モン・サン・ミシェルへの道 沿道の宿

Accommodation on the chemin vers le Mont-Saint-Michel
02.02.2017

宿について、
サンティアゴ巡礼の道の場合、
フランスでは、ジット・デタップ、
スペインやポルトガルであれば、アルベルゲ
という巡礼向けの安い宿があります。
モン・サン・ミシェルへの道をパリから出発してから、どのような宿があるのか?具体的に、ガイドブックの宿のリストに当たってみました。
モン・サン・ミシェルへの道の場合も、一応、巡礼の道なので、同じように安い巡礼宿(ジット)があることにはあります。しかし、パリをスタートしてから、初めの100キロ余りは、ジット・デタップがなく、殆どは、ホテルだけになります。
いつもなら、自由気ままに歩けるように、日本から到着した直後以外、宿の予約はしないことにしています。しかし、モン・サン・ミシェルへの道の場合は、「サンティアゴの道」とは、勝手が違うようです。できるだけ「道」に近い、早期割引・最安値の宿を、今から予約しておくことにしました。
その結果、次の通りになりました。
歩きはじめは特に、余りたくさん歩かないように、一日10キロから15キロとして、歩く距離に余裕を見ています。

第1日目 パリ: Young and Happy Hostel & Budget Hotel, rue Mouffetard。一泊、32.91ユーロ。ここは、5人の相部屋です。
第2日目 パリ: 同上
Marché_de_la_rue_Mouffetard_en_1896
パリで泊まる宿のある、ムフタール街の市場。1896年。(写真は、wikipediaより)。
ムフタール街は、wikipediaによれば、「多くのレストランやカフェ、市場があり、パリで最もにぎわう地域のひとつ。・・・サント・ジュヌヴィエーヴ山の上にあったおかげで、オスマン男爵のパリ改造で造り替えることなく、昔の面影を残している」そうです。

第3日目 シャヴィル: Hotel Companille Paris Ouest, Chaville。 一泊、38.50ユーロ。ここから以下は、通常のホテル。
第4日目 ヴェルサイユ: Hotel Versailles Chantiers。 一泊、81ユーロ。
第5日目 ヴェルサイユ: 同上
Map_of_Versailles_in_1789_by_William_R_Shepherd_(died_1934).jpg
1789年(フランス革命の年)のヴェルサイユ地図(wikipedia より)。
1980年代にパリに住んでいたことがあります。そのとき、よくヴェルサイユに遊びにゆきました。今回は、ヴェルサイユに二泊の予定です。宮殿よりも、マリー・アントワネットが、ルイ16世から贈られたというプチ・トリアノン宮と、それに付属する、田舎を擬した「村落」(地図の上部中央より、やや左側にある薄緑色の部分)などのある庭を、三十年ぶりに、ゆっくり散策してみたいと思っています。

第6日目 サン・シール・レコール: Hotel Ibis Budget Versailles Chateau, St-Cyr-l'Ecole。一泊、36.80ユーロ。
第7日目 プレジール: HotelF1 Plaisir。 一泊、21.75ユーロ。

こうして、最初の一週間分の宿は、予約済みです。それから先は、なんとかなるだろうと、予約なしでやってみるつもりです。

ホテルの予約をしてしまったあとで、気が付いたことがあります。
少なくとも、サン・シール・レコールまでは、モン・サン・ミシェルへの道に沿って、メトロの他に、RER C7号線という、パリ近郊鉄道が走っています。幸い、パリには、ユースホステルや、上記のような安いホステルがあります。最初の何日かは、パリに泊まって、メトロやRERを活用し、荷物なしで出かけて歩き、再び、RERでパリの宿まで戻ってくる、という手があったかもしれません。これから、歩こうという方は、これも選択肢に入れておいたほうがよいでしょう。
私の場合は、予約をしてしまったので、もう間に合いません。せいぜい、その土地の滞在を楽しむことにしましょう。
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グイド・レーニという画家

Guido Reni, an Italian painter
12.02.2017

前回の、サン・ミシェル(聖ミカエル)の記事の中で、グイド・レーニという画家の描いたサン・ミシェルの絵を紹介しました。グイド・レーニとは、よく知らない画家の名前です。しかし、どこかで聞き覚えがありました。もしかして?と心当たりを探してみました。やはり、そうでした。スタンダールの短編小説「チェンチ一族」の題材となった、ベアトリーチェ・チェンチを描いた画家です。

