ヨーロッパ自転車の旅を、なぜ始めたか?(前編)

Why I commenced the bike wandering in Europe?
Part I

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ドーバー海峡。フランス・ノルマンディー(2004年)

1944年の生まれです。
話は高校生の頃に遡ります。ヨーロッパの映画、特にフランス映画やイタリア映画を見たり、フランスの小説を読むのが、好きでした。美しい風景、日本と違う街並み、粋な人々、洒落た会話。こんなヨーロッパに夢中になりました。映画に出てくるような世界をぜひ訪れたいと思いました。親友と高校をやめて、海外に密航し、自転車旅行でもできたら楽しいだろうななどと、話し合ったりもしました。

私の好きな映画ベスト3:
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イタリア映画「道」(1957年)

第三の男
イギリス映画「第三の男」(1949年)

太陽がいっぱい
フランス・イタリア合作映画「太陽がいっぱい」(1960年)

それと、もう一本、懐かしいのに、「悲しみよこんにちは」があります。フランソワーズ・サガンが18歳の時に書いた小説の映画化です。世界的ベストセラーとなり、1957年に映画化されました。ちょうど、その主人公セシルが、大学受験生で、当時の私らと同じ年頃。そして、舞台が、パリと南仏です。すっかりフランスの虜になったものでした。

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映画「悲しみよこんにちは」のポスター。ソウル・バスのタイトルバックが、素敵でした。

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映画「悲しみよこんにちは」のセシル役、ジーン・セバーグ(左)とミレーヌ・ドモンジョ。これはアメリカ映画です。最近見直しましたが、実際に、南仏でロケしたのか疑問です??

ヨーロッパへ行きたい・・・
しかし、当時、これは夢でした。実現できるはずもない、本当の意味での、夢でした。当時を知らない世代からは、想像もつかないほど、日本はまだ貧しい国でした。
どんな時代だったかというと・・・
外貨規制が厳しく、普通のひとは、パスポートを入手できませんでした。作家の北杜夫は、漁業調査船の船医となって、当時まだ遥かなるヨーロッパに渡りました。その後、「どくとるマンボウ航海記」を出版し、ヨーロッパを面白く紹介したのが、1960年のことでした。その後、名作「楡家の人々」が生まれました。こえは、トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」がモデルとなっています。その時のドイツ訪問が参考になっているのでしょう。「楡家の人々」は、1961年に執筆開始され、1964年に出版されています。
どくとるマンボウ航海記
北杜夫著「どくとるマンボウ航海記」(1960年)

1962年には、堀江青年が「太平洋ひとりぼっち」ヨット、マーメイド号で、アメリカに渡りました。一般の人々は、なかなかパスポートを取得できない時代でした。 堀江青年もパスポートなしで、サンフランシスコまでの密航です。日本政府は、顔をしかめましたが、アメリカでは英雄として、大歓迎されてので、パスポートを発行しました。
太平洋ひとりぼっち
堀江謙一著「太平洋ひとりぼっち」(1962年)

同じ頃、確か中央公論社からだったと思いますが、「世界の旅」という全集が出版され、高校の図書室にある、その本を夢中になって読んだ記憶があります。
1955年に製作された、香港を舞台にした「慕情」という映画があります。「世界映画名作全史」(猪俣勝人著、現代教養文庫)には、こう書かれています。
「この時期、香港はいまのようにだれでも気軽にとんで行ける所ではなかった。そこは東シナ海に浮かぶ東洋の真珠であった。あくまでも遠い異郷の街であり、おそらくは一生行くことはないであろうと思われる遥かなるところだった。」
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映画「慕情」(1955年)のジェニファー・ジョーンズとウイリアム・ホールデン。

なんとかヨーロッパへ行きたい、映画や本で触れた世界を訪れたいという気持ちは、ずっと変わりませんでした。
就職して、さいわいヨーロッパと関係する仕事に携わることができました。仕事で、ヨーロッパ出張の機会も増え、また、通算10年以上のヨーロッパ駐在の経験さえもできました。
駐在中には、ヨーロッパのさまざまな土地を旅行し、映画の舞台、小説の世界を訪れました。そうこうしているうちに、時代も随分と変わりました。小説や映画の背景となった、ヨーロッパの土地柄を見るという機会も増え、子どものころの夢はかなったはずです。しかし、高校生の頃からの夢を実現したという充実感がありません。会社生活も終わりに近づき、人生もこうして終わってしまうのかと、なにか物足りなさ、寂しさ、を感じていました。
私は、生きて、楽しい時を過ごすことができれば、それでよいという、単純な望みを持っています。しかし、こんな楽しいことをしたという、喜びや満足感がないのです。

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オーストリアのクライン・ペヒラーンまで、6キロの地点。山の上にあるのは、マリア・ターフェルル修道院。

1997年、53歳の時。ヨーロッパ駐在中の、夏休みのことです。オーストリアのリンツとウイーンの中間あたりにクライン・ぺヒラーンという小さな村があります。車で旅行していて、そこのドナウ河畔の小さな宿に一泊しました。「渡し舟屋」Gasthaus zur Faehre, Klein-Poechlarn という名前の宿です。目の前に渡し舟の乗り場があるからです。
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対岸から見た、「渡し舟屋」

快晴の夏の暑い昼下がりでした。ゆったりと流れるドナウ河を眺めながら、宿の前のテラスでビールを飲んでいました。河の手前をサイクリング・ロードが走っています。時々、サイクリストが通ります。私は、高校以来、運動というものをやったことがありません。ゴルフもやりません。趣味も「映画鑑賞・読書」と書くくらいで、特別なものはありません。なまけものなのです。

