女には、2,3日後に、また出会います。

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私も、一枚写してもらいました。

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サンタ・クルス・デ・ラ・セロスの村と教会。

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サンタ・クルス・デ・ラ・クルスのサンタ・マリア教会。
ここには、10世紀末に建てられた、有名な女子修道院があったそうです。その修道院跡に、現在残っているのは、このロマネスク様式の、サンタ・マリア教会だけです。

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ロマネスクのサンタ・マリア教会。残念ながら、入り口は閉まっていました。

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アラゴン地方独特の民家。

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村を出る時、もうひとつ教会がありました。

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サン・カプラシオ教会 11世紀、と書いてあります。ここも、中を見ることは、できませんでした。
スペインのサンチャゴの道は、ロマネスク様式の教会の宝庫という感じがします。ただ、このように、入り口が閉まっているところが多く、中を見ることができないのは、残念です。

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さて、今日の宿泊予定地、サンタ・シリアを目指します。あと、3キロほどです。しかし、この道もまた、大変でした。

つづく