220px-Cenci.jpg
A portrait of Beatrice Cenci attributed to Guido Reni.
「グイド・レーニ作と伝えられる『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』。
・・・頭にターバンを巻いているのは、斬首に際して髪の毛で斧の刃が滑るのを防ぐため。
・・・ベアトリーチェ・チェンチ(Beatrice Cenci, 1577 - 1599)は、イタリアの貴族の女性。ローマで起こった・・・父親殺し裁判の主役として知られている。その悲劇的な最期から、多くの文学・芸術の題材とされて来た。」
(写真も説明も、wikipediaより)

スタンダールを読むのが好きです。「チェンチ一族」との出会いはこうです。
スタンダールに、「チェンチ一族」のあるのは、以前から知っていました。しかし、まだ読んだことがありませんでした。一昨年(2015年)に、エゴチスムさんという方のブログに、スタンダール関連の記事を見つけました。その中に、このベアトリーチェの紹介もありました。それを見て、是非とも、スタンダールの「チェンチ一族」を読みたくなりました。本を探しましたが、わが町立図書館にはありません。県立の図書館に、スタンダール全集がありました。その中に見つけて、読みました。その後、amazon で、新潮世界文学のスタンダールの中にも含まれていました。確か、900円ほどと安かったので、それを購入しました。そんな経緯があったので、グイド・レーニの名前が、頭の片隅にあったのでしょう。

ご参考までに、エゴチスムさんの記事には、スタンダールやイタリア絵画など、興味深いものが多く、昨年、私が、マドリッドで、カラバッジョを見たときの記事の中でも、紹介させて貰っています。
エゴチスムさんの「ベアトリーチェ・チェンチ」の記事は、こちらをクリックして、ご覧いただけます。→ベアトリーチェ・チェンチ
思わぬところで、グイド・レーニと言う画家に、また出会うことになりました

モン・サン・ミシェルの起源 その2

Origin of the Mont-Saint-Michel (2)
07.02.2017

次に、サン・ミシェル(聖ミシェル)です。前回、オベール司教の夢に出てきた、大天使ミカエルのことです。
これについても、Wikipediaから引用します。

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グイド・レーニによる「大天使ミカエル」(from wikipedia)

1.ミカエルの名前
「天使ミカエルは各国の人名の元になっている。
英語の人名マイケル(Michael)、
ドイツ語のミハエル、ミヒャエル(Michael)、
フランス語のミシェル(Michel)、
スペイン語・ポルトガル語のミゲル(Miguel)、
イタリア語のミケーレ(Michele)、
フィンランド語のミカ(Mika)などは、この天使の名に由来する。」

2.どんな天使?
「・・・イスラエルの守護者というイメージから、ミカエルと堕天使サマエルとの争いという伝承が生まれた。サマエルはもともと天使であったが、天国から追放されて堕天使となったとされる。サマエルが天国から突き落とされたとき、ミカエルの羽を押さえ込んで道づれにしようとしたが、ミカエルは神自身によって救い上げられたという。・・・ミカエルとサマエルの死闘は、のちに竜(悪魔の象徴)と争うミカエルというイメージを生み出した。
ロトがソドムから逃げ出させたのも、イサクがいけにえにされるのをとめたのも、モーセを教え諭して導びいたのも、イスラエルに侵攻するセンナケリブの軍勢を打ち破ったのもミカエルであるとされている。」

3.ミカエルの姿
「ミカエルの図像は、甲冑をまとって天の軍団の先頭をいく、といったイメージが一般的とされる。彼の図像は、背には翼が広がっているものが多い。場合によっては孔雀の尾羽のような文様の翼を有した姿で描かれることがある。また、彼の右手に剣、左手には魂の公正さを測る秤を携えている姿で描かれることもある。」

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パリのサン・ミシェル広場にある、ミカエル像。(from wikipedia)