その時、大袈裟ではなく、わが人生を変えるようなことが、おこりました。

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クライン・ぺヒラーンの宿「渡し舟屋」の前のテラス(オーストリア)
Terrace of Gasthaus zur Faehre, Klein-Poechlarn, Austria, 2005

つづく
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ヨーロッパ自転車の旅をなぜ始めたか?(後編)

Why I commenced the bike wandering in Europe? Part II

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オーストリア、クライン・ペヒラーンの宿「渡し船屋」。宿の前に置いてある、国旗を飾った自転車が目印です。

その宿の前のテラスで、ビールを飲んでいた時のこと。
突然、日の丸のステッカーを貼った自転車が飛び込んできました。日本人の男性が乗っていました。あとで知りましたが、私より9歳年上、当時63歳の神戸在住のSさんです。そのときのSさんは、旅行中、日本語の会話をしてこなかったせいもあるでしょう、こどものように、熱っぽく、ヨーロッパの自転車旅行について語ってくれました。退職後、毎年、自転車を日本から持ってきて、ヨーロッパを回っていることや、各地での体験談など、話は尽きませんでした。
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ウイーンのプラーター公園。

私も旅が好きなので、もっと聞いていたい気持ちでした。Sさんは、ドナウ沿岸を走るのが好きで、ここを通るときは、必ず、この宿に泊まっていくそうです。しかし、今回ばかりは、明日ウイーンから帰らなければならない、そのためには、もう少しウイーン空港の近くまで行っておく必要がある、ということでした。そして、自転車に乗って去っていきました。人間の出会いとは不思議なものです。たった一時間ほどの座談ではなかったでしょうか。それからというもの、Sさんは、私にとって、忘れられない存在となりました。

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1994年、旧チェコスロバキアにて、プラハ城の衛兵と一緒の、神戸のSさん。始めての旧共産圏に強烈な印象を受けたそうです。たくさんの出会いがあり、このプラハ城の衛兵とは、もう一度会ってみたい気がするとおっしゃっていました。自転車は片倉シルクという自転車だそうです。

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神戸のSさんと、右側は、NHKテレビの旅行番組でも紹介された、ブルガリア、ヴェリコ・タルノボの鍛冶屋さん。

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その後、私も、自転車旅行をするようになり、オーストリアの「渡し船屋」を何度か訪問しました。すっかり、その主(あるじ)父子とは親しくなりました。現在は(2014年)、父親も息子も引退して、親戚の人が、宿(B&B)を経営しているそうです。(2010年撮影)

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アメリカの映画俳優、カール・マルデン。これまた、蛇足ながら、「渡し舟屋」の息子のほう(上の写真右側)は、アメリカの映画俳優で、西部劇でよく悪役をやる、カール・マルデンに似ています。そのため、Sさんと私の間では、「渡し舟屋」のことを、「カール・マルデンの宿」で通っています。

いろいろと、Sさんの自転車旅行の体験談を聞いているうちに、私の身体に衝撃が走りました。高校時代に、学校を辞めて、ヨーロッパ自転車旅行をできないだろうか、などと友人と話したことも脳裏をよぎりました。私の夢はこれだったのだと直感しました。退職したら、絶対に私も同じことをしようと決心しました。その後、関心は、自転車ばかりです。昔、実用自転車に乗ったことがあるだけですから、スポーツ車など詳しいことは知りません。将来に備え、ツーリング用自転車も買いました。これだけは、三日坊主に終わりませんでした。自転車の虜になって、生きてゆく情熱だと言えるものにまでなりました。自転車で、これだけ人の生き方が変わるものかと、驚くほどです。今まで無趣味な私にとって、趣味の意味が初めて分かりました。

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オランダ、ドルドレヒトのキャンプ場にて。2008年。

何十年も運動をしていないので、体力はすっかり衰えています。私は定年退職する数年前に、会社の定期検診で、糖尿病の気があると言われたことがあるくらいで、生まれてから歯医者さん以外、病院にかかったことがありません。そのせいで、健康には自信を持っていましたから、やることは仕事と酒だけで、趣味もなく、運動もしてきませんでした。自転車で走るようになって、体力がないのにすぐ気が付きました。しかし、当然のことながら、体力相応に走ればよいのだということも分かってきました。1日に20キロでも、30キロでも走れば、いくらでも前に進むことができるのだと考え始めました。おまけに、定年後は、時間はいくらでもあるのです。ようやく手にした、自由を楽しむことにしました。

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ライン河の夕べ。ドイツ、ケルン近くのキャンプ場にて。

ヨーロッパには、セーヌ河、ドナウ河、ライン河といった有名な河があります。これらの河を源流から河口まで走ったら、さぞ面白いだろうとも思いました。ヨーロッパの河の源流には、以前から、興味があり、主な河は、滞欧中、訪問したことがあります。自転車で走るのに適しているということは知っていました。
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セーヌ河源流。(2004年撮影)

その時、考えました。あと、数年待てば、定年を迎えます。そうしたら自由になります。時間に縛られず、ヨーロッパを好きなだけ自転車で走ることができます。そう思って待ちました。2002年と2003年の夏休みには、利根川沿岸を、渋川・銚子間往復2回、5泊6日の自転車長距離旅行の練習もしました。Sさんの住む神戸を訪れて、ヨーロッパ自転車ツーリングの実情を、詳しく聞いたりもしました。そして、2004年の夏が、とうとうやってきました。60歳の定年です。還暦を迎えて、年齢はゼロ歳までは戻りませんでしたが、気持ちは高校時代の17歳に戻りました。6月30日定年退職の翌日、2004年7月1日に、自転車を持って成田を飛び立ちました。
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2008年、ハンガリー、ブダペストにて。
まさか、自分が、自転車で、こんなところまで、来ることができるとは、思いもよりませんでした。

おわり