4.カトリック教会でのミカエル
「ミカエルは人ではないが、人と同じようにカトリック教会の間で広く崇敬されるようになった。
カトリック教会ではミカエルをガブリエル、ラファエルと並ぶ三大天使の一人としており、ミカエルは守護者というイメージからしばしば山頂や建物の頂上に彼の像が置かれた。ルネサンス期に入ると、ミカエルはしばしば燃える剣を手にした姿で描かれるようになった。ミカエルは、右手に剣、左手に秤を持つことから、武器と秤を扱う職業の守護者とされた。中世においては、ミカエルは兵士の守り手、キリスト教軍の守護者となり、十字軍兵士の崇敬を集めた。
ジャンヌ・ダルクに神の啓示を与えたのはミカエルだとされている。」
「カトリック教会ではミカエルに捧げられた教会や修道院が多数作られている。492年のイタリアはガルガーノ山の「大天使聖ミカエルのバシリカ(聖堂)」をはじめ、有名なものではフランスのモン・サン・ミシェルがあげられる。
590年、ローマのハドリアヌス廟にミカエルが現れ、ペスト蔓延が終焉に至ったという。これにより、ハドリアヌス廟は「サンタンジェロ(聖天使という意味)城」と呼ばれることになった。」

5.守護聖人としてのミカエル
「現代のカトリック教会では、兵士、警官、消防官、救急隊員の守護聖人になっており、地域ではドイツおよびウクライナ、フランスの守護聖人とされている。」
「カトリック教会における日本の守護聖人も、かつてはミカエルであるとされた。これはフランシスコ・ザビエルによって定められたが、のちにザビエル自身が日本の守護聖人とされている。」

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スペインのザビエル城内博物館にある、フランシスコ・ザビエルの絵。(2015年撮影)

終わり

モン・サン・ミシェルの起源 その1

Origin of the Mont-Saint-Michel (1)
06.02.2017

今年、パリからモン・サン・ミシェルへの道を歩きます。
モン・サン・ミシェルの名前の由来について調べてみました。
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モン・サン・ミシェル(from Wikipedia)

モンは、フランス語で、「山」という意味です。この聖堂が、岩山の上に建っているからです。
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10世紀末のモン・サン・ミシェルの想像画。(from Wikipedia)

Wikipediaによれば、次のような、いわれがあるそうです。
「708年、アヴランシュ司教オベールが、夢のなかで大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、悪魔の悪戯だと思い信じなかった。再び同じ夢を見たが、また信じなかった。ついに3度目には大天使は、しびれを切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見た。翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのが始まりである。」

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モン・サン・ミシェルにある聖オベールのチャペル。但し、これは、15世紀に建てられたものです。(Le Mont Saint-Michel, castermanより)

708年といえば、聖堂の起源としては、たいへんに、古い話です。奈良時代の始まり、平城京遷都が、710年です。
日本に「仏の顔も三度」という諺があります。フランスでも、天使の顔も三度、というようなことがあるのは面白いです。

つづく

2017年 パリから歩く、モン・サン・ミシェルへの道 

The ways in Europe  
Chemin vers Le Mont-Saint-Michel de Paris 2017

あっと言う間に、13年が経ってしまいました。
「のんびりヨーロッパの旅」を始めたのが、2004年です。始まりは、サイクリングでした。

2004 Europe II 855 Rhein-Radweg 2004.
13年前、初めての、「のんびりヨーロッパの旅」。写真は、2004年、ライン川サイクリング・ロードにて。
のんびりというよりも、不安で一杯でした。装備など、今、見ると、日本の自転車屋さんで入手できるものしか、思い至らず、今、右欄のプロフィルの写真と比べると、随分違います。

あれから、十年経って、「サンティアゴの道」というのがあるのを知りました。これは、自転車でも走れますが、主には、巡礼の歩く道です。2014年に、ここを歩くことにしました。迷いましたが、サイクリングではなく、ウォーキングにしました。それから、次のサンティアゴの道を歩いて、もう、3年が経ちました。

2014年 ル・ピュイの道~フランス人の道 1,600キロ
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Cathedrale of Le Puy en-Velay 2014. Start of Chemin de Le Puy.
ル・ピュイの道の出発点、ル・ピュイ大聖堂 2014年。

2015年 アルルの道~アラゴンの道 950キロ
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Puente la Reina 2015. Finish of Camino Aragones.
アラゴンの道の終点、プエンテ・ラ・レイナ(王妃の橋) 2015年。

2016年 ポルトガルの道~フィステーラ、ムシーアへの道 800キロ
DSC1607753.jpg Muxia 2016.
ムシーアの岬 2016年。

2014年に歩き始めたときには、特に、サイクリングをやめるつもりではありませんでした。しかし、歩く方がいろいろ楽しいのと、自転車という、時には厄介な荷物に煩わされないで済むことから、ウォーキングのほうに魅せられてしまいました。

さて、今年の予定もまた、ウォーキングです。目先を変えて、「サンティアゴの道」から外れてみました。パリから「モン・サン・ミシェルへの道」です。これも、また、巡礼の一種です。

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パリからモン・サン・ミシェルまでの全ルート。約550km。

スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラが、信仰の対象となるずっと前の、中世初期から何世紀にもわたって、何千もの巡礼が、モン・サン・ミシェルに押し寄せたそうです。(今も観光客が押し寄せているようですが)
現在も、モン・サン・ミシェル大聖堂まで、徒歩で辿ることができます。

2004 Europe II 702
Start of Chemin vers Le Mont-Saint-Michel. Notre Dame de Paris 2004.
モン・サン・ミシェルへの道の起点、パリのノートルダム大聖堂。2004年撮影。

モン・サン・ミシェルへの道」は、たくさんある、フランスのトレッキング・コース(グランド・ランドネGRと呼ばれています。)の中のひとつです。パリから、モン・サン・ミシェルまでのルートです。フランスには、たくさんのグランド・ランドネがあり、ここは、GR22です。約550キロのルートです。私の脚で、一日平均15キロ歩くとして、37日で行くことができます。(ガイドブックでは、30日間の行程を想定しているようです。とすれば、一日平均18キロ)

2017年、
・5月下旬出発
・歩く日数に40日間をみて、
・7月上旬帰国
を予定しました。

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「モン・サン・ミシェルへの道」を歩くためのガイドブックとして、"Chemin vers Le Mont-Saint-Michel" があります(写真)。Amazon で入手できます。よく出来たガイドブックです。欲を言えば、サンティアゴの道の、John Brierleyのガイドブックのように、宿泊場所の位置を地図上に示してほしかったです。

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ガイドブックにある地図の第1ページ。①が、スタート地点の、ノートルダム大聖堂。

パリのノートルダム大聖堂前を出発して、ルーブル博物館、テュイルリー公園、コンコルド広場を歩いて行きます。セーヌ川に出て、シャイヨー宮を回(めぐ)って、再びセーヌ川に出ます。そのあと、セーヌ川を渡って、パリを出て、ヴェルサイユ方面を目指します。
グランド・ランドネを歩いた経験の無い人には、複雑な道のように見えるかもしれません。しかし、白赤の標識(欧州の細道 その3 参照←ここをクリック)が、要所要所にマークされているので、地図を見なくても歩いて行けるはずです。
尚、フランス国内のサンティアゴの道も、グランド・ランドネになっています。「ル・ピュイの道」は、GR65です。「アルルの道」は、GR653です。

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ガイドブックにある地図の最終ページ。288番が、フィニッシュの、モン・サン・ミシェル大僧院。
GR22以外に、どこから来るのか、GR223, GR34, GR39 というトレッキング・ルートも合流しています。
モン・サン・ミシェル手前10キロあたりで、海岸線(イギリス海峡、サンマロ湾)に出ます。あとは、右手前方にモン・サン・ミシェルの大僧院を望みながら歩くことになります。想像しただけで、ワクワクしてくるルートです。

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モン・サン・ミシェルへ向かう、現代の巡礼。(写真は、Pelerinより)
実際にこうして干潟を歩くツアーがあるようです。できれば歩いてみたいと思っています。
この一体は、潮の干満の差が激しく、満潮時には、驚くような速さで潮が満ちてくるそうです。昔、こうして渡った巡礼者が、潮に流されて数多く命を落としています。現在は、潮流も予測されて、大丈夫であることを祈ります。

「モン・サン・ミシェルへの道」の難点は、サンティアゴの道に比べて、沿道のジット・デタップ(安い巡礼宿)のベッド数が少ないことです。キャンプ場宿泊を考慮しておいたほうが良いかもしれません。特に、パリから130キロ先には、キャンプ場がたくさんあります。しかし、キャンプを想定して、テント持参する場合、荷物が、2.5キロ、余分にかかります。これに耐えられるかどうか、もう少し暖かくなったら、試してみるつもりです。